芸術/文化はひとを救うのか
著者の磯部は、若い頃からヒップホップを中心に音楽をテーマにした記事を執筆してきたライターだ。2017年に『ルポ 川崎』(サイゾー)が異例のヒットを記録し、音楽ファンのみならず、一般的にも名を知られるようになった。
ちなみに、同書に関しては賛否両論ある。磯部自身も『令和元年のテロリズム』で「同書のコンセプトのひとつには、取材当時も蔓延していたヘイトスピーチに抗することがあったが、その前提を描く中で『“川崎”は治安が悪い』というステレオタイプを強化してしまった側面もあるだろう」(P17)と書いている。筆者は、横浜市の外れにある高校に通っていた。そこには、同書で描かれている川崎区などの「川崎サウスサイド」ではなく、北部の東急沿線沿いに住む友人が多数いた。その中の一人は、『ルポ 川崎』を読んだ後、筆者に「川崎にああいう地域があることは知らなかった」と語った。そうしたマスメディアでは伝えられない、または取材が難しい事象に切り込めるのがライターの魅力のひとつだと思う。そういう点において、筆者はまだまだライターとは言えないのだが……。
『ルポ 川崎』を読んだ時、BAD HOPなどのアーティストのバックグラウンドを知ることができる反面、貧困や人種マイノリティなどの社会問題を取り扱った面もあり、読む人の立ち位置によって、読み解き方が分かれる異色の本だなと感じたのを覚えている。
「青葉の半生を辿りながら考えたのは、『芸術/文化はひとを救うのか』ということだった。自分はこれまでライターとして、鬱屈して生きてきた若者たちが芸術/文化に救われる様子をたくさん見てきた」(P139)
『令和元年のテロリズム』のこの下りを読んで、磯部は「芸術/文化はひとを救うのか」をテーマにしていたのかと納得がいった。
同書では「芸術/文化に救われたひと」の最たる例として人気ヒップホップグループBAD HOP。また過去に遡ると1968年に4人を射殺し獄中で死刑執行までの間、文学の才能を発揮した永山則夫を挙げている。
だが元農林水産省事務次官の長男の熊澤は晩年をオンラインゲームに費やし、「青葉の犯行のトリガーとなったのも小説の執筆だ。芸術/文化が必ずしもひとを救うことではないことは当然としても、それは時に人を狂わせもする」(P140)と一方では記されている。
「芸術/文化はひとを救うのか」をプレイヤーだけでなく、リスナーにも広く解釈するならば、筆者の場合、辛かった時期を支えてくれたのはRHYMESTERを中心とする音楽やAMラジオだった。芸術や文化などと呼べるほど高尚な文章を書くことはできないし、売れているライターでもない。でも文章を書くと言う行為に救われていることをあらためて感じた。
磯部と筆者は同世代(ただし、ライター歴は10年以上違う)でもある。だからこそ、就職氷河期世代や「80/50問題」に当事者性を感じているのではないかと邪推をする。確かに、本書で扱われている3つの事件すべてにおいて裁判で有罪判決が出てもそこに同情の余地はない。でも、事件の表面だけをなぞり感情を爆発させるより、彼らを生み出した社会にも目を向けるべきなのではないか。