神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
平成をまるごとかけたシーソーゲーム
2018年7月、FIFAワールドカップ・ロシア大会決勝トーナメント一回戦で、日本はベルギーに破れた。そして、「日本代表のミスチル世代」が終わった。宇野維正×レジー『日本代表とMr. Children』(ソル・メディア)は、サッカー日本代表と、日本を代表するバンドであるミスチルことMr. Childrenのそれぞれの歴史、互いの関わり合いを追いかけることで、「平成」という時代の輪郭を今までにない角度で浮き彫りにしようと試みている。
両者の歴史やその受容のされ方をみていくと、「自分探しブーム」「海外文化に憧れなくなったガラパゴス化の進行」「意識高い系の登場」といった平成の若者の価値観の変化について、節々で大きな影響源のひとつになるような動き(楽曲の歌詞やインタビューでの発言なども含め)をしていることがわかるという。
本書は1970年生まれのジャーナリスト・宇野維正と、1981年生まれの会社員兼音楽ライター・レジーの対談形式で進行していく。本書で言う「ミスチル世代」とは、現在30代から20代後半あたりまでで、レジーのように学生時代から「多大な影響を受けた憧れの先輩」のようなかたちでミスチルを聴いて育ってきたリアルタイム世代のことだ。
Jリーグ開幕の前年、1992年にメジャーデビューをしたミスチルは音楽活動の傍らでサッカーに強く興味を持っていた。初のワールドカップ参加となった1998年頃からフロントマン・桜井和寿は名波浩などプロサッカー選手と交流をし始め、元々野球をメンバー同士でやっていたミスチルは、彼らとオフの時にサッカーをするようになった。
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宇野 野球に関してもサッカーにしてもそうだけど、もともとミスチルのメンバーって、いざやるとなると本気スイッチが入っちゃうんだろうね。それって、要するに彼らの属性が「ナード」(内向的なオタク)じゃなくて「ジョック」(スポーツが得意なクラスの人気者)だったってことだと思うんだ。(P54)
このようにして、日本という枠内でありながらもスケールの大きい文化交流が始まった。両者が音楽とスポーツという職種の垣根を越えて同じような足跡を残してきたということから、世の中の「流れ」というものが本当にあるのだと本書は感じさせてくれる。
サッカー日本代表・ミスチル間のキャッチボール
名波は「試合前にミスチルの曲を聴くと、内への引きが強すぎてその試合は負ける」ということを、ある時桜井に話したという。それを聞いた桜井は、名波がアクティブになって勝てるような外向きの曲を作ろうというモチベーションで曲をつくった。
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レジー 学生時代の仲間とバンドを組んでそのままスターダムに上り詰めた桜井、学生時代からずっとサッカーばかりやってきたそのまま日本代表の10番を背負うようになった名波。我々の生きている「社会」と彼らの「社会」はかなり違いますけど、お互いにとって「社会」に出てから外の世界で出会った数少ない、そしてかけがいのない友人なんでしょうね。 (P74)
ミスチル世代にとって特に思い出深いワールドカップは、2002年に開催された日韓ワールドカップだろう。当時の日本最先端は、セリエAでプレーしていた中田英寿の動向だった。「中田のインタビューがあるから それを見てから考えるとしようか」という歌詞が出てくる「LOVEはじめました」(2002年)。そして、試合前にミスチルの曲を聞く日本代表選手たち。両者の関係はしだいに強いものになっていった。
予選リーグで一つも白星をつかめず、29歳で中田が代表引退を表明した2006年のドイツ大会。同年から日本代表を率いたのは、前年にジェフユナイテッド市原・千葉をナビスコカップ優勝に導いたユーゴスラビア出身のオシムで、「日本サッカーの日本化」という方針が発表された。
