CULTURE | 2019/11/08

28年ぶりの“正統続編”が遂に公開!『ターミネーター』とジェームズ・キャメロンの偉業を振り返る【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(9)

11月8日から公開の新作『ターミネーター:ニュー・フェイト』のメインビジュアル
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11月8日から公開の新作『ターミネーター:ニュー・フェイト』のメインビジュアル

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添野知生(そえの・ちせ)

映画評論家

1962年東京生まれ。弘前大学人文学部卒。WOWOW映画部、SFオンライン(So-net)編集を経てフリー。SFマガジン(早川書房)、映画秘宝(洋泉社)で連載中。BS朝日「japanぐる~ヴ」に出演中。

ジェームズ・キャメロンが28年ぶりに制作復帰

「ターミネーター」シリーズの最新作『ターミネーター:ニュー・フェイト』が11月8日から公開される。最大の注目点は、シリーズを作り出したジェームズ・キャメロンが、『ターミネーター2』以来28年ぶりに原案に加わり、製作者の1人としてシリーズに復帰していること。その成果に世界中の期待が集まっている。

というのも、キャメロンがシリーズを離れたあと、21世紀に入ってからも『ターミネーター3』『ターミネーター4』『ターミネーター:新起動(ジェニシス)』と6年おきに新作が作られ、それぞれ異なる監督がシリーズの継承にチャレンジしてきたのに、興行的にはともかく、内容面で観客が納得するような成果を出せずにいたという経緯がある。私も3作目はともかく、4、5作目はかなり的外れな内容だと感じたし、ファンのあいだでは3作目も決して人気があるとはいえない。

この3本は描かれる時代は異なるが、人類の救世主となるジョン・コナーを中心にしたストーリー展開は共通しており、それぞれニック・スタール、クリスチャン・ベール、ジェイソン・クラークがジョンを熱演してきた。逆に言えば、どうひねっても彼の物語にならざるを得ないところにシリーズの閉塞感があったのではないか。

新作は、ジョン・コナーの物語をまず大胆に切り捨てるところから始まっていて驚かされる。シリーズの中心はあくまで、T-800型ターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)とジョンの母親のサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)であると再定義し、この2人の共演を28年ぶりに実現させた。物語を大胆に改変すること、アーノルド・シュワルツェネッガーとリンダ・ハミルトンの共演を実現させること。この二つこそがまさに、ジェームズ・キャメロンが許可し、依頼したからこそできたことであり、彼が原案・製作でスタッフに加わっている意味がそこにある。

ターミネーターと戦い続ける女性兵士、サラ・コナー。本作主人公のダニーとグレースに襲いかかったターミネーター「REV-9」を倒すため颯爽と登場する

『ターミネーター』の何が特別だったのか

そもそも『ターミネーター』という映画の何が特別だったのか。

『ターミネーター』は今から35年前、1984年10月公開のアメリカ映画である。まったく無名の若手監督による低予算映画だったので、当の配給会社も含めてだれも期待していなかった。ところが、それがアメリカ本国で初週いきなり1位になった。

製作費は640万ドルで、当時としてもSF映画の予算としては一桁少ない。同年公開のSF映画には『2010年』や『デューン/砂の惑星』や『ゴーストバスターズ』といった大作がひしめいていたが、これらの製作費は3千万ドル前後。そんなところに低予算の『ターミネーター』が現われて大ヒットし、最終的な世界興行収入は7千8百万ドルまで到達した。メガヒットとは言えないまでも、製作費の12倍を稼ぎ出したわけで、新たなハリウッド・ドリームの実現者としてジェームズ・キャメロンの名前はいきなり知られることになった。

ちなみに、配給会社が期待していなかったことは、日本公開が翌1985年5月と7カ月も後回しになったことからもわかる。私は大学生だったが、事前にずいぶん情報を仕入れてから観に行った記憶があるし、それでも期待をはるかに上回る内容に度肝を抜かれた。

配給会社はオライオンで、日本ではワーナー・ブラザーズが引き受けていた。宣伝コピーは「冷酷!非情!残虐!史上最強《悪》のヒーロー!!」で、ポスターなども、3年前の『コナン・ザ・グレート』で知られるようになったアーノルド・シュワルツェネッガーが悪役に転じたことを強調する広告デザインで統一されていた。当時のプレス資料を読むと、内容のまとめかたやセールスポイントの打ち出し方は、現在の目で見てもかなり的確で、実態以上の大作感があり、公開遅れで準備に時間をかけられたことが功を奏したように見える。

