CULTURE | 2020/07/01

「骨折り&中指」のおかげで注目度アップ?コロナ禍で加速するネット炎上の解決策【連載】青木真也の物語の作り方〜ライフ・イズ・コンテンツ(8)

過去の連載はこちら
15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

燃えに燃えた「骨折り&中指」の一戦に学ぶ

かくいう僕も、一時期は目につくアンチを片っ端から相手にしていた時期がある。噛み付いてくるコメントを次々にリツイートして晒し、それがまた次の炎上を呼ぶという、今にして思えば実に不毛なループを繰り返していたものだ。

批判的なコメントや罵詈雑言にいちいち感情的になっていたわけでもなく、ただ手持ち無沙汰な時間ができると、目立つコメントに「バーカ」などと言葉を添えてリツイートする。当時の心境はといえば、単なる暇つぶしに過ぎないから我ながらたちが悪い。もちろん、それで何が生まれるわけでもない。

むしろ、10年も前にそんな経験をしたものだから、最近のアンチコメントには物足りなさを感じることさえある。気の利いた批判や面白いアンチというのが、当時よりも絶対的に減っているように感じられるのだ。コメントの“返し”にも力量は必要である。

もしかするとこれは、無料で触れられるメディアの限界を表しているのかもしれない。それはツイッターだけでなく、テレビの地上波やネット上の無料番組にも当てはまるだろう。

無料のメディアは参入障壁が低いため、一度流行れば瞬く間にライト層を取り込んでしまう。すると、どうしても質の低下が起き、先行者にとってつまらないメディアに成り下がる。そこにあるのは無料であることの弊害に他ならない。逆に、NetflixやDAZN(ダ・ゾーン)が良質のコンテンツを配信できるのも、課金モデルであればこそだ。

客層の質が下がっていくと、“燃え方”も少々おかしくなってくる。批判の対象である論点が、次第にぶれてしまうのだ。

ただでさえ、炎上案件に論点が複数あるものだ。たとえば僕の廣田戦にしても、腕を折ったことを問題視する層もいれば、その後に中指を立てたことを批判する層もいるし、あるいは「もっと早く試合を止めるべきだった」とレフェリーに矛先を向ける層もいる。

論点が多いのはいいのだが、こちらが何を返したところで、問題視しているポイントがずれていれば話がまとまるわけがない。結果、ますます炎は大きく燃え上がることになる。

そもそもの話でいえば、僕は意図的に彼の腕を折ったつもりはない。タップしない相手に力を緩めるわけにもいかず、「折れてしまった」のが真相だ。しかし、燃えに燃えているものだから、当人の意図しないコメントや情報が飛び交い続け、そうした僕の本当の心情が埋没してしまう。

こうして真実が見えにくくなってしまうことこそが、炎上の最大のデメリットかもしれない。


prev