それは本当に「連帯」なのだろうか?
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『ルポ・女性用風俗』は、女性用風俗という世界を「女性たちが連帯し、エンパワーメントされるもの」としても捉えており、利用客は本文中にてこのような言葉で表現される。
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「女風とは、女性たちの繋がりづくりのツールに過ぎないのではないかと感じることさえあった」
男性客も性風俗で癒やされたり、コンプレックスを解消したり、エンパワーメントされることもあるだろう。繰り返すが、男性向けの風俗が射精のみを目的としているという先入観も再考の余地があるはずだ。性風俗でポジティブになれる、それ自体は不当な搾取が行われていなければ問題はないと私は考えている。しかし、これまで述べてきたように、男性の労働問題をまるっきり無視して女性客を称賛するのは、いささか偏った視点のように感じる。一面的な部分にしか光を当てず安易に消費していく姿勢は、たとえ賛美だったとしても、70年代の男性週刊誌のようなレッテル貼りとどこが違うのか。
『ルポ・女性用風俗』の巻末には著書である菅野氏と社会学者の宮台真司氏の対談が掲載されている。宮台氏は、女性が性に乗り出せなくなっているのは性教育が主に妊娠・性感染症などのリスクを煽るばかりの不安教育になっていること、そして教育者自身の経験が乏しく、性愛自体の魅力を伝えられていないことなどが理由にあるとする。そうした中で女性同士が性愛について語らなくなったことは問題だとし、女風を通じて性愛についての知恵を共有し連帯することは大事なポイントと語っていた。
しかしながら、これは現状を正確に捉えているわけではないと私は考える。SNSは共感や連帯のツールにもなるが、凶器にもなるのは知っての通り。「女風」の世界とて例外ではない。たとえば、先日大手グループの地方支店ツイッターアカウントがこのようなアナウンスをしていた。
SNSや掲示板において、男女問わずセックスワーカーへの中傷行為は日常茶飯事だ。店舗側やセラピスト側もSNSなどで中傷に関する法的措置を定期的にアナウンスしている。ネット中傷は誰にでも起こりうることではあるが、周囲に隠して働いているセックスワーカーは特に情報開示などの手段をとりにくい傾向がある。
シンも、掲示板やSNSでの批判や中傷が負担になっていたと語る。
「不眠症のお客さんに『お泊りコース』をリクエストされたことがあります。一晩中性感マッサージや会話につきあっていて、寝るのはお客さんに悪いし……と一睡もしませんでした。翌日、別のお客さんから予約が入っていたので、そこでついウトウトしてしまったんです。そしたら、その後『ありえない! “スヤピ”(スヤスヤ寝てしまうセラピスト)』と掲示板で悪口を書かれていた。もっとひどいことも書かれていましたが、言いたくないです。それをSNSなどで愚痴ったら、ユーザー(利用客のこと)たちから『自己管理がなってない、お前のプロ意識の問題』と叩かれたことも悔しかったです」
菅野氏や宮台氏は、「推しセラピスト」をSNS上や女子会で共有することは「女性の連帯」だというが、男性セックスワーカーを媒介に絆を深め、社会を生き抜こうという姿は、クラブや性風俗の女性を媒介に“男同士の絆”を深めていた男性たちのホモソーシャルと重なるものはないだろうか。なお、旧来的な価値観を持った男性たちのことは、同対談でも強く批判されている。
冒頭でも紹介したように、私自身が周囲の人間に女性用風俗のことを尋ねられ、「こんなイケメンがいるよ」と女性同士ではしゃぎ、「ああ、職場の男性たちが楽しそうにやっていたアレは、コレのことだった」と感じたと同時に、自分自身があまりにも無自覚に行っていたことにゾッとした経験がある。
メディアや経営サイドが、女性のエンパワーメント的側面や、キラキラした連帯ばかりを過剰に表現することで、セックスワークに従事する労働者の人権の問題が覆い隠されてしまってはいないだろうか? 男性に傷つけられた女性だったら、他の立場の弱い男性の人権をないがしろにしてよいわけがない。
職業に貴賎はないし、労働者の人権はジェンダーを問わず守られるべきだ。女性用風俗だけが「特別」であるはずがない。それをことさら美化することは、そこに存在する弱者たちの問題が不可視化されてしまうのではないだろうか。
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「叫び」や「声なき声」をすくいあげたいという使命感を持った書き手、メディアたち。しかしながら、なぜ彼ら彼女らはすでに見えている搾取構造とも呼べる問題から目をそらしているのだろうか? 女性用風俗の世界の発展を願い、そこに居場所を求める女性たちの切実さを考えるのであれば、そこで働く者たちのことは決して無視してはならないはずだ。