アーノルド・シュワルツェネッガーは今作で旧型ターミネーター「T-800」を演じ、再びサラたちを守る

『ターミネーター』シリーズは、SFとしては基本的に「時間戦争」の話である。タイムトラベルで別の時代に行って、歴史を改変することで、対抗勢力との戦いに勝とうとする。

『ターミネーター』の世界の設定として、タイムトラベルは過去にしか行けない。一方通行で、これは物理学者のあいだでも一定の支持を集めている考え方でもある。そして時間線はすべての可能性に呼応して無限に分岐していくモデルではなく、一本線のなかで過去を変えると未来も変わるというモデルを採用している。並行宇宙とかマルチバースというものは無いという考え方で、だからこそ時間戦争が成立するわけだ。

『ターミネーター』の世界では、1999年に全世界の文明が崩壊する核戦争が起きるというのが最初の設定だった。スカイネットという西側の軍事防衛システムを制御する人工知能が、ある日、人類は不要なのではないかと思いついてしまう。核攻撃を生き延びたわずかな人々は、2020年代になると、都市の廃墟の地下に隠れて、スカイネットの機械軍と戦うようになる。その抵抗軍を組織したリーダーがジョン・コナーで、彼に苦戦した機械軍は、タイムトラベル装置で過去の時代に行ってそのジョンが登場しない歴史にしようという時間戦争を仕掛ける。

機械軍の一番の兵器は、現代で言う無人攻撃機、ドローンであり、ハンターキラーと呼ばれている。しかし地下に隠れている人間を空から殺すのは難しい。そこで人間そっくりに偽装した殺人ロボットを開発し、地下の隠れ家に送り込んでくる。これが「ターミネーター」で、終着駅のことをターミナルと言うように、「ここでおしまいにする者」の意。機械軍が時間戦争で過去の時代に送り込んだのも、このターミネーターだった。エクスターミネーター(全滅させる者)ではなく、ターミネーターとしたのがジェームズ・キャメロンのセンスと言える(『エクスターミネーター』という映画が1980年に先行して作られていたせいかもしれない)。

ターミネーターは、骨組み(エンドスケルトン)は金属だが、外側は生体組織で出来ていて、人間と見分けがつかない。これが1984年のロサンゼルスに突如出現して、サラ・コナーという姓名の女性を順番に殺していく。頑丈なロボットだから、何をしても停止させることができない。サラ・コナーを全員殺すようにプログラムされていて、命令を果たすまでは、ひたすら前進し続ける。

こんな物語を思いついただけでも、勝ったも同然だが、ジェームズ・キャメロンがすごかったのは、この脚本を実際に書き、実際に映画を監督する一流の技術が、この時点ですでに彼の中に完璧に備わっていたというところ。映画ができあがるまでは、SFのことが分からないプロデューサーや配給会社にあれこれ口出しされたくないので、できるだけ低予算で製作する。そのためには、とくにお金のかかる視覚効果や特殊効果の場面を、最低限必要な部分だけに絞り込む。ミニチュアとの合成で作られた未来の戦争のシーンと、ターミネーターのボディの内部を見せるようなシーンがそれに当たる。

また、舞台はハリウッドの地元ロサンゼルスに限定して、できるだけスタジオを使わず、屋外のロケ撮影を中心に製作する。美術やエキストラに使える予算も限られているので、ほとんどのシーンを夜の場面にする。

脚本では、いかつい大男と若い優男の二人が現われて、どちらがサラの敵か味方か最初はわからないという仕掛けがまず優れている。セリフもいちいちカッコいい。「最後の戦いが行われるのは未来ではない。今夜だ」とか「もう誰も未来からは来ない。やつと俺だけだ」とか「嵐が来ると言っています」「知っているわ」とか。スピード感と緩急の付け方もすばらしい。実はたった3日間の物語で、しかも徹底して夜の映画になっている。あと、あまり言われないことだが、ユーモアがあるのもいい。

だが、今見直して一番感心させられるのは、この若手監督が、編集によって物語を作り上げていくという、映画のストーリーテリングの基本を、この時点で完璧に把握して、その能力を存分にふるっているということ。脚本家としても監督としても最初から逸材だったということになる。

キャメロンデビュー作『殺人魚フライングキラー』で見せつけた才能の片鱗

それではこのジェームズ・キャメロンという監督は、どういう人だったのか。

1954年生まれなので、今は65歳。カナダ出身で、17歳のときにロサンゼルスの東の小さな町に引っ越してきた。1960年代に子供時代を過ごしたSFファンが全員そうだったと思うが、まず当時のテレビドラマの影響が大きい。「ミステリーゾーン(トワイライト・ゾーン)」「アウターリミッツ」「宇宙大作戦」である。

