CULTURE | 2023/07/04

「実名」と「この私の身体」で生きなくてもいい未来がすぐそこに。「フィジカルな私」がデジタルで生き続けるweb3時代のアイデンティティ

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古来より「八百万の神」の存在を信じ、「キャラクター/アバターの人格」も尊重...

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古来より「八百万の神」の存在を信じ、「キャラクター/アバターの人格」も尊重することが自然となされている日本では他国に先駆けて達成しつつあると言えるのかもしれないが、デジタル空間上で生活や仕事がまかなえるようになればなるほど、「実名」や「フィジカルな自分の身体」で活動しなければならない必要性は薄れてくる。

もちろん「実名」や「フィジカルな自分の身体」に愛着があり、楽しく生きていける人はそれでも全く問題ないわけだが、自分の身体にコンプレックスがある、あるいは人種・年齢・性別などによって差別を受けているなどして「生きづらさ」を抱えてしまっている人も少なからず存在してしまっているのも事実だ。

多くの人にとっては「職場での自分」「趣味コミュニティでの自分」が結構違った存在して見られているのと同じように、見た目や名前もコミュニティによってもっと自由に扱える(し、しなくてもいい)テクノロジーや文化圏がweb3時代には育ちつつある。

※本記事は7月1日に出版されたcomugi『デジタルテクノロジー図鑑 「次の時代」を作る』(SBクリエイティブ)に収録されたコラムを再構成して掲載しています。

comugi

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シンガポール拠点のweb3ファンド「Emoote(エムート)」共同創業者。ビジネス書の編集者、グローバルWebメディア日本版の編集長を経て、現職。ベンチャーキャピタルのリサーチャーとして、web3をはじめとしたデジタルテクノロジーの最前線を追う。新旧のデジタルテクノロジーに精通し、全体像を直観的に把握できるシンプルな図解と、平易な言葉による「誰にでもわかりやすい解説」に定評がある。Twitterやブログなどを通じて、デジタルテクノロジーに関する最新情報を発信中。
●Twitter https://twitter.com/ro_mi

デジタル世界で複雑多様化するアイデンティティ

私たちの活動圏が、リアルな世界からデジタルな世界に移るほど、「私」 という 1人の人間のアイデンティティは、複雑かつ多様になります。 

たとえば「仕事」1つをとっても、リアルな世界では多くの人が「○○社の社員」「○○団体の職員」という具合に1つの組織に属しています。リアルな世界で、私たちが自分の「アイデンティティ」として当たり前に感じているものの多くは、企業(社員証)、社会(身分証)、国家(パスポート)という社会制度に取り込まれる中で、知らないうちに刷り込まれてきたものに過ぎません。 

しかし「DAO」「DO」といった分散型の組織が登場している web3では、 1人の人間がいくつものプロジェクトを掛け持ちするのが当たり前です。 しばしば国境をも容易に越えてしまいます。つまりは1つの組織に「所属」する、固定されることから自由になる。非中央集権的、分散型の世界では、個人の存在もまた非中央集権化、分散化する、というわけです。メタバースが普及すれば、この流れはさらに加速するでしょう。

そしてデジタル世界では、リアル世界の「社員証」「身分証」「パスポート」などではなく、ブロックチェーンにひもづいたウォレットやSBT(ソウルバウンド・トークン)が個人のアイデンティフィケーションとなり、また、NFT アートのPFP(プロフィールピクチャー)、メタバースのアバターが「私」を表象するものとなっていきます。

web3では「ニックネーム」が基本

リアル世界の縛りから脱するのは「名前」も同様です。 

国家、会社、銀行、学校、病院などでは、当然ながら、「私という人間」は、物理的な身体を持つ「私の実名」にひもづいています。また、ウェブ上のものでも、ECサイトなどフィジカル性を伴う(物理的な商品を人間に届けなくてはいけない)サービスは、「実名」と切り離せません。また、「実名登録」を基本とするFacebookのようなSNSもあります。

