CULTURE | 2019/02/01

Ustreamとはなんだったのか、今のリアルタイム配信文化とはどう違うのか|そらの×川井拓也×米田智彦

2007年にサービス開始(日本語版の開始は2010年)して以来、ライブ動画配信ムーブメントの先駆けとなった動画共有サイト...

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2007年にサービス開始(日本語版の開始は2010年)して以来、ライブ動画配信ムーブメントの先駆けとなった動画共有サイト「Ustream(ユーストリーム)」。高額な機材や高度な技術がなくても、誰でも簡単にライブ動画を制作・放送できるサービスとして世界中に普及した。

日進月歩が著しく、過去の記録が残りにくいウェブ業界において「10年前」となると相当昔の出来事のように思えてしまうが、当時、USTを活用して仕事の幅を広げていたのが、当時フリー編集者だったFINDERS編集長の米田を含むこの3人だった。

そらの氏は、株式会社SORA NOTEの広報担当「ダダ漏れ女子」として、ソフトバンクの孫正義氏とジャーナリストの佐々木俊尚氏の対談や、「朝までダダ漏れ討論会」、行政刷新会議など、世間の注目を集めるライブ放送を次々と配信。

そんなそらの氏の活動に刺激を受けた川井拓也氏は、Ustreamを使ってさまざまな生配信を手がけ、Ustreamerの育成に尽力するなど、瞬く間に第一人者として名を馳せた。

インターネットでのライブ動画コンテンツを世に発信し、活躍してきた3人が、動画黎明期に起きたムーブメントと、今日の動画ブームについて語り合った。

聞き手:米田智彦 文・構成:成田幸久 写真:神保勇揮

川井拓也

株式会社ヒマナイヌ 代表取締役

2010年にUstreamer養成講座を始め、のべ300人以上を輩出。マルチカメラ収録&配信ユニット「LiveNinja」と対談専用設計の「ヒマナイヌスタジオ」主宰。himagは「ライブドアブログ OF THE YEAR 2015」受賞。

そらの

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ライブ動画の番組制作、配信業務代行などを行う株式会社SORA NOTEで広報担当を務める。Ustreameを使った編集も加工もしない、ありのままを流し続けるライブ放送で、“ダダ漏れ女子”として一躍脚光を浴びる。2014年8月にSORA NOTEを退職。

孫さんに「Ustreamスタジオを作りましょう」とつぶやいて即決

―― YouTuberとかライバーとか、ネットでの動画配信による視聴者とのやりとりが全盛ですが、その先駆けが2009〜10年頃のUstreamでした。そらのちゃんは、なぜライブ中継を始めることになったのですか。

そらの:最初のきっかけとしては「当時勤めていたSORA NOTEのウェブサービスをプロモーションするいい手はないか」ということで始めたんです。当時はいち会社員だけどイベントやSNSに登場する、いわゆる“中の人文化”が出始めていて、サービス自体を“中の人”として、プロモーションしていこうという話になりました。その一環として、ウェブカメラとライブ配信サービスを使って仕事風景を「ダダ漏れ」し始めたのがきっかけです。

―― 最初は撮影・配信もトークまったくの未経験だったんですよね。

そらの:そうですね。本当に何もわからないし、どちらかというと話したり聞いたりすることも苦手な方でした。でも、上司から「これをやれ」って言われて、「よし、やってやる!」って(笑)。私も面白そうだなと思っていたので。

そらの氏

―― 川井さんは、Ustreamを始めたのはいつですか?

川井:2009年の年末ぐらいです。そらのちゃんがその年の5月ぐらいから始めて、セミナーの模様を配信しているのを見ていました。僕は自分のオフィスで「寺子屋ヒマナイヌ」というセミナーをやっていたんですが、それを「中継させてください」と来た女の子が、そらのちゃんだったんです。普通の女の子がライブ中継をして、それを何百人も同時に見ていて、「何だこれは!?」と思って興味を持ちました。僕はもともと映像プロダクション出身だったんですけど、Ustreamはノーチェックだったんです。こういう普通の女の子がぱっと中継できるのはすごいなと当時思いました。

―― そらのちゃんとの出会いがきっかけだったんですね。

川井:そらのちゃんを見て刺激を受け、自分も元々映像をやっていたわけだから、やらなきゃと思ってやりました。

―― 最初は何を中継していたんでしたっけ?

