激化する中国包囲網の中で日本が取るべき選択は?
「中国の経済や政治体制が崩壊するかも?」というのはここ20年ぐらい、特に日本のかなり保守的な言論グループの中から何度も言われてきたことですが、結局実現せずにきました。
しかし、ここ二週間ぐらい、もっと冷静な中国ウォッチャーや、国際政治学者さんなんかが、「本気で中国崩壊するかも?」というようなことをSNSで発信しているのを見るようになりました。
直接のきっかけは6月末に香港での反体制活動を禁じる「香港国家安全維持法」が公布されたことに関して欧米社会との対立が深まっていることですが、それ以前から、いわゆる中国の「戦狼外交」と呼ばれる全方位的に喧嘩を売っていく態度がここ最近止まらなくなっており、ある種の「恫喝中毒」みたいになってしまっていることがあります。
米中の覇権争いの結果としての米中冷戦が始まって、「国際協調」的な路線をとにかく敵視するトランプ大統領の強引な「アメリカ・ファースト」方針に欧米諸国では反発を感じる人も多いこともあって、中国は以下の絵のように、普通にしてれば国際協調の中心になることすら可能なように見えた時期もありました。
確かに武漢市における当初の新型コロナウィルス感染拡大を習近平政権は隠蔽しようとしたわけですが、民主主義社会でもこの種の問題に必ずしも機敏に対処できるわけではないことが全世界的に露呈してしまっている現在では、普通に謝って普通に振る舞っていれば、それほどの悪材料にはならなかったのではないかと思います。
新型コロナウィルスに対する学問研究的にもマスクや医療物資などの供給においても「普通に貢献」していれば、むしろものすごく株を上げるチャンスだったはず。
それが、火事場泥棒的に周辺諸国に軍事的圧力を加えまくったり、マスク供給と引き換えにファーウェイ製品を入れろと恫喝したり、「コロナウィルスはアメリカ由来だ」とか何言ってるんだコイツは的なことを言う外交官がいたり、感染対策に悪戦苦闘する各国政府を悪し様に批判したりしているうちに…。
いつの間にか、米中対立は決定的な制裁モードですし、カナダなどもかなり対中姿勢を悪化させており、アメリカほどではなかった欧州諸国もそれに続きつつあります。
新型コロナ禍が世界的に拡大していった当初、日本と中国が支援物資に漢詩を添付してワチャワチャと親善していた頃には、想像もできなかった状況になりつつあるわけですが、この状況下で、日本は国としてどういう態度を取っていくことで、この東アジアを中心とした世界の混乱を収めることができ、日本にとっての国益をちゃんと確保することができるのか?という記事を書きます。
そのためには、この種の問題が混乱に繋がる根本原因としての「制度間の利ザヤ取り問題」という視点を考えてみる必要があります。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。
1:20世紀からのリベラル派の病=自国政府のどんな小さな問題も許せないが、強烈に抑圧的な外国はむしろ賛美してしまう問題
「制度間の利ザヤ取り」とは、中国ウォッチャーのジャーナリスト、福島香織さんが翻訳された、何清漣『中国の大プロパガンダ』(扶桑社)という本に出てくる概念です。
「利ザヤ取り(アービトラージ取引)」とは、例えば同じ株式の東京市場とニューヨーク市場での価格に差があれば、その間を右から左に転売することで利益を得ることです。
つまり「制度間の利ザヤ取り」とは、徹底的に言論の自由が抑圧されている外国社会における美化された理想を持ってきて、果てしなく自国の政権をぶん殴り続ける言論と政治運動だと言えるでしょう。
単純にいうと、
という問題です。
これは歴史的にありとあらゆるところで、特に20世紀以降繰り返されてきた問題で、日本においても中国の文化大革命を称賛したり、北朝鮮が地上の楽園だと喧伝したりするムーブメントに大新聞が積極的に関わっていた時代がありましたね。
考えてみてほしいのですが、20世紀後半頃の中国や北朝鮮なら、「ムカつく自国政府を思う存分叩くためのネタ」としてユートピア幻想を引き受けてもらっても「無害」だったかもしれません(実際にその国に住んでいる人たちにとっては災厄そのものでしょうが)。
