FINDERS

マレーシア人が日本で『FF15』制作に携わりながら学んだ「多国籍チームで成果を出す秘訣」【連載】マッキャンミレニアルズ松坂俊のヘンなアジア図鑑(4)
  • BUSINESS
  • 2021.04.05
  • Twitter
  • facebook
  • LINE
  • はてブ!

マレーシア人が日本で『FF15』制作に携わりながら学んだ「多国籍チームで成果を出す秘訣」【連載】マッキャンミレニアルズ松坂俊のヘンなアジア図鑑(4)

ワン・ハズメーさん(写真左)と筆者(写真右)

今回はマレーシアの独立系ゲームスタジオ「Metronomik(メトロノミック)」を立ち上げ、2020年に初作品である『NO STRAGHT ROADS(ノー・ストレート・ロード)』をリリースしたワン・ハズメーさんとの対談をお届け。

対談でも語られている通り、ハズさんは溢れる「ゲーム作り愛」を携え日本語学習もそこそこに単身来日、誰もが知る有名メーカーのスクウェア・エニックスに入社し、リード・ゲームデザイナーとして『ファイナルファンタジーXV』の制作に携わり、その後はマレーシアに帰国し従兄弟であり『ストリートファイターV』のコンセプトアーティストだったダイム・ゼィアウディンさんと2人で起業。約3年をかけて初のオリジナル作品『NO STRAIGHT ROADS』を作り上げ、世界各国でインディーズゲーム(大手メーカー以外がリリースするゲームの総称)のアワードを受賞し、日本のゲームメディアからも「なんとも新鮮で、とにかく気持ちいい」「音をしっかり聞いてボタンを押す『SEKIRO』」などと好意的に受け入れられている。

マレーシアでクリエイティブ業界で知らない人はいない国民的ゲームクリエーターであり起業家。自分もマレーシアで起業をした身なので、ハズさんはいわば“先輩”。多国籍チームでスタートアップを成功させるためのマネジメント方法もぜひ聞きたく、話をうかがいました。

構成:神保勇揮

ワン・ハズメー(Wan Hazmer)

Metronomik
創業者/CEO/ゲームディレクター

1980年、クアラ・ルンプール生まれ。プログラマーとして地元の広告代理店に勤務、自作のフラッシュゲーム開発を経て2008年に来日。1年半で日本語を習得し2010年にスクエア・エニックスに入社。ファイナルファンタジー零式ではゲームプランナー、ファイナルファンタジーXVとモンスター オブ ザ ディープ: ファイナルファンタジーXVではリード・ゲームデザイナーを務める。2017年12月にマレーシアに帰国しMetronomikを創業。2020年8月にデビュー作となるNO STRAIGHT ROADSを発売し発売初日で黒字化を実現。

松坂俊

トイエイト 創業者/CCO
マッキャンマレーシア デジタル クリエイティブ ディレクター

1984年、東京都生まれ。イギリスで美術大学を卒業後、外資系広告会社マッキャンエリクソンに入社。2015年、マッキャン・ワールドグループ国内外の1980年~2000年代前半生まれのメンバーで構成されるユニット「マッキャン・ミレニアルズ」を立ち上げる。2017年よりマレーシアと日本の2拠点生活を開始。2018年より「すべての子どもが才能を発揮できる世界をつくる」をミッションに掲げるエドテックベンチャー、トイエイトを創業。

日本語もほぼ話せないまま来日し、スクエニに入社

松坂:ハズさんは、どんな流れでゲームクリエイターになったのでしょうか?

ハズ:最初は大学を卒業してマレーシアの広告会社IF INTERACTIVEという会社でプログラマーとして4年間ぐらい働き、広告コンテンツの1つとしてインスタレーション・アートを作っていました。例えばマイクロソフトの「キネクト」みたいな感じで、赤外線カメラを使って人の動きを読み取る展示ですとか。

松坂:日本で言うとチームラボ的な会社ですね。ちょうど「インタラクティブ広告(広告内にビデオやゲームが入っており、ユーザーが実際に触って楽しめるもの)」が流行っていた時期でした。

ハズ:はい。元々は大学でもゲームデザインを勉強したかったんですけど、1997年、98年ぐらいはそうしたコースがマレーシアにはなくて、だから仕方なくプログラミングを習ったんですね。でもどうしてもゲームが作ってみたくて、仕事でも無理やりそういう企画を提案していました(笑)。

