【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(29)
高須正和
Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks
アメリカ・中国の両国でベストセラーになった「未来予測の書」
AIは適用範囲の広い汎用的な技術で、蒸気機関や電気、インターネットのように、その発明の前後で社会を大きく変えてしまう可能性がある。だからAIを語るには技術とビジネス両面での視点が必要だ。
カーネギーメロン大学でコンピュータサイエンスの博士号を取得し、米Appleで文字認識を研究、その後Google中国法人の社長、マイクロソフト・リサーチ・アジア(北京)の立ち上げを歴任し、今はシノベーション・ベンチャーズ CEOとして中国でAI投資を行っている李開復(カイフ・リー)は、AIに関して「技術」と「ビジネス」どちらも第一人者といえる。
彼がAIの発展と社会への影響を描いた著書『AI世界秩序 米中が支配する「雇用なき未来」』はアメリカ・中国どちらでもベストセラーとなり、FINDERSでもコラムを掲載した。
『AI世界秩序』につづいて、AIが実現する未来世界を伝えるリーの新著が『AI 2041 人工知能が変える20年後の未来』(文藝春秋)が日本語訳された。本書は中国SF界の第一人者陳楸帆(“スタンリー”チェン・チウファン)とリーの共著となっている。
今回の『AI 2041』は、現在のAIでなく、未来のAI、そしてAIがもたらす社会変革を、技術的根拠をもって書いている。エネルギーが無限にあり、人が仕事する必要はない。二人の天才が想像する未来の話だ。
AIによる製薬や医療診断で人間の寿命がさらに10歳程度伸びる可能性を、完全自動運転の実現よりも高く見積もるリーの視点は、『AI世界秩序』と共通している。医療は自然科学が相手だが運転は人間のとっさの判断が相手で、人間に混ざって運転するのはAIの苦手分野だ。
人類が「リソースの奪い合いのない社会」を実現した際に何が起こるか
本書では大胆な予測として、今後20年間でエネルギーを巡る事情が大きく変わることが描かれている。地熱、風力、太陽光などの再生可能エネルギーは、巨額の投資と研究が行われていることで効率も規模も進化している。こうした発電方法は出力が安定しないのが問題だが、その最適化はAIの得意分野だ。
また、資源のリサイクルも現状は細かい個別の対応が必要で人間が分別をしているが、20年という長期スパンで見ればAI+ロボットで置き換えられる可能性がある。
エネルギー需要の多くが再生可能エネルギーで賄え、資源の再利用効率も大幅に上がることによって、人類は初めて、「リソースの奪い合いのない社会」を迎えることができる。
『AI世界秩序』にもこうした遠大な視点はあったが、あくまで「現在のAI」にフォーカスして書いたため、遠い未来の話はごく一部だった。前回のFINDERSでのコラムも、「どんな職業が影響を受けるか」をテーマにしている。
新著『AI 2041』では20年後の未来がテーマなため、すでに変化した社会がSF作家チェンのストーリーによって描かれている。リソースが満ち足りた社会でも、人間はなにかしないではいられない。「あなたは仕事をしなくてもよくなりました」というのは救いでなく呪いの言葉だ。
また、寿命が伸びたとしても老いとは無縁でいられない。脳にブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)を埋め込みアルツハイマーが治療できるとしても、それを望まない人も多いだろう。それでも「あなたの脳は治療が必要です」と告げる場合、誰がどのような根拠で決めるべきだろうか。
今よりも高齢化した社会で、ロボットだけで介護が回るだろうか。生産業務の多くがロボットとAIに置き換えられたとき、人間による介護は富裕層向けビジネスとして大きく注目されているのではないか?
どんなにAI技術が進化しても、AIが生物になることはない。生物として発生する感情と脳の働きが両方ないと出せない、人間だけが生み出せるデータが存在する。2041年、そのデータを生成するのはどんな人間の役割となっているだろうか?
リーとチェンのそうした問題提起と回答案が、本書には詰まっている。
アメリカ・中国の両国でベストセラーになった「未来予測の書」
チェンはGoogle時代にリーの同僚だったほか、百度などのテクノロジー企業で働いた経験を持つ。SF作家としても広東省スワトウ出身のチェンが故郷の電子ゴミの山を舞台に、テクノロジーと資本の暴走と戦う人間たちを描いた小説『荒潮』(早川書房)は名作と呼ばれている。
『AI 2041』のもう一つの魅力は、10のショートストーリーそれぞれが、すべて違う国を舞台に書かれていることだ。いくつか例を挙げると、インドで「アガスティアの葉」がAIの未来予測をベースにする(第1章「恋占い」)、東京で女性が熱狂するアイドルが、実態とアバターの組み合わさったものになっている(第5章「アイドル召喚!」)、スリランカのタクシードライバーが深圳の自動運転のためにデータを貯める(第6章「ゴーストドライバー」)エピソードなどが登場する。
技術と社会がテーマの本のためか、国境線や国同士の位置づけ、途上国や先進国といった区分けは今のままだが、現代SFの代表的作家であるチェンが、それぞれの国をどう捉えているかが垣間見える本でもある。上海の伝染病対策を描いた章は、中国人でないと描けないリアリティに満ちている。
未来の深圳も、完全自動運転社会の実現のために街が最適化され、人間のドライバーのいない街として登場している。僕が住んでいる深圳福田区では、今も実際に自動運転車が市内を走る実験が行われている。不測の事態に備えて人間のドライバーは乗車しているが、操作は緊急時のみだ。
僕も乗ってみたが、周りの車が荒っぽい運転をすると、今のAIシステムは対応に苦しみ、その都度ドライバーが介入することになる。今後このまま技術が発展し行政や市民がそれを受け入れれば、2041年の深圳で人間のドライバーをなくし、自動運転都市を実現するのはあり得る未来だ。このエピソードでの深圳は、運転データを途上国から買い付けている。
2022年の深圳を走るdeeproute社の自動運転タクシー
技術力と創造力を未来に向ける。二人のAI専門家が社会に向ける視点
『AI 2041』は、最初にリーが2041年に実現していそうな技術についてのテクノロジーマップを描き、それにあわせてチェンが10のテーマでショートSFを執筆。さらにリーが各話の技術解説をする形で一冊の本になっている。一つ一つ技術的な厳密さを保ちながら、AIが人間そっくりの絵や文章を生成するGPTやGANなどのモデル、自動運転のように技術とサービスが組み合わさったもの、さらにはベーシックインカムのようにむしろ社会サービスと呼ぶべきものまで幅広く描いている。
僕はかつてAIと機械学習のシステムを開発しており、現在も深圳でエッジIoT/画像認識などのハードウェアのビジネス開発をしてることもあって、前著『AI世界秩序』の内容には頷ける部分が多かった。
けれどもさらに遠くを見据えた『AI2041』になると、エネルギーやロボットなどの分野で本当に20年後、ここまで劇的な変化が起きるのか、納得しかねる部分もある。過去20年のインターネットの普及やスマホの登場、そしてこの間に起こった激変を考えると、2041年の情報通信にはもっと大きな変化があるのではないだろうか。
一方で、正確な未来予測は誰にとっても不可能だからこそ、テクノロジーとビジネスに精通するリーとSFの名手であるチェンという、二人の達人が紡ぎ上げたストーリーはひとつの可能性の示唆として魅力的だ。本書はSF小説、技術書、ビジネス書のどこに置くのか迷うような書籍だが、前著『AI世界秩序』と同様、米中どちらでもベストセラーとなっている。本書が日本社会でどういう反応を得るかは、日本がAIについてどう理解しているかを表す、一つの指標になりそうだ。