川井:事務所で鍋の上にカメラを付けて、そのままずっと1時間ぐらい中継していました。鍋に具材は入ってなくて、誰かが何か持ってきてくれないかなってやっていたら、知らない人が「白菜を持ってきました」っていう感じでやってきて、最後は30人ぐらい集まったんです。「PCで見た画面の向こう側に簡単に行けるんだ」って話題になったんですね。そういうことを通じてUstreamでは後発だった僕も、「あの人、面白いね」と受け止めてもらえたのがきっかけでしたね。

川井拓也氏

―― それでいろいろ中継するようになって、企業からも仕事が舞い込んでくるわけですね。

川井:2009年はまだ黎明期で、Ustreamは日本語化もされていなかった。でも、10年に、ソフトバンクの孫正義さんが出資してUstreamを日本に持ってくるという話が出てきて。

―― その時にUstream中継で、川井さんが「Ustreamスタジオを作りましょう」とつぶやいたんですよね。

川井:あの頃は、孫さんにTwitterでリプライすれば応えてくれるというのが話題になっていたので。「これはテレビへのカウンターカルチャーだから、誰でも使えるスタジオを作ってください」とつぶやいたら、30秒後に「了解、やりましょう」と返事がきたんです。記者会見で発表される直前だったんですよ。孫さんが舞台裏にいる時にわーっと話題になっていて、「やりましょう」となって、それで渋谷にスタジオができたんです。

―― 僕は当時、フリー編集者だったんで、そのやり取りを観た瞬間からUstream本の企画書を書き始めました(笑)。結果、世界初?のUstream本を川井さんが執筆して僕が編集して世に出ることになりました。

ライブの生々しさとたどたどしさがよかった

米田が企画・編集に携わり、2010年に発行された2冊のUstream本。左が『USTREAM“そらの的マニュアル” ダダ漏れ女子が贈る世界一分かりやすいユーストリームのトリセツ』(インフォレスト)、右が川井拓也『USTREAM 世界を変えるネット生中継』(SBクリエイティブ)。

『USTREAM“そらの的マニュアル”』はUstream放送を始めるためのマニュアルとそらの氏のファンブックを足して2で割ったような内容だが、インターネットカルチャーに関する「ネットの記事」は時間の経過と共に消えてしまうことが多く、当時の雰囲気を伝える貴重な記述も多い。本記事もおそらくいつかは消え去ってしまうと思われるので、貴重だと思ってくれた読者はぜひInternet Archiveあたりに保存しておいてほしい。

―― Ustreamは誰でも簡単にライブ動画を公開できるようになった感動、喜び、衝撃はすごかったですよね。

川井:人が音声を伴ってしゃべっていたり、対談していたりするのは「文字と写真」よりリアリティがあったから、観ているとみんな会ったような気分になっていくよね。そらのちゃんを視聴者として観た時は、親戚みたいな気持ちで「がんばれ!」と応援していましたからね(笑)。

―― ライブにおける生々しさ、たどたどしさが応援したくなる気持ちを視聴者に与えてましたね。

川井:「生々しさとたどたどしさ」というのはいいね。それはキーワードかもしれない。

―― Ustreamの登場から8年ぐらい経って、今はYouTube Live、Facebook Live、Instagramのライブなどいろいろ動画のサービスが出てきました。

川井:そうですね。今は3周目ぐらいなんじゃないですかね。1周目がニコ生、Ustreamの黎明期で、ビデオカメラ1台で発信ができるようになった時期。2周目はAbemaTVなんかによる「番組」が始まってTVバラエティ化していく。今はもう1周して、うちのヒマナイヌスタジオもそうだけど、映像とかメディアを作っているだけじゃなく、場所をすでに運営している人たちが、その場所で行っている様子を可視化するために自動スイッチングスタジオでやる。そういう流れがあって3周目ぐらいみたいな感覚。テレビごっこが2周目であって、そのテレビごっこに飽きた人が、ちょっとまたライブ配信の可能性について熱気を帯びてきていると感じます