しかし現代は、すでに今後10年か20年で世界一の経済大国になるかもしれない国と、実際に核ミサイルを配備していつでも発射できる国になってしまっているわけですよね。
そうなると、先進国内のリベラル派による「甘やかし」が、「自由と民主主義世界」の存続を根底的に脅かしてしまう可能性が出てくるわけです。
「自由主義社会の中の自国政府を叩きたいために、別の強烈に抑圧的な体制の外国政府を称賛する」を繰り返しているうちに、その「強烈に抑圧的な体制の政府」自体が、「自由主義社会」全体を凌駕し、征服しにくる可能性すら出てきているわけですからね。
日本におけるリベラル派は香港問題が激化するにいたって“やっと”非難の声を出すようにはなりましたが、すぐに「まあ、安倍だって似たようなことやっているしな」というような論調に戻ってしまいます。
しかし、普通に考えてネット上に安倍氏への批判(だけでなく悪口雑言)が溢れまくっている我が国と、習近平に似ているオジサンが普通に歌う無害な動画とか、習近平に似ているくまのプーさんの画像をアップするだけでアカウントが止められる国と、
と考えるのはかなり無理があります。
もちろん、そのような「笑える」ネット規制だけでなく、政府に批判的な言論をした知識人が連行されたり行方不明になったり、不審死したりという例も中国では普通にあります。
私たちはそういう問題に「なれっこ」になっていて、「中国ならまあ仕方ないね」で済ませてきているわけですが、中国が今まさに世界最大の経済になるかならないかという時代には、その「なれっこ」にしてしまっている問題をそのままにしておくわけにはいかなくなってくるわけですよね。
国家間は、特に国境を接している隣国の場合常に「パワーバランス」的な競争関係にあるために、「まあ、習近平のやってることも安倍がやっていることも同じようなものだろう」という主張はかなり「制度間の利ザヤ取り」的問題があるわけですね。
そういう「アンフェア」な態度は逆に、対抗の必要性から、保守派の過激化や国家間の問題とはあまり関係がない中国人個人へのヘイト意識の醸成などに繋がってしまいます。
つまり、21世紀において国際平和のために私たちが考えなくてはいけないことは、
態度を取ることではなくて、
なんですね。
2:「まあ、中国だから仕方ないよね」では済まされない時代になっている
香港における国家安全法の公布後、この二週間での言論弾圧的な運用は枚挙にいとまがないですが、中国とビジネスで関わる人などが意外と平温的な対応なのは、
という一種の“諦め”の感覚があるわけですよね。
いや、そりゃそうなんですけど!
そうなんですけど、でもここで冷静に考えてみないと!!!
「そういう国」が何の制約もなく世界一の経済大国になってしまっていいのか?という課題について、そろそろ真剣に考えないといけない時代なんですよね。
日本にいるとあまり感じませんが、ここ数年ほど欧米社会における対中国観が急激に対立的になってきています。香港問題などを通じて「火を吹いた」ことで、やっとこの問題にあまり関心のなかった日本人にもそういう印象が出てきた頃でしょうか。
一方で日本のリベラル派は「自国政府への反骨心ゆえにアジアの隣国に盲目的に甘くなってしまう」傾向にあり、またこれは「ある程度中立的なジャーナリスト」ですら、「中国が言論抑圧国なのはまあ仕方ないよね」で済ませてしまいがちなことを考えると、「対・中国の世界的な論調の変化」についてちゃんと知るためには、ときには日本の保守派の人たち(の中のマトモなジャーナリスト)の本を読むといいと思います。
先述の福島香織さんからは著書が出るたびに献本を頂いているんですが、“普通の中国ウォッチャー”の情報をたまに見ているだけだと「まあ中国だししょうがないよね」で済ませてしまいがちなところに、ちゃんと切り込んで「このままで覇権国家になられたら全世界が困るんだけど!」という主張をされているのを見ると、「当たり前すぎることを改めて言われてハッとする」ような気持ちになります。