だがキャメロンの一番の特徴は、小説を読むSFファンだったこと。SF映画の監督と言うと、少し年上に40年代生まれのジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグがいるが、ルーカスもスピルバーグも本を読まないSFファンだった。ルーカスが子供時代に夢中になり、のちの『スター・ウォーズ』の手本にしたのは、「バック・ロジャース/原子未来戦」のような、テレビで放送されていた戦前の連続活劇映画だった。スピルバーグは50年代のSF映画ブームの中で育ち、『地球の静止する日』『遊星よりの物体X』『宇宙戦争』などが彼のSF映画の基盤になった。二人とも小説の影響はあまり受けていないのだ。

もちろんジェームズ・キャメロンも映画ファンだったが、同時に、教師だった祖母の影響で、子供の頃から本好きだった。小学校時代の愛読書が、アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインライン、レイ・ブラッドベリの本だったというから、立派なSFファンと言える。

小説好きだったことがのちのキャメロンに有利に働いたのは、彼が自分で脚本を書くのが好きな映画監督になったということ。ジョージ・ルーカスはその点ですごく苦労したし、スピルバーグは自分で脚本を書くことがほとんどない。それに対して若い頃のキャメロンは、脚本家としてもハリウッドに食い込むことができた。

地元の短大を卒業したジェームズ・キャメロンは、トラック運転手のアルバイトをしながら、脚本を書き、絵を描き、いつかは映画監督になりたいと願っていた。1977年に『スター・ウォーズ』を見て大いに発奮し、地元の歯科医に資金を出してもらって、12分の短篇映画を自主製作する。「Xenogenesis」というSF作品で、8ミリや16ミリではなく、商業作品と同じ35ミリ・フィルムで撮影したというのが、最初から完全プロ志望だったキャメロンらしい(現在 YouTube で観ることができる)。

これを観て、「うちで働くか?」と声をかけてくれたのがロジャー・コーマンのニュー・ワールド・ピクチャーズという製作会社だった。当時も今もそうだが、ハリウッドの映画界は新卒採用試験があるわけでもなく、ある種の縁故社会なので、最初に外から入ることがいちばん難しい。この壁を突破させてくれたのがロジャー・コーマンだったわけだ。

ロジャー・コーマンは自身も監督で、製作会社を経営するプロデューサーでもあって、才能ある新人スタッフの発掘では定評があった。監督に限っても、フランシス・フォード・コッポラもモンテ・ヘルマンもピーター・ボグダノヴィッチもカーティス・ハンソンもマーティン・スコセッシもスティーヴ・カーヴァーもジョナサン・デミもジョー・ダンテもロン・ハワードもジミー・T・ムラカミも、どこかの時点でロジャー・コーマンのもとを通過して名をあげている。

才能がある無名の若者に低賃金で仕事を任せ、そのかわり、やったらやった分だけきちんとクレジットに名前を出す。そういうやり方で予算を守るからこそ、長い間、面白い映画を量産することができていたと言える。

ジェームズ・キャメロンはここで『宇宙の7人』『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』という2本のSF映画に参加する。最初は特撮用のミニチュアを作る仕事で雇われたのに、宇宙船のデザイン担当になり、そのまま美術監督になり、とうとう二班監督としてクレジットされるところまで行った。自分の担当ではないところまでどんどん手を出して、とにかくいいところを見せてやるという働き方で目立っていたという。

そして26歳の時、ついに監督デビューの機会をつかむ。『殺人魚フライングキラー』という映画だが、これについてはいろいろあって、キャメロン本人はいまだに自分の監督・脚本作とは認めたくないらしい。ジャマイカの撮影現場でイタリア人のプロデューサーと対立し、「途中降板させられた」、「編集も思うようにやらせてもらえなかった」と怒っている。ジェームズ・キャメロンのファンの間でも、これを褒める人はあまりいないが、私はじつはこの『殺人魚フライングキラー』が大好きなのだ。

物語は人喰いトビウオがリゾートビーチを襲うという『ジョーズ』『ピラニア』の三番煎じなのだが、あらゆるところに、のちによく知られるようになるキャメロンの特性を見て取ることができる。撮影にも編集にもキャメロンらしい冴えがあるし、どう考えても彼の映画としか言い様がない。「デビュー作にはその作家のすべてがある」という言葉がこれほど当てはまる例も珍しい。