―― SHOWROOMやYoutube Liveのスーパーチャットなど、誰でも気軽に“投げ銭”スタイルで動画配信ができるようになってきています。8年ぐらい前は、配信だけでお金を集めることはできませんでしたよね。クラウドファンディングもまだなかったし。

川井:そうだね。とにかくわーっとしゃべって、みんなのタイムラインの相手をして、歌って、投げ銭で食っていけるという今の時代はすごいよね。集金システムと合体したことで食える人が現れた。食えるというのは、どのレベルかも人によっていろいろだけど、楽しくやれるようになったよね。

そらの:今はゲーム実況でも生活していけますからね。すごいです。

川井:YouTuberは編集がどうしても介在するから編集の技術が必要だけど、ライバー系はとにかくその場所でしゃべり続ける、みんなをいじり続ける、感謝し続けるとか、あれでチャリンチャリンいくもんね。おじさんには無縁のメディアだね。

そらの:今は私も無縁ですね(笑)。

川井:樹形図の一部にはなっているだろうけど、今はもう分岐しすぎてるから(笑)。

―― でも、ライブ配信の元祖はお2人じゃないですか。いま無縁なのはなぜだと思います?

そらの:私はUstreamでいろいろありましたので…。わーっと盛り上がることはできたけど、その先のビジネスモデルまで確立させられなかった。ライブはその時に楽しいのはいいけど、動画は結局、アーカイブメディアになってくるんじゃないかという思いもあって、私はYouTubeに移りました。短い動画で商品を紹介するようなことをやっていくようになったんです。

―― YouTubeで動画も続けていたんですね。

そらの:会社を辞めるまではずっとYouTubeをやっていました。今は興味があるものを探す時に、必ず解説動画がある時代じゃないですか。何かを紹介する手立てとして、広告代理店の人と作ってみたりもしていましたね。

―― YouTuberの短い動画と、Ustreamのダダ漏れの長い動画には歴然とした違いがありましたね。

そらの:そうですね。

川井:ライブの醍醐味は、どうなるかわからないとか、コメントを拾ってくれて話の流れが変わるかもしれないとか、スリリングさがある。そういう予測不可能性があった。編集は何を見せたいかが決まっているから、構造的に予定調和的にならざるを得ない。10秒、20秒の第一印象で離脱するかしないかという、わりと既存のメディアに近い。僕がいまだにライブをやっているのは、やっぱりそのスリリングさこそが魅力だと思っているからだと思う。

―― 一方でライブは集中力を使うし、あとで修正もできない。この鼎談で写真を撮ってる編集部の神保はずっと編集前提のテキストメディアしかやってこなかった人間だから、「むしろ編集作業の方が『ここが魅力だ』っていう場所が最初からわかってるから、気持ち的にラクだ」っていう話をしていたりするんですよ。

川井:でも編集が要らないということは、自分の拘束時間はライブの時間だけで済むということでもあるんだよね。自分の性格的には、1日で完結する仕事が気に入っているんです。編集が得意な人は編集が好きなわけだし、僕はライブで精度を上げる、マルチカメラのスイッチングをすることが好きという、わりとビジネスライクなところかもしれないですね。編集しだしたらキリがないし(笑)。映像だと長く撮ってつまんでいくというのは、ドキュメンタリーみたいに膨大な作業になっちゃいますからね。

Ustreamの頃の出会いは一番の財産

―― 2017年、Ustreamの一般向けサービスが終了した時は悲しかったですか。

川井:その頃はもうUstreamをやっていなかったので、忘れていましたね(笑)。

―― YouTube Liveに移っていた?

