2014年、英語を学び始めた当時、シンガポールで自分たちがやっていた小規模なメイカーフェアに、同国の「ギーク大臣」として有名な政治家のヴィヴィアン・バラクリシュナンさんが来てくれた。彼のスピーチを録音して何度も聞いたり、自分なりに訳したりしてなんども記事にしている
【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(30)
高須正和
Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」
これをモットーに実践し続けているノンフィクション作家・高野秀行。彼はコンゴの奥地やソマリア、ミャンマー中国国境で武装民族が支配する地域など、辺鄙すぎる・危険すぎるなどといった理由から誰も行かない場所に行く。少数民族と一緒にアヘンを栽培するような冒険行だけでなく、「自分が腰痛になったことで世界が変わって見えたし、腰痛を持つ人それぞれに、固有のストーリーがある」をいうテーマを扱った『腰痛探検家』という本もある。いたるところから“日常を辺境として見る”視点を見つけてしまう着眼点、そしてそれをリアルに、かつ面白く描き出す筆力にはいつも敬服している。
その高野秀行の最新刊が、2022年9月に出版された『語学の天才まで1億光年』だ。
特に高野が中国語の語学学校で担任の王先生が話す中国語に感動した瞬間の描写は、僕にも似たような経験がある。
25以上の言語を学んだ国際探検家の語学学習法
著者の高野は早稲田大学探検部時代、コンゴに怪獣モケール・ムベンベを探しに行くために、コンゴリンガラ語という部族語を学んだ。当時の日本にはコンゴの大使館すらなく、リンガラ語の入文書はおろか話者、さらには話者を知っている人すら見つからないような状態だったそうだが、アフリカでは数千万の人間が話し、利用者数ではトップ5に入るメジャー言語だ。
探検部の仲間が、たまたま日本でリンガラ語を話すザイール人(ザイール大使館職員の息子)を見つけ、皆で会いに行った。当時はリンガラ語を表す文字がなく、当然教科書もないので、むりやりアルファベットで表記することでテキストブックを作ってしまう。
こうしたドタバタを繰り返しながら、高野は最終的に25以上の言語を学ぶ。その中には英語やフランス語や中国語のように体系的に学べる言語もあるが、高野はそれぞれに自分の学び方、自分のテキストブックを作ってしまう。
もちろん、参考書や検定試験などで頻出する「定石」は、上達していく上で押さえていくべきだが、語学は最終的には、相手と1対1の関係の間で機能するパーソナルなものなので、絶対的な正解はない。伝えたいことが伝わればそれが正解だ。「正確に話す」の向こう側に「何をどうやって伝えたいか、相手から何を受け取りたいか」があり、本書はいつもそこから始まり、最終的にそこに戻っていく。
勉強を楽しみ、学び方を改善していくことで語学力は上がる
僕は2014年からシンガポール、2018年から中国の深センに住んでいて、英語と中国語で仕事をしている。英語から日本語への翻訳を担当した書籍を何冊か出版し、中国語から日本語への翻訳仕事もある。英語でも中国語でもインタビューに答えたり、こちらからインタビューしたり議事録をまとめたりしているので、いちおうトライリンガルを自称していいだろう。場所によっては英語が全然通じないインドネシアでも数カ月仕事をしていたことがあり、数字のカウントやタクシーを捕まえる、外食の注文程度(100単語未満ぐらい?)のバハサ(マレーシア・インドネシアの共通語)も喋れる。これで3.1リンガルぐらいだろうか。
もともとは英語も中国語もとても不得手で、シンガポールで仕事を始めた頃にはもう40歳過ぎだったから、語学では苦労した。伸びはじめたのは、学ぶことに対して前向きに工夫するようになってからだ。
基本的な文法を教科書で学ぶのは大事だ。我流だけだと仕事ができるところまでいかない。一方で、あるレベルに達したら、プレゼンしたときの相手の反応を観察する、他人のうまい言い回しを真似するなどで、自分なりの学習方法を作っていくこと、その言語を話すことを好きになることが大事だ。自分の場合は語学スクールや教科書での勉強を続けながら、本業であり最も興味のある分野である、メイカー関係のイベントの運営や発表を、英語でも中国語でも続けていることが、大きなモチベーションになっている。
