「納品のない受託開発」を提供するソニックガーデンは、全社員リモートワークで本社オフィスがない。さらには、全社員がセルフマネジメントで管理職もいない。管理をなくして遊ぶように働きながらも、ビジネスは順調に成長することができている。その自由と成果の両立を実現する経営に隠された謎を紐解く。
倉貫義人
株式会社ソニックガーデン代表取締役
大手SIerにてプログラマやマネージャとして経験を積んだのち、2011年に自ら立ち上げた社内ベンチャーのMBOを行い、株式会社ソニックガーデンを設立。ソフトウェア受託開発で、月額定額&成果契約の顧問サービス提供する新しいビジネスモデル「納品のない受託開発」を展開。会社経営においても、全社員リモートワーク、本社オフィスの撤廃、管理のない会社経営など様々な先進的な取り組みを実践。著書に『「納品」をなくせばうまくいく』『リモートチームでうまくいく』など。「心はプログラマ、仕事は経営者」がモットー。ブログ http://kuranuki.sonicgarden.jp/
金銭的な報酬だけが組織で働く理由ではない
前回は、創造性を求める仕事やチームにおける雑談の重要性と、報告・連絡・相談の「ホウレンソウ」から雑談・相談の「ザッソウ」へのシフト、雑談が生まれやすくするための環境についての話をしました。
雑談をすることによって、雑多な情報から新しい知識を得られたり、思いもしない新しいアイデアが生まれたり、普段から相談しやすくなったり、良いことがたくさんありますが、それ以前の話として、そもそも人間同士がコミュニケーションし合うことは人にとっての癒しにもなります。
ずっと孤独に誰とも話をしないで仕事をし続けることなどできません。もちろん、一人で静かに考える時間があったり、集中して作業をする時間が好きな人もいるでしょう。私もその一人です。しかし、だからといって何日も何週間もずっと一人きりで仕事をしたいとは思いません。
仕事をしていく上で、より多くの人と関わりあったり、仲間と協力し合って共通の目的に向けてコミュニケーションをとりながら成果を出していきたい。そんな思いがあって、会社やプロジェクトに所属しています。
そうした人間的な関係の構築も、会社が提供できる価値の一つです。そのことを見落として、ただ労働の対価として給与さえ与えていれば良いと考えてしまったら、会社など簡単に崩壊してしまうでしょう。
はたして人は安定した給与という金銭的な報酬のためだけに会社に帰属するのでしょうか。もちろん給与が得られることは大事なことですが、それだけではないはずです。先ほどの人との関わりもあるし、仕事を通じた成長や、誰かを喜ばすことができたり、社会に役に立つことなども得たいことなのではないでしょうか。
そう考えると、組織で働く人たちが満足しているかどうかを、金銭的な報酬だけで測って提供しようとするのは今の時代には安直すぎるし、金銭以外に提供するものを福利厚生だけで考えるのも短絡的です。人には個性があって、求めているものは千差万別です。会社が提供できる対価は何か、改めて考えてみましょう。
マズローの欲求5段階で考える仕事の報酬
金銭的な報酬以外で、社員に対して会社から提供できる報酬や価値は何か。これらは「マズローの欲求5段階」を使って整理できるのではないかと考えました。
「マズローの欲求5段階」とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した「自己実現理論」のことで、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものです。シンプルでわかりやすいため非常に有名です。
その欲求の5段階とはピラミッド構造になっており下の階層から、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求となっています。下の階層の欲求がある程度満たされると上の段階にある欲求を志すようになるし、下の階層の欲求が満たされない限りは上の段階を考えることもできないとされています。
もっとも下層にある生理的欲求は、食事や睡眠など生命を維持するための本能的な欲求であり、野生の動物ならいざ知らず、現代社会に生きる殆どの人間なら満たされているため、次の段階にある安全の欲求を求めます。
安全の欲求で求めるものは、経済状態や健康状態、良い暮らしや将来の希望などです。人が働こうとする最初の理由は、この欲求につながります。
資本社会において安全に暮らせる生活を手に入れるためにはお金が必要です。お金を稼ぐことが働く理由の根底にあるのは間違いありません。そのため、多くの労働者たちは報酬によって安全な生活ができることを望み、会社と労働者の関係も労働と対価だけで考えていた時代なら、金銭的な報酬だけで十分だったのかもしれません。
