俳優にとってバラエティは鬼門
そもそも大泉のように、俳優がドラマとバラエティを両立させることは極めて難しく、避けようとする人が大半を占めている。
その理由は、どんなにバラエティ対応力の高い俳優でも、出れば出るほど、そのイメージが俳優として役を演じるときに邪魔をするから。たとえば、俳優がさまざまな役柄を演じ分けられても、視聴者の頭にバラエティのイメージがあるため、役の中に本人が見えてしまう。
だからこそ昭和の時代から「基本的にバラエティには出ない」「番宣で出てもあまり語らない」というスタンスの俳優が多いのだ。その点、大泉はあれほどバラエティで笑いを取っておきながら、俳優として役を演じるとき、視聴者にそれを引きずらせない。大泉より演技力の優れた俳優はいるかもしれないが、彼ほどバラエティでの人気があって、その上で演技でも魅了できるという俳優は希少だ。
2010年代の活躍は言わずもがなだが、「苦労と挫折を経て、かけがえのない仲間めぐり合い、さらに理解者との出会いを経て、成功を勝ち取っていく」という大泉の人生は、週刊少年ジャンプの世界観を体現しているようでもある。たとえば、ディテールこそまったく異なるが芯の部分は、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎や『ONE PIECE』のルフィと変わらない魅力があるのかもしれない。つまり、大泉の人生そのものも人々を引きつけているのではないか。
最後に、大泉の十八番トークと言えばボヤキとツッコミだが、それらのほとんどが人を笑わせるためだけに発せられている。サービス精神の塊だから、現場を盛り上げるための労力を惜しまないし、もし誰かがつまらないボケを放ったら、大泉は巻き添えになることを承知でツッコミを入れるタイプ。だからスタッフやキャストは「また一緒に仕事したくなる」し、世間の人々は「また出演作を見たくなる」のだろう。今のところ、国民的俳優の座が揺らぐ予兆はまったく見当たらない。