LIFE STYLE | 2021/11/08

リスクを恐れやすい日本人に必要なのは「リスクの再定義」【連載】幸福先進国フィジー発 「日本人を蝕む根拠なき不安」への処方箋(1)

「脱サラして世界一周しました」
「大阪からフィジー共和国に移住しました」
「40歳でニートになりました」
「世界3...

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「脱サラして世界一周しました」

「大阪からフィジー共和国に移住しました」

「40歳でニートになりました」

「世界3拠点生活(トリプルライフ)をはじめました」

そんな自己紹介をすると「よくそんなリスクをとりましたね」と言われることがあります。ただ、私としては勇気を出してリスクをとった感覚がありません。どちらかといえば、リスクを避けにいった感覚のほうが強いかもしれません。

リスクとはいったい何なのか。

リスクを再定義する時代です。

永崎裕麻(ながさき ゆうま)

英語学校カラーズ(フィジー共和国) 校長RECOMPANY取締役

約2年間の世界一周を終えて、世界幸福度ランキング1位(2016/2017)のフィジー共和国へ2007年から移住。南の島のゆるい空気感を日本社会に届けるべく「南国ライフスタイルLABO」というコミュニティーを運営。内閣府国際交流事業「世界青年の船2017」日本ナショナル・リーダー。2019年からはフィジー・デンマーク・日本の世界3拠点生活(トリプル・ライフ)を開始(現在はコロナで休止中)。著書に「まんが南の島フィジーの脱力幸福論」「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」。
https://www.facebook.com/yuma.nagasaki/

脱サラ世界一周のきっかけ

大学卒業後、金融系のシステムエンジニアとして働き始めましたが、納期に追われる毎日。通勤時間がもったいないからと会社に泊まりこみ、人付き合いが苦手で人間関係に神経をすり減らし、有給休暇を申請するのも罪悪感を覚えていました。

「この先の未来に本当に幸せはあるのか」と自問する日々が続いたサラリーマン3年目のある日のこと。たまたま、「世界でもっとも住みやすい都市ランキング」なるものを見ていました。毎年、英誌『エコノミスト』の調査部門が発表しているものです。

2004年当時、発表されていたランキングのトップ5は次のとおりです。

1位 ウィーン(オーストリア)
同1位 メルボルン(オーストラリア)
同1位 バンクーバー(カナダ)
4位 パース(オーストラリア)
5位 ジュネーブ(スイス)

日本が嫌いだったわけでもないのですが「もしかしたら日本以外にもっと自分にフィットする国があるかもしれない」という考えがふと頭に浮かんできました。そして、世界でもっとも住みやすい国ランキングの「主観版」をつくりたい、そしてその1位の国に住んでみたいという衝動に駆られていきました。

その半年後、会社を退職し、世界一周の旅へ。

会社を退職するとき、勇気は必要なかったです。私自身にとって最大のリスクとは「やりたいことをやれずに死ぬこと」なので、一日一日、刻々と死に向かっている中、むしろ「早く世界一周に行かねばリスクが上がる」と感じていました。私にとっての世界一周はリスクヘッジだったのです。

フィジー移住のきっかけ

オセアニア、中南米、北米、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジアを転々としながら、約80カ国を2年間にわたり旅をしました。食べ物が美味しい国、自然が美しい国、魅力的な国はたくさんありましたが、日本を離れてまで住んでみたいと心から思える国は見つかりませんでした。

日本に帰国後すぐに、旅の集大成として、日本の内閣府が主催する国際交流事業「世界青年の船」に参加することにしました。その船上で私は初めてフィジー人と出会うことになります。

この事業は、世界各国の若者たちが約250名参加(当時の私は29歳)し、ともに数カ国を巡る船旅です。私が参加した第19回は、日本以外の参加国は13カ国。オーストラリア、カナダ、イギリス、ロシア、チリ、エジプト、メキシコ、オマーン、イエメン、セーシェル、トンガ、ソロモン諸島、そしてフィジーでした。

まず参加者たちはAからNまでの14グループ(1グループあたり20人弱)に分けられ、そのまま自己紹介が始まりました。私がフィジーに注目するきっかけになったのはこの時からです。

自己紹介で何を話すのか、考える間もなく私の順番がまわってきました。明るいキャラクターを印象づけたいと思っていましたが、そもそも人前で話すのが苦手で、かなり緊張していたせいもあり、口から出てきたのは…、

「この前、4年付き合った彼女と別れたんです」

という一言。なぜ初対面で、たくさんの外国人を前にしてそんな話題を選んだのか、自分でも不思議でなりません。結果、それまで温かかった場の空気が一気に凍りつきそうになりました。その瞬間です。

「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

ひとりのフィジー人女性がいきなり大爆笑しはじめたのです。すると、その高らかな笑いに釣られてほかの参加者たちからも笑いが起きました。おかげで場の空気が最悪の状態になることはなく、なごやかな時間をキープすることができました。

みんなの自己紹介タイムが終わり、休憩時間になった時、私はそのフィジー人女性に話しかけました。

「僕の失恋の話、何がそんなにおもしろかったのですか?」

そのフィジー人女性は言いました。

「ん? まったくおもしろくないで。ただ、悲しい時こそ笑っとかんとな。ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」

私の身体を稲妻が駆け抜けました。悲しい時こそ笑えばいい、という哲学に感銘を受けたのではなく、その哲学を自然に実行できていることに対して驚いたのです。

フィジー人の特長

船には合計10人のフィジー人が乗っており、その日から私はなるべく一緒に彼女らと時間を過ごすことにしました。

噛めば噛むほど味が出るフィジー人。約40日間の船旅をとおして、私はフィジー人が持つ特長に気がつきました。

○目が合えば笑顔
目が合うとすぐに最高の笑顔を見せ、話しかけてきてくれます。雑談が苦手な私でも、なぜか話がつながりました。

○メトロノームのようにマイペース
船上生活自体はかなり忙しいものです。日本の事業なので時間管理もきっちりしています。しかし、マイペースを崩さないのがフィジー人。「のんびりいこう。そんなにセカセカしてたら、大事なモノ、見逃してしまうよ」という無言のメッセージを感じていました。

○パワースポットのような癒し効果
船上生活の中で、よくフィジー人に話を聞いてもらっていました。大自然にハグされているような気分になり、くだらないことで悩んでいる自分に気づき、開き直るパワーをもらえました。フィジー人は、歩くパワースポットのよう。

今まで出会ってきた人たちの中で、フィジー人ほど幸せそうに生きている人たちはいないのではないだろうか。そんな人が山ほどいるフィジーという国で、彼女らと一緒に生活をしたら何が起きるのだろう。私の価値観なんて、丸ごとひっくり返ってしまうのではないだろうか。

フィジーに住んでみたい…。

そんな考えが頭をよぎります。前述したように、私にとって最大のリスクとは「やりたいことをやれずに死ぬこと」です。フィジー移住も私にとってはリスクヘッジという感覚です。

そして、2007年6月、フィジーへ移住しました。

それから4年半後の2011年12月末、フィジーは世界幸福度調査で1位に躍り出ることになります。幸福国として「無冠の帝王」だったフィジーが、名実ともに「世界最幸の国」になったのです。

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