この時期ミスチルは、メンバー自身がそうは称していないものの「ミスチルのミスチル化」と言えるような動きをしていたという。2002年、桜井は小脳梗塞の疑いから休養をとり、2004年に日本のポップミュージックの名曲カバーを中心にした別バンド、Bank Bandを始動する。これは2005年から続く音楽フェスの「ap bank fes」の開催を中心に、環境問題の解決や省エネの促進などを進めるプロジェクトのための資金集めが主目的だったが、桜井はBank Bandを「サッカーでいう日本代表みたいなもの」と表現し、原点回帰の目的も示していた。
「代表戦」という記憶の離散
そしてサッカー日本代表は次世代へと移り変わる。2010年から長らくキャプテンを務めた長谷部誠は、2006年2月アメリカ遠征の際に代表初招集となった。長谷部こそが日本代表における「ミスチル世代」の体現者だと著者の2人は指摘する。長谷部は自身の著書『心を整える』の中で好きなミスチル楽曲トップ10をわざわざ紹介するほどのファンで、海外でプレーする時の支えにしていた。
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宇野 長谷部はドイツに移籍した後、孤独を感じていた時にミスチルの歌に助けられたって言ってるじゃない?きっと「日本人らしさ」というものを海外で問われた時、そこで立ち返るものとして、もともと好きだったミスチルの音楽がさらに重要なものになっていったんだろうね。(P196)
長谷部だけではなく、香川真司、本田圭佑もミスチルのファンで、2010年から4年間監督を務めたザッケローニはある時「選手が好きなのがどんな音楽なのか聞いてみたい」という理由でミスチルのコンサートを訪れたことがあるという。
日本代表として日の丸を背負うことの意義も複雑になっていった。クラブ同士やFIFAという組織が生み出すサッカー政治の背景。ソーシャルメディアの普及に伴い、時には辛辣な批判や誹謗中傷にも晒される、よりダイレクトなファンとのコミュニケーション。ピッチでのプレー以外にも選手たちが気にしなければいけないことが増えていった。日本代表そのものの広告的価値も、ワールドカップ初出場当時と比べると桁違いに増していき、選手たちの「身体」は変わっていった。
一方の桜井はキャリアのかなり早い段階で、有名になりすぎたことによる苦悩があったという。アーティストとしての「軌道」を長らく考え続けてきたミスチルは、2014年5月、ワールドカップ・ブラジル大会の直前にデビュー以来所属していたマネジメント事務所のOORONG-SHAから独立した。
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レジー 桜井はOORONG-SHAから離れた理由について「すごい安定した乗り心地のいい車に乗っていたと思うんですよ。でも、この生活を続けて、今後どんどん足腰弱っていっていいのかな?っていう不安があって」と、とても桜井らしい表現で語っています。 (P213-214)
ミュージシャンの「身体」に負けず劣らず、現代サッカー選手は複雑だ。例えば本田のキャリアはどうだろうか。セリエA、リーガ・エスパニョーラ、プレミアリーグなど、サッカーのメインストリームから考えると辺境の地であるロシア(モスクワ)でキャリアの多くを過ごし、サポーターを沸かせ、メディアへの発信を積極的にし、現在はカンボジアのコーチをしながらオーストラリアで選手をしている。本田が歩んできた道は、かつての中田がそうしたように、サッカー選手の「軌道」を押し広げた。本田に対する批判も本書の見どころの一つだが、その本田も含めて、前述した全ての流れを「平成」というキーワードで分析している。
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宇野 1998年のワールドカップ初出場から2018年のロシア大会まででちょうど20年。「ワールドカップに挑む日本代表」を一人の人格とするならば、その人格もようやく「成人」したことになる。(P263)
かつては「ドーハの悲劇」「ジョホールバルの歓喜」というような節目節目の出来事は、感情とともに「サッカー日本代表の記憶」として受け継がれてきた。しかし、海外組の存在が当たり前になり、感情は離散していき、日本代表の向いている方向を「皆がそうだと確信できる唯一のもの」として容易に示すことができなくなった。そうした混沌から発されたボールを、ミスチルはどのように蹴り返していくのか。その展望を、本書は大胆な切り口で読者に示してくれる。