まず主人公が30代の女性で、海洋生物学者で、ダイビングスクールの講師で、別居中の夫との間に男の子がいる母親でもある。男性とコンビを組んでも、常に彼女の方が行動的で、リーダーシップを取る。相手の男性はちょっと陰があって、じつは隠し事をしている。企業と軍隊が悪役だが、彼らが相応の報いを受けることはない。夜の場面が多く、その描写はブルーの照明で映し出される。ヘリコプターが大活躍し、エアダクトの中を這って逃げるシーンがあり、死体の腹部を突き破って殺人魚が飛び出してくる。

何よりも驚かされるのは、のちにキャメロン映画の常連となるランス・ヘンリクセンが、ここにすでに融通の利かない堅物の警察署長役で出演していて、「なんだあのロボットみたいなやつは?」と揶揄されている。ランス・ヘンリクセンは『ターミネーター』には刑事役で出ているが、じつは企画段階では彼こそがターミネーター、つまりロボットを演じるはずだった。『殺人魚フライングキラー』の段階ですでに、キャメロンの頭のなかでは『ターミネーター』の企画が動き出していたことがはっきりとわかる。

ジェームズ・キャメロンはなぜ寡作家なのか

結果として『殺人魚フライングキラー』はほとんど話題にならなかった。このときの失敗から学び、信頼できるプロデューサーとの二人三脚体制を確立し、満を持して監督したのが2年後の『ターミネーター』だったのだ。

その後の彼は、『エイリアン2』『アビス』『ターミネーター2』『トゥルーライズ』『タイタニック』『アバター』と、ほとんど負け知らずの人生を歩み、興行収入の世界記録は、昨年『アベンジャーズ/エンドゲーム』に抜かれるまで、1位が『アバター』、2位が『タイタニック』というキャメロン作品で占められていた。

ショーン・フレンチ『「ターミネーター」解剖』(2003年、扶桑社)という評論書があり、コンパクトな名著なので興味のある人にはぜひお勧めしたいが、翻訳家の矢口誠氏がこの本の訳者あとがきで非常に重要な指摘をしている。『ターミネーター』と『タイタニック』の2作のプロットの類似を仔細に論じたうえで、「キャメロンにとって、『タイタニック』は自らの原点である『ターミネーター』への回帰だった」と結論づけているのだ。これこそが、SFの人ではなく、物語作家としてのジェームズ・キャメロンのもう一つの顔であり、この部分こそが、彼をヒットメイカーたらしめている最大の要因といえる。

『ターミネーター2』にも触れておくと、すぐに続篇を望まれていたにもかかわらず、7年かけて慎重に取り組んだ甲斐があって、前作の物語をうまく引継ぎ、ひっくり返し、新しい魅力と意外性をたっぷり詰め込んで、世界中の観客の期待のさらに上を行く、キャリアのひとつの頂点と言っていいような成果をあげることができた。前作と同じ3日間の物語ながら、前作とは対照的な昼の映画だったことも感動的だった。

アクションも特撮もすべてが前作とは桁違いの製作費を投じた見せ場になっているが、今回『2』を見直していて印象に残ったのは、『ターミネーター』ではうまくいっていなかったアーノルド・シュワルツェネッガーのガン・アクションがきちんと改善されていること。前作では、引き金を引く動作で銃口がぶれたり、発火時に目をつぶってしまったりという殺人ロボットにあるまじき所作が見られ、ヨーロッパ出身のシュワルツェネッガーらしい、銃に慣れていない一面が感じられたが、続篇ではトレーニングの成果が十全に発揮されている。

一方で、このころから作品と作品の間がやたらと空くようになってくる。これはジェームズ・キャメロンのいいところでもあり、悪いところでもあるのだが、彼は自分で何でもやりたい人なのだ。自作の脚本を必ず自分で書くのもそうだし、かつて1本の映画に特撮と美術と二班監督でクレジットされていたころから変わっていない基本姿勢なのだろう。

海洋SF『アビス』を作るためには、海のことを知らなければいけない。そこでまずダイビングにハマってみる。タイタニック号の映画を作るために、猛勉強して世界有数のタイタニック研究家になってしまう。海底に沈没している本物を見るために、潜水艇の開発計画に参加する。こんなことをしていたら時間がいくらあっても足りないわけで、おかげで37年にも及ぶ彼のキャリアのなかで、長篇劇映画の監督作は8本しかない。「ターミネーター」シリーズはその後、『ターミネーター3』『ターミネーター4』『ターミネーター:新起動(ジェニシス)』の3本がそれぞれ別の監督によって作られたが、これらにキャメロンはまったく関わっていない。

