CULTURE | 2021/03/10

アートを起爆剤に被災地の復興なるか?「OVER ALLs」×有志による、双葉町アートプロジェクト【特集】3.11あれから10年

東北を中心に東日本全体を襲った大地震から10年が経つ。
同時に津波による原発事故が発生し、放射性物質の影響で「帰還困難...

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東北を中心に東日本全体を襲った大地震から10年が経つ。

同時に津波による原発事故が発生し、放射性物質の影響で「帰還困難区域」となるエリアが続発した。そのひとつが、福島第一原子力発電所の5号機と6号機が置かれていた福島県・双葉町だ。

10年近く経た2020年3月、ここにきてようやく震災後のひとつの区切りとして、「帰還困難区域」の中で最初に双葉町が解除された。

それを受けて同年年末、双葉町出身の飲食店経営者の髙崎丈氏と、アート事業を展開するOVER ALLsが、人気がなくなり、活気を失った双葉町にアートを描くプロジェクト「FUTABA Art District」を実施。

OVER ALLs代表取締役社長の赤澤岳人氏、取締役副社長で画家の山本勇気氏、そして双葉町出身の髙崎丈氏に話を聞いた。

取材・文・構成:庄司真美 写真:駒田達哉

人が消えた双葉町とコロナ禍のソーシャルディスタンスがリンク

(写真右)福島県双葉町出身で、三軒茶屋の居酒屋「JOE'S MAN2号」オーナーの髙崎丈氏。

―― 赤澤さんがたまたま訪れた三軒茶屋の居酒屋「JOE'S MAN2号」で、オーナーの髙崎さんと知り合ったことが、今回のプロジェクト「FUTABA Art District」につながったんですよね?

髙崎:そうなんです。とりとめのない話をする中で、赤澤さんがアートの仕事をしていると聞いて、これだ!と思いました。ダメ元で僕の実家が福島県の双葉町というところで、これからの復興の狼煙として町に絵を描いてほしいと頼んだのが、最初のきっかけです。

見本にしたのは、アムステルダムにある「NDSMワーフ」という観光地。元は港の造船所だったところが廃墟となり、そのエリアをアートの力で観光地化した場所です。その中心人物のエヴァ・デ・クラークというアーティストが来日した時、日本酒のレクチャーをするために呼ばれてその話を知りました。以来、そのすばらしい活動が、双葉町とリンクするようになりました。

赤澤:髙崎さんとお会いした時、OVER ALLsでは、コロナ禍にロミオとジュリエットをテーマにアートを発表していました。

原発事故による放射性物質の問題で、長年住み慣れた街から離れなければならなかった双葉町の方々と、コロナ禍でソーシャルディスタンスを余儀なくされた現状がリンクしたのです。

OVER ALLs代表取締役社長の赤澤岳人氏。

最初はお話を受けて、双葉町にロミオとジュリエットのアートを描きに行くプロジェクトができたらクールだよねというノリから始まりました。僕らも以前、元は工場や倉庫街だったLAの再開発計画の一環として創られた「アートディストリクト」を現地で見て、絶対に日本でも実現したいという思いもありました。

ただし、髙崎さんからぜひとオファーをいただいたものの、僕たちが描きたい絵を闇雲に双葉町で描かせていただくことが、不躾なようにも思われました。僕らは生まれも育ちも関西ですし、東北は縁もゆかりもなく、ほぼ行ったことのない所だったからです。

山本:震災の被害はもちろん、二次災害として原発事故に苦しめられ街を奪われた経緯を考えると、そうした場所で絵を描く以上、生半可な気構えで簡単には描けないぞと思いました。でも、逆にこれを実現できたらすごくいいものになるだろうというイメージはありましたね。

―― 震災後、人の気配がなくなってしまった双葉町で絵を描く心境はいかがでしたか? 

山本:すぐ横で除染作業がされている状況も含めて、とにかく初めて目にする景色でしたね。

OVER ALLs取締役副社長で画家の山本勇気氏。

僕も中学生の時に阪神淡路大震災を経験していて、その姿は今でも記憶に残っています。身近の建物が倒壊し、火災も目の当たりにしましたが、後々きれいに再建されていくのも見ています。

双葉町の場合は、震災から時が止まり、そのまま取り残された状況がまるで映画の世界のようで現実感がともなわず、異常な感じがしましたね。

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