EVENT | 2023/03/02

「こんまり、片付けをやめたってよ」騒動は新刊プロモ失敗事例?彼女が期待されたのは「ていねいな暮らし」だったのか

【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(34)

渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト...

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【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(34)

渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者

兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

「こんまり、片付けをやめたってよ」は実は新刊のプロモネタ?

2023年1月27日、アメリカのツイッターでMarie Kondo(近藤麻理恵)がトレンドになっていた。好奇心でチェックしてみたところ、数多くの人が「こんまり、片付けをやめたってよ(Marie Kondo gave up)とはしゃいでいる。「信じて損した」と憤慨している者もいる(実際にはやっていないことが明白なのに)。

彼らが引用しているNew York PostVarietyGizmodoPeople Magazineなどの記事(その後アップデートされているので当時とは異なるものもある)のタイトルにはすべて「given up(諦めた)」という表現があるのでそれらを読んでみたところ、いずれもオリジナルの記事ではなく、The Washington Postの「近藤麻理恵の現在の生活は以前のように整然としていない。でも彼女はそれを気にしていない(Marie Kondo’s life is messier now — and she’s fine with it)」という記事を引用したものだった。

Twitterで「こんまり敗北宣言」にはしゃいでいる人たちの多くは自分が引用リツイートしている記事すら読まず、タイトルにある「given up」に反応しているだけのようだった。

その「given up」がどこから来たのかというと、オリジナルのワシントン・ポスト紙の記事の中にある

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という彼女の言葉からだった。読めばわかるように彼女は「片付けをやめた」などとは言っていない。3人目の子供が生まれてから「常に完璧に片付いているようにすることを諦めた」と言っているだけである。付け加えれば、こんまりの「常には片付いていない家」というのは、一般人の私たちにとって「最も片付いている状態」より片付いていることは想像に難くない。

多くの人が見過ごしている重要な部分は、ワシントン・ポスト紙の記事が、お片付けのグル(ワシントン・ポスト紙は「the decluttering diva(片付けのディーヴァ)」と表現している)であるこんまりが「完璧をあきらめた」というスクープではないということだ。

映画でも本でも新しい作品が出るとき、クリエイターはメディアでのPR活動をしなければならないし、大手メディアが話題のクリエイターを取材するのも日常茶飯事である。今回の記事は、2022年11月にアメリカで刊行された近藤麻理恵の新刊『Kurashi at Home: How to Organize Your Space and Achieve Your Ideal Life(住まいでの暮らし:日常空間を整理して理想の暮らしを実現する方法)』のプロモーション活動の一環であると考えられる。

私が不思議に思ったのは、この記事の掲載タイミングだ。本が発売されたのは昨年の11月であり、通常ならその前後にレビュー記事は出る。だが、この記事が出たのは今年1月27日。つまり、刊行から記事掲載までこの本はまったく話題になっていなかったのだ。

本を読んでわかった失速の原因:「本物らしさ」の欠如

こんまり本がアメリカで最初に出版されたときには、大きなPR活動をしなかったにもかかわらず爆発的に売れた(Netflixでシリーズになる前のことである)。口コミで「これはすごい本」と話題になったのだ。今回2カ月遅れでワシントン・ポスト紙の記事になったのは、もしかしたら本があまり売れておらず話題性が必要になり、こんまりの広報側からアプローチしたのかもしれない。

Amazon.comを見ると、2014年10月にアメリカで発売された『The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing(人生がときめく片づけの魔法)』は、現在(2023年2月23日)までに3万4000もの評価があり、ランキングでも1395位を保っている。それと比較し、昨年発売されたばかりの『Kurashi at Home』のほうは、評価は155しかなく、ランキングも9400位と低い。発売時のPublishers Weekly のベストセラーリストも調べてみたが、ハードカバーのノンフィクション部門でトップランキングにはまったく姿を見せていなかった。

近藤麻理恵の広報担当にとっては、たとえ「こんまり、片付けをやめたってよ」という話題であっても、本のPRには役立つと思ったのかもしれない。

話題にはなったことはなったのだが、それが新刊の売上に貢献したかどうかは疑わしい。ソーシャルメディアとAmazonやGoodreadsの評価からは、こんまりの信者はそのまま信じているけれど、新しい入信者を得た様子はないからだ。

