CULTURE | 2020/06/17

コロナと戦うデータサイエンスと“その先”の展望 宮田裕章(慶應義塾大学医学部教授) 【連載】テック×カルチャー 異能なる星々(14)

加速する技術革新を背景に、テクノロジー/カルチャー/ビジネスの垣根を越え、イノベーションへの道を模索する新時代の才能たち...

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コロナ禍を超え、“新しい日常”を目指す人間社会の展望

ーー 人類の歴史において、ペストやスペイン風邪など、パンデミックによって新たなイノベーションがもたらされてきた側面は無視できません。その意味で、今回のコロナ禍は私たちの社会にどんな影響をもたらすとお考えでしょうか。

宮田:感染症対策を通して、まさに各国の課題が浮き彫りにされつつあると思います。政治を例に挙げれば、これまではトランプ大統領のように人々の関心を惹く表面的な施策や、SNSでの人気取り発信が支持率につながってきました。しかし、こうしたやり方はこの局面では通用しません。例えばドイツのメルケル首相は、国民に向けて新型コロナウイルスの実効再生産率に対する考え方を論理的に説明した上で、その根拠に基づいた政策を打ち出し、支持を集めています。思うに、これこそが本来の民主主義のあり方ではないでしょうか。経済にしても、これまではその政策がどれだけ効果を上げたのかが不明瞭でしたが、現在の各国の緊急経済対策はスパンも短く、結果が極めてわかりやすい。政治や経済、あらゆる分野で、明確な根拠に基づいて民主的なガバナンスを行う流れが生まれることを期待しています。

ーー アフターコロナ、ウィズコロナ……どんな形になるかはわかりませんが、元の世界に戻るのではなく、「ニューノーマル」ともいわれる“新しい日常”をどう作り上げていくのかが、今問われているわけですね。

宮田:「ニューノーマル」は元々、2008年のリーマンショック後に出てきた言葉ですが、今回はデジタルトランスフォーメーション(DX)や第四次産業革命と結び付くことで、とてつもない変化の波がもたらされるのではないかと考えています。ここで重要なのは、元の仕組みを単にデジタルに置き換えるのではなく、データを通して各分野の体験の本質を明らかにした上で、よりよくしていこうとする姿勢です。

例えば、今までの学校の授業をデジタルに置き換えようとすると、「誰かが置いていかれる」という話にしかならない。でも教育の原点に立ち戻って考えれば、密集した空間で詰め込み式の授業をするよりも、教師が一人ひとりの生徒に向き合いながら、どうエンパワメントしていくかが問われている。変えなければならない現状がある以上、新型コロナウイルス対策を一つの起爆剤として、あらゆる分野でパラダイムシフトを起こしていく必要があると思います。

ーー この人類史レベルの変化の中で宮田さんが今後取り組みたいこと、いずれ到達したい目標があれば、教えてください。

宮田:今進めているところですが、経団連や世界経済フォーラムと一緒に、新しい世界ビジョンを作っているところです。これまでの社会は、お金という価値をいかに合理的に回していくかという仕組みの中に、人間を駒としてはめ込もうとしてきました。これは最大多数・最大幸福を追い求めることしかできなかった、これまでの科学技術の限界でもあります。しかし今後は、ビッグデータやAIの発展によって、一人ひとりの人間の違いに対応しながら最適化された社会を目指すことが可能になる。私自身、健康とウェルビーイングを軸にしながら、人権や自由、環境、教育の機会などの問題にもコミットしていくことで、誰もが人生をよりよく生きるための実践例を作っていきたいと思っています。

そして、究極的には……私が分野横断的に活動してきた原点ともいえる体験は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を見た時に感じた、極めて強い感動です。最近の研究では、彼が生涯をかけて数学や幾何学、工学や天文学、生理学に解剖学など、分野を超えて膨大な知見を積み重ねていったのは、すべて『モナ・リザ』を描くための修練だったと言われています。では何故、ダ・ヴィンチはあの微笑みを描くために人生を捧げたのか。私の考えでは、人間は他者がいなければ生存できない生き物であるが故に、他者と協力し肯定的な感情を結び、文化や文明を育んできました。人と人との微笑みを結ぶこと、これこそが人間の原点にして、未来永劫変わらない本質だと思うのです。

私もまた、ダ・ヴィンチのように微笑みで人々をつなぐ仕事を成し遂げたい。その答えを、これから模索していくところです。そしてこの仕事は、一人では決してできません。みなさんと一緒に、これからの新しい社会ビジョンを作り上げていきたい。それが、私の生涯の目標です。


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