CULTURE | 2020/09/24

“宇宙CM”を成し遂げた男が、再び宇宙を目指す理由 高松聡(写真家・アーティスト)【連載】テック×カルチャー 異能なる星々(16)

加速する技術革新を背景に、テクノロジー/カルチャー/ビジネスの垣根を越え、イノベーションへの道を模索する新時代の才能たち...

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突然の訓練中止宣告、消えかけた希望と日々の記憶

展覧会のギャラリーツアーにて。「これはソユーズに搭乗した宇宙飛行士たちのサイン。訓練を受けながら、僕もいつかはここに『高松聡』とサインをするのかな……と思っていましたね」(撮影:織田桂子)

(ISSへ滞在する民間宇宙飛行士の訓練は、モスクワ近郊「星の街(スターシティ)」のガガーリン宇宙飛行士訓練センターで行われている。11年にアメリカのスペースシャトルが退役して以降、ISSへ到達できる宇宙船はロシアのソユーズのみだった。訓練は宇宙旅行の“乗客”としてではなく、宇宙船の故障や不時着などあらゆる事態に対応可能な宇宙飛行士を養成する目的で実施される。高松はイギリスの世界的ソプラノ歌手、サラ・ブライトマンのバックアップクルーとして、二人一組でこの訓練に参加。青山のSPACE FILMS GALLERYで開催された高松の初個展「FAILURE」は、この訓練中に彼が撮影した写真と記録で構成されている)

(左)1961年にボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を成し遂げたユーリ・ガガーリン(1934-68)と、スプートニク2号に搭乗した犬「ライカ」。
(右)宇宙飛行士記念博物館にそびえ立つロケットのモニュメント。

高松:訓練開始は、15年1月のこと。膨大な数のスイッチやボタンが並ぶコントロールパネルの操作から、そこに記されたロシア語の勉強、地球への帰還時に着陸地点を逸れて寒冷地に下りた場合に生き延びるためのサバイバル訓練まで、想像を遙かに超える過酷な日々が待っていました。

ところが……5月に入り、一緒に訓練を受けていたサラが突然、訓練をやめて帰国してしまったのです。理由は「個人的な家族の事情」と発表されましたが、何が起きたのか、最初はまったくわからなかった。サラが宇宙飛行を辞退した以上、バックアップクルーである僕も訓練から外されるという。でも「何よりも宇宙飛行士になりたくて星の街へ来たんだ、とにかくやらせてくれ」と粘り抜き、残りの訓練を受けさせてもらえることになったのです。

とはいえ、いつ打ち切りを宣告され、退去させられてもおかしくない状況。厳しい訓練と猛勉強を続けながら、「もう二度とここには来られない」という想いで写真を撮り始めました。周辺にはカフェやレストランをはじめ、バーなどの娯楽施設が一切ない。極寒の冬が明け、ようやく迎えた春の景色だけが、自分にとって唯一の癒やしでした。夏は夜9時頃まで明るいので、訓練が終わってからはいつも写真を撮っていましたね。

(左)星の街に掲げられた宇宙飛行士の看板。
(右)訓練施設内に設置された、ISSロシアモジュールなどの実物大模型。

訓練施設の一角には、ガガーリンに始まるロシアの宇宙飛行士たちの顔写真が並べられていて、宇宙CMの制作時にISSのロシアモジュールでポカリスエットを飲んでもらったり、カップヌードルを食べてもらったりした懐かしい顔も見受けられました。当時、自分も星の街へ赴いて、商品をこうやって手に持って、一口食べて笑顔でこちらを見て……といった感じで演技指導をしたんです。撮影は、通常は入れないはずの管制室に入ってインカムを装着し、リアルタイムで宇宙と通信しながら行われました。今、自分はその場所で、宇宙飛行士になる訓練を受けている。だから、今ここで辞めるわけにはいかないと思いました。

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