最近の福島さんの本のタイトルからは、「なあなあにせず、ちゃんと対決しておかないとヤバいぞ」という危機感が凄く感じられます。
直近に出た本ですと、『新型コロナ、香港、台湾、世界は習近平を許さない』(ワニブックス)、『コロナ大戦争でついに自滅する習近平』(徳間書店)なんか、僕も含めてリベラル派寄りの人間からするとちょっと「ギョッ」とするタイトルの付け方に感じるかもしれませんが、「それぐらいの危機感」を持ってしかるべき問題なのだ…ということを、福島さんの本を読むたびに思います。
伝統的に中国に甘かった欧米社会がここ数年急激に態度を硬化させたのも、そういう意味での「全世界的な民主主義の維持に対する責任感」ゆえのものだと言えるでしょう。
「ムカつく自国政府をとにかく叩くこと」よりも、「全世界レベルでの民主主義の危機」にちゃんと声を上げることを優先するべきだ…という良識の最後の一線が一応保たれていたということですからね。
3:「アンフェアなハカリ」を使い続けると、バランスを取るためのヘイト的感情が必要になってしまう
別に中国が台頭するのはいいし、アメリカが必ずしも完全な正義の存在というわけでもないことを考えれば、拮抗するパワーがあることはプラスの面すらあるでしょう。
しかし、「今の中国政府」のような国内・国外の全方位的に異論を封殺しまくるような政体のままで世界一になられるのは人類の危機です。
リベラル派の人間には許しがたいトランプ大統領のようなモンスターが生まれてしまうのも、日本国内における一般的な対中国人ヘイトのような問題が起きてしまうのも、「制度間の利ザヤ取り」的風潮への反感があることは疑いないと思います。
安易な「まあ安倍だってやってるし」じゃなくて、「同じハカリで測られる」ようにチェック&バランスを働かせるゴールを描いていかないと、中国は自分たちが崩壊しないようにさらに強権的になっていきますし、周辺諸国はさらに警戒して中国へ批判的になっていきますし…というエスカレートの結果、どこかで戦争にならないとも限りません。
そこで、
そのための「戦略」を私は中国故事に習って「項羽と劉邦作戦」と呼んでいます。
ご存知の通り項羽と劉邦は漢王朝が創始される時代の歴史的人物ですが、軍事的才能に恵まれて大活躍するも苛烈な強権性が嫌気された項羽を、最終的に劉邦が逆転的に滅ぼして漢王朝を打ち立てました。
日本ができるオリジナルな貢献は、中国VS欧米のガチンコの「力VS力」的対立を、「項羽と劉邦」的な「包み込む路線」へと転換していく刺激を生み出していくことです。
4:「項羽と劉邦作戦」の基本路線は、「習近平路線は儲からない」と理解させること
今世界中で見られているような、民主主義社会において果てしなく有権者が自分のアイデンティティ政治的なものにしか興味がなくなり、「敵」を糾弾しまくるだけで現実的な社会問題の解決に向かえなくなってしまう混乱は、「民主主義という制度」に対する人類の信頼を大きく毀損させています。
要するに多くの本土中国人は、「民主主義なんて終わった制度だろ」と思っているわけですよね。
そういう存在に対して単に「民主主義を守れ」というだけでは響いていかないし、お前たちは俺たちの国家を不安定にさせて弱体化させるのが目的なんだろう?という疑心暗鬼にもつながります。
だから「項羽と劉邦作戦」の大事なポイントは、
「あんたらそのままじゃ繁栄できないよ?儲からないよ?」
という方向に中国を誘導しようとしていくことです。
全世界的に「戦狼外交」で喧嘩を売りまくっていることに中国本土民が無頓着なのは、本土ではそれがあまり報道されておらず、むしろ中国政府は世界から感謝されていると思っている人が多いのではないか…という話を中国在住日本人がSNSで述べているのを見ました。
しかし、そういう人たちも、実際に「商売上の影響」が出るようになれば目が覚めるでしょう。
国防的問題に直接関わるファーウェイのような企業の国際活動に制約がかかるのは勿論のこと、TikTokのような悪用するといっても限度があるような平和的なアプリですら敵視されはじめている現状は、徐々に中国人側の考え方を一般的に変えていくことに繋がるはずです。