生活や表現のための言葉に絶対的な正解はなく、学んだことと実際に使う瞬間との間にはズレがある。そうした違いを楽しみつつ、学んだことをアップデートしていくようになると、言語について前向きに時間を使えるようになり、成績は伸び始めた。
言語に限らず、学んでいる対象をバカにしたり、嫌っていたりしたら伸びない。完全に受け身でも伸びが遅くなる。工夫しながら多くの時間を勉強に使えるようになることが、上達のコツかもしれない。本書は語学を勉強中の人々に、もう一度学ぶことを新鮮に見せてくれるだろう。
多くの言語を相対的に見ると、社会や世界の見え方が変わる
コンゴは1960年までフランスの植民地だったので、行政やビジネスの用語にはフランス語が多く使われている。リンガラ語は文字がないほどの言葉だから、フランス語だけでもビジネス上は問題ないが、何百万という現地の人はリンガラ語を話し、その中に方言もある。高野はそうした言語の構造に分け入っていく中で、
「フランス語を好んで話す人は、あまりリンガラ語を話そうとしない」
「フランス語の中にリンガラ語の単語が入ることはないが、単位のメートル・キロなど、リンガラ語のなかになかったものはフランス語のまま入ってくる。その場合、量詞もフランス語のままドゥ(2)メートルのように入ってくる」
といった言語学的な構造や支配構造、ひいてはフランスがコンゴにもたらしたものや、コンゴ・ザイールの諸部族の関係までを俯瞰して発見していく。言語をキーに、社会や文化全体を自分の頭の中に再構築していく。
「文字のない言語」から考える各国の文化や生活
実際に、世界には固有の文字を持たない言葉は多いし、実際に頻繁に目にする。
たとえば僕の住んでいる深センは移民の町で、会話のほとんどは「普通語」と呼ばれる種類の中国語で行われる。学校で習う中国語は多少の違いはあれど、マレーシアやシンガポールなど含めこれだ。だが、大きな中国はヨーロッパ諸国のように多様なため、「中国料理」という食堂を中国で見つけるのは難しい。深センの料理屋は湖南料理、潮汕料理など地方名が看板になっていて、店員同士はその地方の言葉を話している。
広東省から華人が世界各地に移民していることで有名な広東語では、日本のことを「ヤップン」と言うが、普通語では「リィベン」なので会話ではまず通じない。文法レベルで異なる部分もあるので、体感的には英語とイタリア語ぐらいの差がある。中国はそうした言語にそれぞれ数千万~数億規模の話者がいて、芸能や料理などでは今も生きている。省や市といった行政区域の違いと言語の違いは、必ずしも一致しない。
広東語は東南アジアで広く使われているが、「広東語の文字」は存在しないし(簡体字や繁体字を用いるが、それらは普通語も変わらない)、マレー華人と香港華人の契約書はほぼ英語。日本でいうところの大阪弁が近いかもしれない。「大阪弁専用の文字」はないし、大阪弁なしでは成立しない芸能世界でも、契約書は標準語で書かれているはずだ。
日本はヨーロッパや中国に比べると言語的にはかなり均質で、多くの人にとって身近な外国語であるアメリカ英語も義務教育の範囲ではとても均質なものだ。『語学の天才まで1億光年』では、その世界から飛び出した高野の最初の驚きと、その後いまに至るまでの面白さが詰まっているのだ。
AI時代に語学を勉強する価値
いまのAI翻訳は大抵、自分で訳すよりも上手いぐらいに進化している。速度については言うに及ばずだ。それでも僕はいまも時間をかけて中国語を勉強していて、もう1〜2ぐらいの言語は今後学ぶつもりでいる。
なぜか?それは、このコラムで書いたように、言語には多くの「言語以外のもの」が詰まっていて、それを読み解いていく行為から学ぶことが多く、自分の人間関係を豊かにしてくれるからだ。英語でも中国語でも、機械翻訳に頼りきりで現地の人や文化には興味のない人と、相手の言葉を学ぶ気がある人、さらには実践して実際に語学力が向上している人では、相手との人間関係との作り方には格段の差が出る。
『語学の天才まで一億光年』は、そうした世界との付き合い方や認識を変える後押しをしてくれる書籍だ。そしてそれこそが本書の最大の魅力であると同時に、25以上の言語を学んだ高野が伝えたかった言語学習の「魅力」である。
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