CULTURE | 2021/07/14

イラクで両陣営から敵扱いされ怒鳴られる【連載】アクティビスト・小玉直也の「こんな人生があるのか!?」(2)

現在はジャーナリスト活動やさまざまな社会貢献活動を行う小玉直也氏は、戦場ジャーナリストでもないのに、数奇の運命に翻弄され...

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いきなり女性の校長先生が激昂して

イラクのマンスール小学校に届けて、本当に良い交流だったんです。日本から届いた富士山の絵とか、凧揚げしているところの絵とか鯉のぼりとか日本の文化を日本の小学生が手紙に書いてくれてそれをイラクに届けてイラクの子どもたちがその返事で手紙を書くんです。

写真①

写真②

写真③

写真④

その返事に書いたイラクの小学生たちの絵をいくつか紹介します。バクダット市アル・マンスール小学校リザアヤッド君が「バクダットで有名なナツメヤシの木が空爆で倒れっちゃった」(写真①)2枚目はアリ君「イラクには大きな河がありナツメヤシの木があります。日本には何がありますか? 私たちはイラクからアメリカの軍隊を追い出すために日本の力が必要です」(写真②)とメッセージを書いていて、最初、なぜ日本にそんなお願いをするのか疑問に思ったのですが、イラクで歴史の授業などで、子どもたちが広島長崎の原爆でアメリカに苦しめられたことを知っていて、だから今イラクの私たちの気持ちを理解してくれるのは日本だと思ったようです。次の3枚目の絵はマルワン・アヤッド君が書いてくれた「目の前でビルがアメリカ軍に空爆されるのを見たんだ。僕は涙が止まりませんでした」(写真③)というメッセージを書き、泣いている自分の絵も書いていて私も目頭が熱くなったのを覚えています。最後に紹介するのは、当時現地でみんな使っていたサダムノートです。(写真④)そのノートの表紙にサダムフセインの絵が描かれてていたのですが、ムハンマド君は、その肖像画の上にアメリカの星条旗を描き貼り付け、「アメリカが来て自由や民主主義がやってくる。グッバイ・サダム、ウエルカムUSA」とアメリカ軍を歓迎していました。しかし、アメリカが来たことによりイラクがどんどん悪化していき、友達や親族の命が奪われていき、親もおびえている。アメリカがイラクにやってきて自由にしてくれると思っていたのに現実は異なり、アメリカに失望して11月に拘束された髭ぼうぼうのサダムの顔を描き、星条旗の上に貼り付け、昨年までは嫌だと思っていた小学生が、サダムに帰ってきてほしいと思わせるアメリカ軍の惨状を表すノートでした。

イラクの子どもたちが書いた手紙をNHKが良い感じに撮って、僕も祭法被を着て子供たちに法被を着せて一緒に日本の歌を歌ったりしながら取材をして。それが終わって先生たちもすごく感謝してくれて、インタビューも受けてくれて、ああ、よかったと終わったと思ったんです。そうしたら、最後、「校長室に来てもらえますか?」と言われ、僕と高遠菜穂子さんと、イラク人の通訳と3人で行きました。私たちは感謝されるものだと思って、校長室に入ったんです。そしたら、その校長先生がめちゃめちゃ怒っていてドアを閉めた瞬間に発狂して、女性の校長先生だったんですけど、ずっとアラビア語で叫んでいるんです。通訳の人が訳す間もないぐらい(苦笑)。

あとで通訳の人に聞いたら「あなたたちはどうせNGOでもなんでもないジャパニーズアーミーなんだろう! 来月から自衛隊が来ると言っているけど、結局イラク戦争が始まる時に大量破壊兵器がないかどうか国連の大量破壊兵器の調査団という名目で調べてアメリカのCIAが情報を調べにきて、空爆をして効果的な場所や情報を遮断する調査に来て、戦争に踏み切る準備をしにきていた。そして大量破壊兵器がなかったのにイラク戦争を始めた。あなたたちは、どうせNGOの仮面を被って自衛隊が来た時にうちの校庭には戦車が置けるんじゃないかとか考えてるんだろう。どうせ自衛隊のID持っているんだろう」と疑われていました。

元々イラクでは親日の人が多かったのに、日本の自衛隊がサマワに派遣されることが決まって日本のイメージが向こうで格段に落ちていきました。日本との信頼関係は強かったのですが。日本企業もイラクに投資した時期があったので、自衛隊が派遣されたサマワの子どもたちもSONYのPlayStationが貰えるんですか、という噂が広がったり、ジャッキー・チェンをやってくれませんか、それ日本ちゃうよと思いながら、交流をしてたのです。しかし、自衛隊が派遣されるというタイミングで日本のイメージが悪くなっていって、そのタイミングでイラクのバグダッド、マンスールで小学校の校長先生に全盛期のジャッキーチェンばりに蹴られそうになりながらすごい怒られて……。イラクの子供たちの絵は空爆しているところの絵が圧倒的に多かったです。

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