しかし、社会が成熟し、生きていく上での危険は減り、様々な生活必需品や衣服も非常に安価に手に入るようになってきた今の時代では、安全の欲求を満たすことだけでは足りなくなってきています。安全の欲求が満たされた人は、その上の欲求を求めるようになります。
それなのに、もしかしたら多くの会社は2段階目の欲求までしか満たそうとしてないのではないでしょうか。
全社員リモートワークでも社会的欲求は満たせる
生理的欲求、安全の欲求が満たされると、次は社会的欲求です。この欲求では、社会とのつながり、社会に必要とされている感覚、どこか集団に所属することや、誰かの役に立っていると感じることを求めます。
この社会的欲求は、会社という組織に所属することで満たすことができます。そのため孤立感を感じたり、歯車のように扱われるようになると、会社から人は去ってしまうでしょう。
私たちソニックガーデンの仕事は、顧問税理士のような顧問プログラマというスタイルで、各自が自分のお客様を抱えて、リモートワークで各自が離れた場所にいて働いています。そのため、会社で働くといっても、社員たちは孤独に働いているのだと思われがちですが、それは大きな誤解です。
社内では3〜5人程度のチームがあって助け合いをしています。基本的には自分が担当するお客様に関わる仕事はすべて自分が責任もって行いますが、作成したプログラムの品質チェックなどはチームの中で確認しあいます。また、お客様との打ち合わせではチーム内から2人1組になって参加しますし、休暇をとりたいときもチーム内で調整しています。
そして住んでいる場所はバラバラでも、毎日の仕事中は必ずバーチャルオフィスにログインするようにしていて、お互いの働いている様子や顔も見ることができるようになっているので、まるで普通のオフィスのように雑談をしたりしながら働いています。誰とも話さない日なんてなくて、毎日のようにテレビ会議をつないで話もしています。
全社員リモートワークの会社であっても、ツールを上手に使ったり、コミュニケーションしやすいカルチャーを作ったりすることで、社会的欲求を満たせる感覚を実現することができるのです。逆に考えれば、リモートワークを導入するなら、業務上のコミュニケーションだけでなく、社会的欲求の観点を忘れないようにすることがキモになるということです。
5段階の欲求をすべて満たすマネジメント
社会的欲求が満たされた次の段階は、承認欲求です。他者から尊重や尊敬されることにとどまらず、自己尊重感や、技術などの習得、自立性などを得ることで満たされる欲求です。より重要なのは他者からの評価に依存せず、自分自身による評価ということです。
どれだけ衣食住に困らず、安全に暮らせていて、社会との繋がりを感じていたとしても、自分のことを認められずにいると、劣等感や無力感を感じてつらい気持ちになると思います。
私たちのソニックガーデンの「納品のない受託開発」では顧問スタイルで仕事をするので、自分自身の仕事が直接お客様の価値になっていることを感じることができます。しかも多ければ毎週の打ち合わせで開発したものを披露して喜んでもらえるのです。
そして、取り組んでいる仕事は簡単なものではありません。日進月歩で新しい技術は登場し、お客様の抱える問題も簡単なものはありません。それに取り組んでいくことで、自分自身の成長を感じ続けることができます。
しかも、上司や管理職がいない会社なので、セルフマネジメントができて自立していることが求められます。とても難しいことではありますが、自立性を得ることができる環境です。こうした働き方ができれば、自己承認の欲求は満たされます。
最後の5段階が、自己実現の欲求です。自分の持っている能力や可能性を発揮して、自分自身を実現することで、それまでの欲求が足りないものを埋めていくものだとしたら、この欲求は満ち足りた上で成長を求めていくものです。
さすがに、この段階までを会社で提供するのは難しいように思えますが、私たちの会社では、評価をなくして給与はほぼ一律にしており、ベーシックインカムのようなものになっていて、その代わりに生産性をあげていくことで自分自身が好きなことに取り組む自由な時間を得られるようになっています。
その自由に使える時間を使って新しい事業を始めても良いし、学びたい技術に取り組んでも良い、仲間を助ける時間に使っても良いのです。その時間の使い方は、自己実現の欲求を満たすことに非常に近いのではないか、と考えています。
もちろん、これまでの連載で書いた通り、個人の時間もとても大事にすることで、個々人が自分の時間で自己実現などに取り組んでいけるのも良いと思います。そこに加えて会社で働く時間の中で、多かれ少なかれ5段階の欲求すべてに応えられるように報酬の形を考えてみることも、これからのマネジメントで求められることではないかと考えています。
次回の公開は11月5日頃を予定しています。