要するに「項羽と劉邦」作戦の根本は、
・中国政府が「戦狼外交」をやめられない状況に追い込むことで、経済的ダメージを与えて、一般の中国人に「体制変更した方がいいかも」と思わせること
にあります。
5:「恫喝中毒」に追い込む刺激を与えていく
「隣国に対する恫喝をやめられなくなる」って、そんなのただ止めたらいいだけじゃん!って普通に考えると思ってしまいがちなんですが、しかし権威主義社会の安定感を維持するには、そのリーダーが曖昧なままでは済ませておけない問題が起きたりするんですよね。
先程紹介した『中国の大プロパガンダ』を読むと、中国の世界的プロパガンダ活動が、大量の資金を投入していろんなメディアや学術機関を買収することで一時は効果をあげつつも、そのうちだんだん「あまりにもプロパガンダ臭い」振る舞いによって自滅していくパターンがあちこちで見られて感慨深かったです。
これはたまに韓国の政治家の演説を見ていても思うことなんですが、何十年から百年もの自由主義社会の浸透によってグダグダに煮染めあげられた文化の国からみると、突然ギョッとするような権威主義的なトーンの発言を、自由主義の歴史の浅い国の政治家がすることってありますよね。
我々自由主義社会でグダグダになって生きている人間からすれば全然気にすることもない…という程度の「刺激」でも、権威主義社会の中でポジションを維持し続けるためには決して一歩でも引くわけにはいかない事情というものがあるわけです。
日本のネット用語でいうと「煽り耐性」が全然違うわけですね。その「煽り耐性のギャップ」に、私たちがつけ込んでいくべき「項羽と劉邦作戦」の鍵があります。
自由主義社会の中では「普通にできる」レベルのトーンで、権威主義体制下では「無視しておくわけにはいかない」レベルになる「必要十分な刺激」を与え続けていきさえすれば、ネットでよく見る「悪循環サイクル」絵のように「恫喝中毒」に追い込んでいくことが自然にできます。
6:香港民主派・日本保守派・日本リベラル派へのメッセージ
もし、この記事を日本語が達者な民主派の香港人さんが読むことがあるならお伝えしたいことは、強烈な弾圧の中である程度は「自分の命」を守る行動を取ることを自分に許してあげてほしいということです。
「中国政府に対する国際社会の包囲網」のようなものはなかなか足並みが揃いません。少なくとも香港民主派の人が望むほど明示的にすぐに徹底的な行動に繋がることは難しいかもしれません。
だから香港民主派の人たちにお願いしたいことは、「死なないけど諦めない」というラインを慎重に模索することです。弾圧されてペシャンコになってしまわずに、先程の「煽り耐性のギャップ」を利用して、「中国共産党の恫喝中毒サイクルが止められなくなるだけの必要十分な刺激」を与え続けましょう。
あなたがたの最大の武器は「諦めの悪さ」です。
むしろあなたがたの「決して諦めない姿勢」が、この問題について「どうせ中国政府のいうことが通るだろう」という「世界的な諦め」の感情を覆すほどのパワーを持ったことを私は本当に尊敬する気持ちになっています。
「どこまで弾圧されるか」を見極めつつも、とにかく「諦めずにいる」ことができれば、上記の「恫喝中毒サイクル」は回っていきますから、いずれ状況は大きく変わるでしょう。
香港民主派に限らず、日本における保守派・リベラル派、そして欧米社会、それぞれなりに「立場」は全然違いますから、明示的に「共闘するぞ!」となってもなかなかうまくいきません。
しかし、「あちこちで相互無関係にチマチマと刺激を与える」ことで、「中国政府を恫喝中毒状態にする」程度の連携なら可能でしょう。
一昔前は経済的に繁栄すれば中国は民主化するだろう…と根拠のない予想をする人が多かったわけですが、今そんなことを言う人がいたら現実を見えていない夢想家だとバカにされがちですよね。
結果として、日本で中国の民主化について真剣に考えているのは、中国に対する敵対心のある保守派か、とにかく自由!民主主義!となったら目の色が変わる極端な左翼活動家か、どちらかだけ、みたいになってしまっています。
