神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「個人データ」を基本的人権に格上げしたGDPR
2018年5月25日、GDPR(EU一般データ保護規則)が施行された。GDPRは「Googleも恐れる」と言われている個人情報規制で、「データ錬金術」と著者が呼ぶ通り、個人情報をお金に変えてきたGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などの企業に戦慄が走った。なぜ今このタイミングでそのような規制がうまれたのか。武邑光裕 『さよなら、インターネット』(ダイヤモンド社)は、GDPRを実感するためにベルリンに移住した著者が、その実情を紹介し、インターネットの未来を私たちに問いかける。
インターネットは私たちの生活の隅々まで浸透し、わざわざネットのすごさを口にする必要はもはやなくなった。検索一つにしても、単に消費者が主体的に検索をして欲しいものを求めるだけではなく、アルゴリズムが個人に合った消費の提案をどんどんと投げかけてくるようになった。
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厄介なことに、わたしたちが訪れるほぼすべての商用ウェブサイトは、追跡ベースの広告を呼び込み、個人データの抽出を経済化する装置となっている。そのためにアドテック企業は、わたしたちのビーコン(無線標識)を追跡する「工場」に莫大な広告費を投げ入れる。その工場のひとつがソーシャルネットワークだ。(P6-7)
「何でこれが欲しいってわかるの?」というつい数年前の驚きは、いつしか当たり前のものとなった。欲しいものは手に入るが、アルゴリズムによって、それを作り出した人間自身がデータのように扱われている。その状況に「待った」をかけたのがEUでありGDPRだ。
GDPRの基本骨格と、現代ドイツの社会情勢
GDPRはEU圏外の国にも及ぶ規制であり、日本の企業にとっても関係のある話だ。実際、2018年7月、ヨーロッパのホテル予約サイトに不正アクセスが起こり、そのサイトを利用して予約がなされた日本のホテルに対してGDPR違反の可能性が指摘された。
著者はGDPRの重要な規制を4つ本書の冒頭で挙げている。
1.忘れられる権利
2.データへのアクセスの容易性
3.データがいつハッキングされたかを知る権利
4.デザインによるデータ保護のデフォルト
EU圏内だけでなく、EUの企業・人々を顧客とする場合、こうしたデータ保護の理念を前提におかないと、製品製造やサービス提供ができない(高額な課徴金を支払う)ことになる。フェイスブックはGDPR施行に伴い、ユーザーデータの管理元をアイルランドから、アメリカに移転することになった。
GDPR施行を牽引したのが、ドイツの首都・ベルリンだったのは偶然ではない。東西冷戦中、東ドイツはシュタージ(秘密警察)による恐怖政治と社会主義計画経済で、壁で隔てられた西ドイツでは資本主義市場経済。その衝突が生み出した潮流は、いまだに渦巻いているのだろう。
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東西ベルリンを分断したイデオロギーの「壁」は、サイバー空間の「デジタル壁」(GDPR)に変化した。この壁が防御するのはデータなのか、プライバシーなのか?国家や地域が互いに対立し、小さな島に分裂、バルカン化する世界の中で、データの自由な移動は現代の移民難民問題とも重なっている。(P37)
同じヨーロッパでも、その時々、土地々々での気運というものがある。イギリスのEU離脱(ブレグジット)はフェイスブックなしではなしえなかったと言われているが、日本に住んでいてはやはりその感覚は体感できない。著者が現地の空気を感じるためベルリンに移住したように、渦中にいないとわからないことが本書には書かれている。人道的責任から難民受け入れを拒否しないことを表明したドイツは、難民との融和に悩まされている。そうした要因が、メルケル首相含め、ドイツの人々のプライバシーに対する考えを揺らがせたのだ。
「同調」「シェア」は、垣根をなくすのか?それとも殻をつくるのか?
様々な物事がシェアされ、社会は共感をモチベーションに動きやすくなった。その基盤を築いたツイッター創設者のひとりであるエヴァン・ウィリアムズは「インターネットは壊れている」という題名で、2017年5月にニューヨーク・タイムズ紙に記事を寄せたという。
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「誰もが自由に話せ、情報やアイデアを交換できるようになると、世界は自動的によりよい場所になるだろうと思った。ぼくはそれについて間違っていた」(P82)
「ホモフィリー」と「エコーチェンバー」という言葉がある。ホモフィリーは人が同じ価値観を持つ他者とつながりやすい傾向のこと。エコーチェンバーは、自分と同じような意見の人と交流を繰り返すことによって自分の意見が増幅されることだ。
エヴァン・ウィリアムズは、情報やアイデアが自由に交換されることによって、よりそれらが深まり多角的なものになっていくことを期待していた。しかし、実際にはどんどん壁が築かれ、その壁がうみだす心地よい響きの中で満足してしまう傾向が強くなっていったのだ。
私たちが考えていることに同調し、ジャストミートな提案をしてくれるように進化しているアルゴリズムやAIは、魅力的な消費の可能性を私たちに示してくれる。ターゲット広告は個人データの規制ができてもなくならず、むしろ、消費者が企業にすすんでそのデータを提供して、提供のみかえりに報酬を受け取るような未来がすぐそこまで来ているのだ。
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ターゲット広告に満足し、より精度の高い広告やAIからのアドバイス、さらには企業からの報酬を望む消費者は、自ら進んで個人データ(趣味嗜好からの行動履歴)を企業に提供するだろう。自己主権アイデンティティに基づく「意思の経済」は、思いのほか早期に実現される可能性がある。(P155)
同様の流れの中にある仕組みとして、ベーシックインカムがある。フィンランドは一部の人に月約7万円を支給する実験をしたが、2018年4月に取り組みは延長されないことが決まった。無担保で少額の資本を貸し出すマイクロクレジットの考案者で、ノーベル平和賞を受賞したムハンマド・ユヌスはベーシックインカムに反対だという。無形の「情報」を提供すれば個人の生活が支えられる、と言葉にするのは簡単だが、人間の尊厳や社会の健全性というのはそれだけでは保たれず、個々人の自発性が何より重要なのだということだろう。
著者は、2冊の古典を紹介している。オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932年)、ジョージ・オーウェル『1984年』(1949年)だ。
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『1984年』が描いたのは、人々は痛みを負いながら制御されている世界だ。『すばらしい新世界』では、彼らは喜びを与えることによって制御される。
オーウェルは、わたしたちが恐れるものがわたしたちを台無しにすると恐怖し、ハクスリーは、わたしたちが望むものがわたしたちを台無しにすると恐れた。(P225)
圧倒的に怖いのは前者だという、アメリカの作家ニール・ポストマンの意見に著者は同意する。私たちが今得ている喜びというのは、真の喜びなのだろうかという著者の静かな警告だ。GDPRの最前線を知りたい方だけではなく、ブロックチェーン技術(GDPRはブロックチェーン技術と相性があまり良くない)に興味がある方に最適な一冊だ。