CULTURE | 2020/06/05

コロナ禍で考える最強のモチベーション!37歳でも戦い続けられる理由とは【連載】青木真也の物語の作り方〜ライフ・イズ・コンテンツ(7)

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15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在...

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スポットライト症候群がもたらす沼

では、なぜこうした沼にはまり込み、格闘技を辞められなくなってしまうのかというと、理由の1つには「スポットライト症候群」がある。リングの上でスポットライトを浴び、観衆の喝采を受ける経験は、やはり大きな快感に繋がる。その快感がいつまでも忘れられず、追い求めてしまうのがスポットライト症候群だ。

僕のキャリアでいえば、2008~2009年あたりが最も強くスポットライトを浴びた時期で、ゴング前から試合後の控室まで、常に恍惚となりなっていたように思う。具体的には、エディ・アルバレスとやった一戦や、相手の腕を折って批判も浴びた廣田瑞人戦の頃である。

20代半ばの、キャリアを考えるべき最初のタイミングにこうした時期を過ごした僕は、格闘技を辞めるどころかいっそうモチベーションを高めていくことになる。今でこそ、勝利を収めた試合の直後でも、客前を離れれば平常に戻り、周囲に「お疲れ様でした」とやっているが、この時期に感じた快楽は忘れられないものがある。

こうしたスポットライトは、実は代替可能である。たとえば引退後に選挙に出馬するアスリートが多いのは、そこにスポーツと同じ快楽を見出したからだろう。選挙というオール・オア・ナッシングの勝負に臨み、勝てば強烈なスポットライトが当たる。スポーツで結果を残したアスリートにとって、これは申し分のないセカンドステージと言える。

その反面、勝負事に付きまとう快感が忘れられず、ギャンブルにはまってしまったり、起業するも失敗して莫大な借金を背負ってしまう人もいる。このあたりはスポットライトの功罪と言うしかないだろう。

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