どの分野であれ、爆発的な成功を収めた人物が同じことを続けるだけで永久にそのステータスを維持することはできない。ファンの期待を大きく裏切らない範囲で新しいものを提供するか、あるいは同様のものであってもより良いものを提供し続ける必要がある。つまり、社会から忘れ去られないためには「変化」と「進化」が必要なのだ。その「変化(あるいは変貌?)」を劇的に繰り返すことで地位を維持してきた例のひとつがマドンナだ(最近の「変貌」は少々劇的過ぎたところもあるが、忘れ去られることを否定する強烈な存在であることを証明したのも事実だ)。

こんまりが新刊『Kurashi at Home』で狙ったのは、「片付け」という狭い専門分野から「暮らし」という広範囲の分野に手を広げることだと思う。「カリスマ主婦」として出発し、料理、園芸、室内装飾などあらゆる分野に手を広げてライフスタイル業界の女王的存在になったマーサ・スチュワートのように、こんまりのメソッドをライフスタイル全般に広げる第一歩の試みが『Kurashi at Home』という本だったのではないか。しかし、読者の反応を観る限りはそれが成功したとは思えない。

実際にこの本を読んでみて、ベストセラーにならなかった理由が理解できた。

まず内容全体について言うと、料理のレシピなどが加わっているものの、全体的には『人生がときめく片づけの魔法』とそう変わらない。たぶん、この本で最も重要なメッセージは、第一章の「自分との対話(A Dialogue with Yourself)」の次の部分だと思う。

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ところが、この本は自分で自分を裏切っている。ちょっと中身をパラパラと見てみよう。

ご覧のように、整然とした美しい写真が沢山掲載されている。アメリカで「コーヒー・テーブル・ブック」と呼ばれるデラックスな大型版だ。この質で28ドル(約3700円)という値段は決して高くはないのだが、上記で引用した「私にとって良い意味で、ある意味それを諦めたのです。今の私にとって大切なのは、家で子供たちと一緒にいるのを楽しむことだと気づいたのです」という本のメッセージとは一致しない。

本書発売時の彼女の日本語ブログでは

と書かれており、毎日の生活に疲れている人もこの本の写真を見て理想のライフスタイルにときめいてほしいということなのかもしれないが、どうしても「子供もフルタイムの仕事もなく、お金と時間があり余っている人の家ですね」という印象が拭えない。しかも、ワシントン・ポスト紙によると、これらの写真のほとんどはこんまりの家で撮影されたものではないらしい。

こんまりの最初の本が売れたのは、アメリカでは新鮮な発想であっただけでなく、「本物らしさ(authentic)」があったからだと思う。Netflixのシリーズで日本語しか話さないこんまりに視聴者が惹かれたのも、お片付けが大好きで嬉々として行うこんまりがauthenticだったからだ。だが、この美しい新刊からはその「本物らしさ」が感じられない。英語で「staged(演出されている)」と表現されるような、加工されすぎた本であり、こんまりと読者との間に距離ができている。

こんまりは「疲れた私たち」に再び寄り添ってくれるか

私が家の中を整然と保つことができるようになったのは、娘が独立して家を離れてからだ。それまでは時間の余裕もお金の余裕もなかったのだが、どちらもできてからようやく増改築に取り掛かることができた。増改築の前に多くのモノを処分する必要があり、その時にはこんまり本にとてもお世話になった。

こんまりに感謝する一読者として、私はこの新刊に突き放されたような気分になった。子育て中の私は、雑然としたキッチン兼仕事場に作業や点検の人を招き入れるたびに「汚い家で申し訳ないです」と謝り、「子供がいる家の平均レベルですよ」という慰めになっていない慰めの言葉に救われていたくらいだ。だから、「フルタイムで仕事をしつつ、3人の子育てをしながらこんなに美しい家でお茶を淹れて飲むなんて、おとぎ話の出来事ではないですか?」とツッコミを入れたくなったことだろう。

時間とお金に余裕ができたら、誰の家でもかなり片付く

こんまりのおかげで整然とした家に住める喜びにひたっていた私たち夫婦なのだが、孫娘が誕生して定期的に世話をするようになってからまた状況が変わった。心の静けさを楽しんでいたリビングルームが週に一度はおもちゃ・育児用品などに侵食されていく。孫が自宅に戻ってから夫婦二人で片付けて元に戻すのだが、ベビーベッドや玩具、着替えなどを置く場所がないので、私の隠れ場である図書室が物置にされてしまった。

「秘密基地」だった頃の私の図書室(before)