例えばディスカバリーチャンネルの案件で、ビデオゲームの歴史の番組をベースにしたFlashゲームを作ったこともあります。そうした積み重ねを経て「Jayis Games」という、お題を与えられて1カ月でFlashゲームを作るというグローバルなコンテストに出場し、2007年には3位を獲って、08年には優勝しました。

松坂:それはすごい。 

ハズ:ただ、コンテストで優勝するだけじゃ仕方ないなというか、自分の企画で作りたいゲームを作るだけじゃなく、もっと自分の限界を試されるような他人企画のゲームを作りたいと思って、当時は紀伊國屋書店でゲームデザインの本を買って勉強していました。

松坂:紀伊國屋書店はマレーシアに大きい店舗があるんですよね。

ハズ:ただ英語の本は欧米のゲーム業界の話ばかりで日本の事例がほとんどない、自分にとってブラックボックス状態だったんです。「じゃあ自分が業界に入ればわかるかな」と思って日本に行っちゃおうと。当時日本語がほぼ話せなかった自分が「プログラマーだったら日本語がそこまでできなくても大丈夫だけど、ゲームデザイナーになるにはまずは日本語が必要だなぁ」と思い、あまり計画無しで日本まで来て、1年半日本語学校に通いました。

当初の自分の目標は「日本語でゲームの企画書が書けてプレゼンできるようにする」だったので、まずは英語で10ページ分書いて少しずつ翻訳していく、ということをやっていましたね。1年半かけてその企画書が完成して、いろんな会社に送りました。そこから、いきなりスクウェア・エニックスさんから連絡が来て、3回ぐらい面接を受けて2010年に入社できたんです。

松坂:なるほど。ちなみに就活当時に書かれたハズさんの企画書はどういう感じのものだったんですか?

ハズ:オンラインゲームというか、MMORPGというジャンルの企画書です。当時のMMORPGはクエストを受けて報酬をもらう、という作業の繰り返しばかりがメインだったので、ヒーローの騎士を選んだらストーリーの展開につれて村に自分の像ができたり、悪役の騎士になったら村を滅ぼしたりとか、そういう変更がそれぞれの世界であって、今で言うところの『あつまれ どうぶつの森』みたいな感じでパラレルワールドにいるプレイヤー同士が行き来できるといったような、シングルプレーヤーRPGのエクスペリエンスがきちんとあるMMORPGを作りたいという内容でした。

松坂:採用された理由は、後々考えて何だと思いますか?

ハズ:正直わからないですが、入社後に橋本真司さん(同社の専務執行役員で、『ファイナルファンタジー』他数多くの有名タイトルのプロデューサーでもある)に聞いたのは、日本に無い文化に対する知見を取り入れたい意向があったとのことでした。日本の文化にも他国の文化にも等しく興味があって、だから日本人だけではできないことができるようになるんじゃないかと考えていたみたいです。最初に聞いた時はびっくりしました(笑)。

松坂:スクウェア・エニックスは組織のダイバーシティを上げてプロダクトをもっと広く世界に売っていきたいという戦略があると聞いたことがあります。

ハズ:そうなんです。ちなみに、僕が最初に担当したプロジェクトは、『ファイナルファンタジーヴェルサスXIII』でした。今では『ファイナルファンタジーXV』として発売されているタイトル(当初はFF13シリーズ作品のひとつとして企画されたが、その後紆余曲折がありFF15に改題された)ですね。

入社してからは1年ぐらい『ヴェルサス』でレベルデザイナー(ゲーム内のマップ・建物など、プレイヤーが操作できる空間をデザインする仕事)として、そのあとは半年ぐらいヘルプ要員としてPSPの『ファイナルファンタジー零式』の開発に入り、ヴェルサスが正式にFF15として開発されることになってからはリード・ゲームデザイナーとして働いていました。

次ページ:「外国人である自分」が日本人と一緒に働く時に気をつけたこと

1 2 3 4 >
  • Twitter
  • facebook
  • LINE
  • はてブ!
  • FINDERS_twitter

SERIES

  • あたらしい意識高い系をはじめよう|倉本圭造|経営コンサルタント・経済思想家
  • 阿曽山大噴火のクレージー裁判傍聴|阿曽山大噴火|芸人/裁判ウォッチャー
  • テレビの窓から
  • サム古川のインターネットの歴史教科書
  • 高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」|高須正和|Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
  • 中川淳一郎の令和ネット漂流記|中川淳一郎|ウェブ編集者、PRプランナー