でも、大事なのは、もっと普通の人のレベルで、
「政府批判者がバンバン投獄されるような政体のまま世界一の経済とかになられたら困るんですけど!」
という当たり前すぎるほど当たり前な事が、麻痺しちゃって無視されている現状にちゃんと危機感を持つことです。
そうはいっても普通の人間に何かできる気がしないんだよね…という時に、先程の「煽り耐性のギャップ」と「項羽と劉邦作戦」の話を思い出してほしいわけですね。
自分たちのできる範囲での「刺激」でも、中国の「煽り耐性」の壁を超えて「恫喝中毒サイクル」を加速させることができさえすれば、状況の転換に貢献できるわけです。
この記事中の絵や図はすべて自由にネットで再利用していただいて構いませんし、ぜひ「項羽と劉邦作戦」の機運を協力しあって盛り上げていきましょう。
また、「日本政府公式」的な問題でも、欧米と完全に歩調をあわせる必要はないとしても、「ちゃんとNOを言う」態度は私は必要だと考えています。
最近の日本のリベラル派も、20世紀と比べれば上記の「制度間の利ザヤ取り問題」について自覚的な人たちがかなり増えていると思いますし、リベラル派・保守派が協力しあって、日本政府に「ちゃんとNOというべきところで言わせる」動きは今後重要なはずです。
そして国際社会において、この点で日本政府が持っている「分水嶺」的な役割は大きいはず。
また、声をあげると命にかかわるから黙っているものの、習近平的な強硬路線に対して反対であるインテリの中国人はかなり多いと聞いています。
「恫喝中毒状態に追い込んで経済的ダメージを与える」と同時に、「彼らの安定性を維持できる落とし所」を国際社会が考えていくことができれば、「自分たちをちゃんと食わせる代表だけが中華の中心として信任される」という強烈な本能的直接民主制のようなものがある彼らの文化全体が共鳴して、「あたらしい着地点」を見出していくでしょう。
欧米人はなかなかこういう「中華文明圏の為政者の責務」というような本能的センスを理解することは難しいでしょうから、国際的圧力をただ加える以上のことは難しいと思います。
だからこそ、「欧米的な理想も理解できる」し、一方で同時に「アジア社会的な事情」も理解できる私たち日本人が、ちゃんとその「ハード」路線を補完できる「ソフト」路線を組み合わせていくことで、単なる「力VS力」の対立を超える可能性が生まれます。
欧米文明の独善性を相対化しつつも、欧米の理想が持つ美点を壊さないようにし、かつ中国政府の横暴を掣肘しつつも、アジア的な調和が崩壊して世界戦争状態になってしまったりはしないようにする。
中国政府にNOと言うべきところでちゃんとNOと言いつつ、政府間とは違う民衆同士の地べたのふれあいにおいては、「アジア人同士」的な感性において大事にしていきたい価値観を共鳴させて変化を促してゆく。
私たち日本人がそういう舵取りをしていくことによって、苛烈な項羽=共産党政府を、寛容な国際社会=劉邦がやっつける「項羽と劉邦」作戦が全体として完成します。
それが、「各人の立場ごとにやるべきこと」を整理した以下の見取り図につながります。
次回は、その「ソフト」路線における、「あたらしい落とし所」を提案していくプロセスにおいて日本が果たすべき役割について書きます。
連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。この記事への感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。
また、この「中国問題」と表裏一体になっているアメリカでの黒人差別問題に対して、日本がどういう態度で向かうべきか?という記事と、その中で「東京という街」が持っている可能性について書いた記事がかなり読まれたので、よろしければどうぞ。
この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?』をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。