「ターミネーターらしさとは何か」を考えた現代の物語

今作で登場する最新型ターミネーター「REV-9」は触れた相手の外見に変身することが可能で、1つの肉体を2体に分離することもできる

新作『ターミネーター:ニュー・フェイト』は、そのジェームズ・キャメロンがついにシリーズに復帰したということで話題になっているわけだが、彼がサラ・コナー役リンダ・ハミルトンの復帰を促し、ターミネーター役アーノルド・シュワルツェネッガーとの共演がまた見られたことには、本当に驚かされた。『ターミネーター』のときは27歳、『ターミネーター2』のときは34歳だったリンダ・ハミルトンが、62歳で最高にクールなアクションスターとしてカムバックした姿を見るのは、なんとも言えない感動的な体験だった。

新作の舞台は2020年の現代。今回ターミネーターに狙われるのは、メキシコ人の21歳の女性ダニー・ラモス(ナタリア・レイエス)。彼女を守るために未来からやって来た兵士のグレースを、『オデッセイ』『ブレードランナー2049』という2本のSF映画で小さい役ながら目立っていたマッケンジー・デイヴィスが演じ、これにサラ・コナーが加わった女性三人組の逃避行が物語の中心になる。このあたりは非常に現代的だし、メキシコからアメリカへ国境を抜ける話が出てくるのも、今の映画ならではの意味がある。『ターミネーター』『ターミネーター2』は、じつは一貫してロサンゼルスからメキシコ国境までの乾いた風土を背景にした物語で、その伝統にかなった選択ともいえる。

写真左が強化型スーパー・ソルジャーに改造された女性兵士のグレース、写真右が本作主人公のダニー・ラモス

今回の記事ではネタバレをしないが、ひとつ言えるのは、今回の思い切った改変は、よくよく考えてみれば、ジェームズ・キャメロンが製作に復帰したからこそできたということ。生みの親が許可したからこそ、思い切って新しい物語に挑むことができた。そのなかで「ターミネーター」らしさとは何か、ということを突き詰めて考えた結果がこの映画になったと言える。

新作の監督はティム・ミラー。CGアニメーター、視覚効果アーティストで、『デッドプール』で長篇監督デビューして大きな注目を集めた。誰もうまくいくと思っていなかった『デッドプール』のような企画で、作品のなにが面白いのかを理解し、R指定になっても、製作費を削られても、作品本位の姿勢をつらぬき、そのことで内容的にも興業的にも予想外の成功をおさめた。ミラーはまた、SFとして極めて先進的な配信アニメシリーズ「ラブ、デス&ロボット」の製作者でもある。

視覚効果スタッフ出身で、SFやアメコミ原作への深い理解があり、自分のしていることに確信を持っているという意味では、35年前のジェームズ・キャメロンに通じるものがあり、『ターミネーター:ニュー・フェイト』の監督として最適の人物と思える。

人の頭蓋骨を機械軍の無限軌道が踏みにじっていく、シリーズのアイコンとも言える描写の見せ方にはにやりとさせられるし、ターミネーターの数少ない弱点といえる犬(人間に偽装されたターミネーターを見抜くことができる)の使い方もおもしろい。

そうしたおなじみの描写にうれしくなる一方で、新型ターミネーター「REV-9」には、1作目のエンドスケルトン型と2作目の液体金属型の特徴を合体させたような奇抜なしかけがある。シリーズで初めて、「科学技術で身体能力を補填・拡充した人間」という本来の意味でのサイボーグも登場する。これらは新作スタッフのアイデアの反映だろう。

問題があるとすれば、『ターミネーター』の精神は『ターミネーター』の続篇を作ることでは果たされない、という本質的なジレンマがあること。当時のジェームズ・キャメロンが持っていた、SFへの理解、オリジナル脚本へのこだわり、製作規模の制約を逆手に取った創意工夫、独立独歩の精神といった新しさは、巨大なフランチャイズ映画では発揮できない。

それを期待するのであれば、私たち観客は、『ターミネーター』シリーズの新作を見るのと同時に、無名の監督のオリジナル新作に広く目を配り、新世代のジェームズ・キャメロンの登場を待望し続けなければならない。

その意味で、『ターミネーター:ニュー・フェイト』と「ラブ、デス&ロボット」を同時並行で手がけたティム・ミラーのしたたかさには、『ターミネーター』の精神が宿っていると言えるかもしれない。


ターミネーター:ニュー・フェイト
11月8日(金)全国ロードショー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
監督:ティム・ミラー
製作:ジェームズ・キャメロン、デイヴィッド・エリソン
キャスト::アーノルド・シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトン、マッケンジー・デイヴィス、ナタリア・レイエス、ガブリエル・ルナ、ディエゴ・ボネータ
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