「泥沼」は抜け出し方がわからないからこそ「泥沼」である
著者の磯部は、平成20年(2007年)に加藤智大が起こした秋葉原殺傷事件と上述の3つの事件について、「4つの事件は同時代性を持っている」(P128)と指摘する。加藤は昭和57年生まれ、青葉は昭和53年生まれ、殺害された熊澤の長男は昭和50年生まれといずれも就職氷河期(ロスジェネ)世代。川崎殺傷事件の川崎殺傷事件の岩崎が引きこもりはじめたのは平成10年(1997年)頃で、就職氷河期と時期が重なるからだという。
就職氷河期世代とは、政策的にはバブル崩壊後の1993年~2004年に学校を卒業し、就職を迎えた世代を指す。この世代では、いまだに非正規雇用を強いられている人もいる。仮に正規雇用されたとしても同じような学歴の同世代に比べ、年収が低いと言われている。さらに言えば、そうした境遇から抜け出せないことによるメンタルヘルスなどへの影響も指摘されている。就労経験が少ないと、就労意欲があっても就労することが難しい。
また「7040/8050問題」とは、就職氷河期世代の引きこもりが長期化し、親が70代で子どもが40代、もしくは親が80代で子どもが50歳代と高齢化。高齢化した親が、収入のない子どもの面倒をみながら、孤立している状態だ。
この書評を記している筆者も1977年生まれの就職氷河期世代な上に、病気になり、人生に躓き、就職できずニートだった時期がある。だから、いかに再起をかけて就職するのが難しいかは身をもって経験してきた。社会を恨んだこともある。
同書の中で、熊澤が長男を殺害した事件に関し、橋下徹のツイートを引用した上で、「穏当に考えれば、彼(熊澤)がやるべきだったのは、橋下も補足しているように外部に助けを求めることだ」(P68)と書かれているし、筆者も引きこもりやニートに関して取材を進めると、当事者や家族が関係機関とつながることが重要だという話を必ず聞く。それは正論だ。しかし、同じような経験をした立場から言えるのは、誰にも相談なんてできなかったし、その泥沼からどうすれば抜け出せるのか、誰に相談していいいのかすらわからなかったということだ。
内閣府が2019年に発表したところによれば、40歳から64歳の中高年の引きこもりは、61.3万人と推計されている。筆者が以前、キャリアカウンセラーとして引きこもりや就職困難者の支援を行ってきた小島貴子氏に取材をしたところ、同氏はその数が100万人近くに上るのではないかとも指摘していた。筆者自身、周囲の助けがなければ、その一員になっていた可能性は高いと強く感じている。
筆者が、彼ら3人と違った点をあえて挙げるとすれば、怒りの矛先が社会よりも、自分自身に向かった点が一つだ。「一流企業で働く同級生たちと比べて、自分の能力が著しく劣っている。だから、こんな状況なんだ」。そう思っていた。反面、根拠のない自信が心のどこかにあった。絶望はしていたが、微かな望みがなぜかあった。要するに、人生に対し絶望をしつつも将来を楽観視している自分も共存していたのだ。
また、ありきたりなのだが、何が起こっても両親は筆者のことを決して見捨てなかった。何度も衝突したが、最終的には味方になってくれた。年上の知人男性も家にこもる筆者を心配し、外へ連れ出してくれ、何気ない会話を交わした。
そういった支えがあり、この気持ちや経験を文章を通じて伝えたいと思うようになり、今に至る。
就職氷河期世代に関しては「その境遇は自己責任だ」などという声が聞こえる。しかし、日本の独特な雇用慣行のひとつである新卒一括採用が大きく影響しているのは想像に難くない。就職活動時に景気が悪ければ、必然的に難しくなる。つまりは生まれた年によっての不公平感が大きいし、それは社会の問題だ。
そしてこの就職氷河期について、同世代であっても新卒で正規雇用されている人たちはどうも他人事のように感じているのではないか。そう思うことが多々ある。しかし、まったくの他人事ではない。
就職氷河期世代も含む35~54歳の非正規で働く中年フリーターは約273万人。2008年のNIRA総合開発機構の試算では、このまま中年フリーターが正規雇用されずに高齢になった場合、必要な生活保護予算額は最大で約20兆円にものぼると指摘している。ただでさえ、高齢化で膨れ上がる社会保障費を誰が負担するのか。
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