物置になった私の図書室(after)

子育てと仕事で忙しいけれども、片付いた家に住みたいと思っている親が知りたいのは、「欠けた茶碗で抹茶を飲む」といった「ていねいな暮らし」的精神論ではない。疲れすぎて何もできないときの「ボトムライン(最低限度の最も肝心なこと)」をどうみつけて、どう心の平和を保つのかというアドバイスだ。こんまりが「完璧でなくていい。暮らしを大切にしよう」と諭すのであれば、完璧ではない現状を見せて、現実的な対応策を与えてあげるべきだったろう。彼女自身がインタビューやコラムで何度も「私はミニマリストではない」「断捨離の人ではない」と言っているのだが、この本はそのメッセージを伝えそこねている。

こんまりの今回の「変化」と「進化」の実験が成功していないのは明らかだ。失敗だと言ってもいいだろう。そして、その背後のひとつには、Netflixでの成功後にこんまりがアメリカで展開し始めたEコマースビジネスがあると想像できる。2019年のオープニングの時期にフォーブス紙に「こんまりのEコマース戦略はなぜときめかないのか(Why Marie Kondo's E-Commerce Strategy Does Not Spark Joy)」という記事が掲載されたのだが、下記の部分は今回の失敗にも通じる指摘だ。

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(Kondo has it all wrong. Instead of valuing the community that her brand has cultivated, Kondo has gone and created the Japanese version of Goop. And she alienated the majority of her audience in the process. I'm calling it like I see it: It's a misguided go-to-market product approach. )

今回の新刊とそれに関する話題についても、4年前のフォーブスの記事と同じことが言える。ということは、こんまりか、あるいは彼女がビジネス展開を任せた人々がこの見解を無視したのかもしれない。こんまりは英語を話さないので、自身がアメリカでのビジネス展開でリーダー的な立場にいるとは想像しにくい。つまり、彼女がビジネス展開を任せた人々がこんまりのブランドの真髄やファンを理解していない、あるいは無視することに決めたのではないだろうか。

一人の人間がすべてを行うのは不可能である。ゆえにビジネスが大きくなってきたら専門家を雇って任せる必要が出てくる。そこで過去の「成功例」を押し付けるプロによって戦略を間違えてしまうのは、よくあることである。

2016年の大統領選挙でドナルド・トランプに破れたヒラリー・クリントンについて、大統領選挙の際の取材で多くの人から話を聞いたのだが、個人的にクリントンに会ったことがある人々は「ユーモアのセンスがあって、親しみやすくて楽しい人物」と話すのに対して、公的なイメージはまったく異なるものだった。それについて、「(長年の関係で個人的に信用している)側近たちの間違ったアドバイスで自分らしくないイメージを作り上げてしまったのが大統領選挙敗北の一因だ」という分析があった。こんまりについても、ビジネスが大きくなるにつれ、そういったことが起こっているのではないかと勘ぐりたくもなる。

こんまりに取り入れてほしいのは、先述のカリスマ主婦、マーサ・スチュワートの「ビジネスモデル」ではなく「自分らしさの堅持」である。彼女が成功したのは、どんなにビジネスが大きくなっても、ブランドの根源にある「自分らしさ」はずっと守ってきたからだ。マーサ・スチュワートとスヌープ・ドッグの料理番組(マーサ&スヌープのポットラック・ディナー・パーティー)などもその一例だ。これは誰かが「こういう戦略でいきましょう」と押し付けたものではなく、スヌープ・ドッグと親友になったスチュワートが企画したものだ。

だからこんまりには、これらの失敗から学び、周囲からのプレッシャーをはねのけて、自分のファンと自分らしさを思い出してほしい。混沌とした日常生活で実際に困っている人のことを想像し、助けてあげるつもりになれば、新たなフィールドでの成功も不可能ではない。

上で引用したフォーブスの記事にも「まりえ、あなたが自分の帝国を築き上げることは100%応援している。けれども、その過程でブランドの理念と矛盾するようなことをやり続けないように(Marie, I 100% support you in growing your empire. Just don't continue to contradict your brand ethos in the process)」とあるが、問題はこんまりが自分のブランド帝国を作ろうとしていることではない。やっていることが、彼女の信念(だとファンが思ってきたこと)と矛盾しているところが問題なのだ。

こんまりの失敗は、どの業界のマーケティングにも通じることである。成功からだけでなく、失敗から学べることのほうが実は多いかもしれない。


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