川井:僕はプラットフォームを移っているという意識はあまりなくて、単純に裏方だから中継しない仕事でも何でもいいわけですよ。だから、Ustream自体には正直そんなに思い入れはないんです。自分がブレイクしたきっかけとしてUstreamがあったわけで、元気がなくなったら早々に使っていなかったし、そういう意味ではそんなに悲しいという思いはなかったですね。

でも、Ustreamを通じて出会った人たちは多かった。いろいろな人と出会えたのが面白かった。Ustreamの頃の出会いは一番の財産だったと思う。ライブメディア1期生、みたいな感じがUstreamだったのかも。

―― あの頃を総括するとしたら、どういうことが浮かびますか?

川井:やっぱりネットが動画の時間軸を持って、かつそれがリアルタイムという時間軸を持ったというのが衝撃だったんじゃないですかね。「これ、生放送なの!?」「え、今やってるんだ!?」みたいな。そういうものはテレビの特権だったりしたからね。

1対nで発信して、それが「どこかの今」だということにみんな熱狂したし、その熱狂した後にいろいろなものに分かれていったという、最初の発火点は確かにUstreamだったなという感じだよね。

―― そらのちゃんはいかがですか?

そらの:当時のライブ配信と今のライブ配信は、全然違うじゃないですか。まだスマホが普及していない時期でほとんどの人がパソコンで観ていたし、こっちもパソコンで配信していた。ライブ配信を観るというのが、まだ少し体力を使うものでした。ずっと構えて観ていなくちゃいけなくて、何か面白いことが起きたとしても巻き戻せないから、じっと集中して観ていなきゃいけなかった。

川井:同時に同じことを体験する最初のきっかけだったよね。観ている側からすると、今起こっていることを何百人で、あの当時はまだ何千人、何万人が見ていた。ライブでそれを見ると、何かその場で起こってきたことを体験できた。何となく共感意識で、同じものを観ていた。

―― 仲間意識みたいなね。

川井:仲間意識が面白かったね。文字列だけのTwitterではああはいかなかったし、当時はブログもあったけど、もう少し温度が低い。ライブならではの熱気と共有意識、共犯意識、共感意識を感じましたね。みんなが熱中した理由はそれじゃないかな。

「自分の身だけは守ってほしい」といつも思います

―― 今の若い配信者の状況をどう見ていますか。

川井:「いいなあ。僕も若い女の子だったら儲けたい、投げ銭で食っていきたい」みたいな(笑)。

そらの:今の人たちはすごいですね。あんなに自分をさらけ出して。「自分の身だけは守ってほしい」といつも思います。何かあったら大変ですよ。どうやって身を守っているのかということはとても気になりますね。

川井:当時の2ちゃんねるとかも実は小学生が大人に説教していた、みたいな話もあるじゃない。中が見えない、中に入っている人は分からない。今後はライブ配信でもそうなってくるんじゃないかな。子どもだけど、すごい博識のVTuberがいたり、おばあちゃんが実は中に入っていたりするけど、見た目は女子高生みたいな。そういうのは面白いよね。もはや、自分が何歳で何者でどんなバックグラウンドがあるかは関係なく、ネット上でコミュニケーションできる。

そらの:アバターの世界ですね。

川井:時代によって、それに熱中している人の人生をわりと変えるよね。友達とか恋愛とか、そういう出会いを含めて、SNSもmixi時代にわっと集まって、「楽しかったね、仕事が生まれたね」というのもあるし。それがTwitterになって全然知らない人とイベントで盛り上がって飲んだねというのもある。

―― それがFacebookになって、 さらに次世代のSNSになってと移り変わっていく。

川井:5年ずつぐらいで変わっていく。VRもそうだしVTuberもそう。ライブもそうだけど、それぞれの時代に夢中になった人の人生を変えるんだろうね。

―― 少人数制で話すようなツイキャスは、いまだに根強い人気ですね。

川井:サロンだよね。

―― 一種のサロンですね。Ustreamもサロンみたいな感じでしたよね。

川井:そういう意味では、今オンラインサロンがちょっと流行っている。まだホリエモンみたいな有名人じゃないとできないぐらいだけど、50人いれば成り立つ人もだんだん出てきている。そういう人たちがオンラインサロンの中で今の言葉を伝えるのにライブ配信がいいから取り入れよう、みたいなことになるよね。