このように、どこまで行っても「実名」がついてくるのがWeb2までの世界。インターネットが普及するにつれて、「Google八分(デジタル上の存在が消される)」などのビッグ・テックの権力化、過去の炎上や黒歴史がいつまでも残る「デジタルタトゥー」や「忘れられる権利」の問題、AI画像検索などテクノロジー進歩によるプライバシー問題......と、新たな問題も起こってきました。

それがweb3、そしてメタバースの比重が大きくなると、大きく変わる可能性が高い 。web3には偽名・ハンドルネームを意味する「Pseunyms」というキーワードがあり、場所ごとの「ニックネーム」が主流になっていくと考えられます。ゼロ知識証明で本人の「魂(ソウル)」は認証できますが、個人を表す「名前」もまた非中央集権化、分散化するというわけです。すでに「バーチャルYouTuber(VTuber)」として活躍する「中の人(魂)」 は、メタバース空間における1つのロールモデルです。私があえて「comugi(コムギ)」という名前でNFTアバターを持って活動しているのは、web3のカルチャーを身をもって体現したいから、というのが一番の理由です。これまでも、インターネット上でニックネームを使う人は大勢いましたが、「本当は誰なのか(いわゆる「中の人」)」がわからなくては「信用に欠ける」と判断されます。しかしweb3では、そのようなことは気にしません。デジタル上で何をしたか(活動)が大切です。ブロックチェーンの開発者、サトシ・ナカモトからして「何者か」は判明していない。それでも、彼は「画期的な論文を書いた」と称賛され、この画期的なテクノロジーをみんなが信用し、その上にクリプトエコノミーやweb3のカルチャーが築き上げられています。

「リアル世界の自分」に縛られないメリット

今、見てきたように、web3、メタバースというデジタル世界における 「私」がリアル世界の「私」に縛られないことには、いくつかメリットがあります。たとえば、身体的な特徴に基づく「見た目」や「属性」だけで判断されなくなる/しなくなること。リアル世界で 、差別のないインクルーシブな社会づくりの歩みが遅いのは、個人が人種、年齢、性別といった見た目や属性に囚われており、多かれ少なかれ、所属する集団に対するバイアスが働いてしまうのが人間というものだからでしょう。分散化したアイデンティティならば、バイアスを互いに排し、純粋に「その文脈上 (コミュニティやゲームなど)でつながった者同士」として活動することができます。

また、リアル世界の「私」の所属や肩書を離れると、今までは発揮できなかったクリエイティビティを発揮できる、という側面もあります。アイデンティティが固定されないことで、さまざまな文脈で存在し、ときには能力を発揮することができるわけです。他にも、見た目や出自に左右されずに自分をデザインできる、「見た目」と「名前」を変えることで、 いつでもイチからやり直すことができる、メタバースごとにアイデンティティを変えられる(いくつもアイデンティティが持てる)メリットを思い浮かべると、Web2までの世界よりも、はるかに「人権」のようなものが守られ、ひとりひとりにとって生きやすい空間がデジタル上に構築できるのではないかと思えてくるのです。

では、「デジタルな私」が大きくなったら、もとの「フィジカルな私」 はどうなるのでしょう? 結論からいうと「デジタルな私」と「フィジカルな私」は限りなく近くなっていくと考えられます。多くの人にとって、スマホは、もはやなくてはならないハードウェアです。スマホが見当たらないと、居ても立ってもいられなくなる......これは、すでにスマホが「自分の体の一部」のようになっているからでしょう。 

パソコンからスマホに移り変わり、デジタルデバイスは、より自分の身体に近いものとなりました。それがメタバースのヘッドマウントディスプレイになった日には、もはや「体の一部」どころではなく、デバイスを身につけた体ごとデジタル空間へ主観的に「没入」することになります。  アバターなどで表象された「デジタルな私」が、「フィジカルな私」もろともデジタル空間に入り込み、さまざまな経済・社会・文化活動をする。 それが当たり前になる未来は、確実に近づいていると思います。


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