CULTURE | 2021/02/05

紅白総合司会に、主演映画ヒット、タレントパワー1位 大泉洋がローカルタレントから国民的俳優になった理由【連載】テレビの窓から(4)

イラスト:ones

木村隆志
コラムニスト、コンサルタント、テレビ解説者
「忖度なし」のスタンスで各媒体に毎月...

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北海道ローカルを大切にし続ける姿勢

以前、アミューズのTEAM NACS担当に取材したことがあるが、「これまで通り北海道の仕事を大切にしていく」という方針が徹底されていることに驚かされた。

アミューズにしてみれば、本当は北海道のレギュラー番組を終了してもらって東京の仕事を増やしたほうが稼げるし、大作への出演チャンスも増え、本人の肉体的負担を減らせるだろう。しかし、「それをやってしまうと大泉洋ではない」とみて北海道での活動を尊重しているのだ。

何より大泉自身、「どんなに人気が出ても、北海道のローカル番組とファンを大切にし、そのためなら肉体的負担の大きい東京と北海道の往復も辞さない」というスタンス。ひょうひょうとしたキャラクターに見えるが、実際のところ自分のベースやアイデンティティを見失わない筋の通った人間であることがわかるだろう。

これは簡単にできそうに見えて、成功を収めた人間や会社にとってはできそうでなかなかできないこと。だからこそスタッフ、キャスト、ファン、それぞれが大泉に引きつけられているのだろう。

大泉はアミューズと業務提携したことで、2005年に『救命病棟24時』(フジテレビ系)、2006年に『小早川伸木の恋』(フジテレビ系)と単発ドラマ版の『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(フジテレビ系)、2007年に『ハケンの品格』(日本テレビ系)と『暴れん坊ママ』(フジテレビ系)などの人気作に次々と出演。2009年には『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ系)でついに連ドラ初主演を果たした。

また、大泉はこの間に多くの舞台、映画、バラエティなどにも出演。主に視聴人数の多い全国放送のドラマとバラエティで知名度と人気を上げ、舞台と映画で北海道時代からのコアなファン層を喜ばせるという2つの軸があったからこそ、国民的俳優の座に近づいていけたのだろう。

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