CULTURE | 2018/12/10

映画祭でもインディーズ映画が熱い!(その1) 【連載】松崎健夫の映画ビジネス考(6)

写真提供:田辺・弁慶映画祭実行委員会
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『カメラを止めるな!』、『カランコエの花』、『赤色彗星倶楽...

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写真提供:田辺・弁慶映画祭実行委員会

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『カメラを止めるな!』、『カランコエの花』、『赤色彗星倶楽部』、これら3本の映画には、ある共通点がある。1つ目は、無名の俳優を起用し、低予算で製作された「自主映画」=「インディーズ映画」である点。2つ目は、大手映画会社の配給網に頼らない興行形態で上映がスタートした点。3つ目は、作品知名度の低さから東京での単館上映という興行的なハンディキャップを持ちながらも、連日の満席を記録。やがて上映館を全国に増やしていったという点。

その中でも『カメラを止めるな!』(18)は、社会現象とも呼べるほどの大ヒットを記録。東京で2館の上映から始まった『カメラを止めるな!』は、結果的に47全都道府県で上映され、上映館は340館にまで拡大、現在も5カ月以上に渡るロングラン記録を更新中だ。さらに興行収入は30億円を突破し、年間興行ランキングTOP10入りを確実にしている。そして、インディーズ映画の多くが注目されるきっかけとなっているのが日本国内で開催されている各映画祭。前回、国際映画祭の意義として<新たな才能の発見と育成>という側面を挙げたが、日本国内の映画祭もまた<新たな才能の発見と育成>を目的としている映画祭が多いのである。

連載第6回目では、「映画祭でもインディーズ映画が熱い!(その1)」と題して、2018年の日本映画界を牽引したインディーズ映画の実情を解説してゆく。

松崎健夫

映画評論家

東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了。テレビ・映画の撮影現場を経て、映画専門の執筆業に転向。『WOWOWぷらすと』(WOWOW)、『japanぐる〜ヴ』(BS朝日)、『シネマのミカタ』(ニコ生)などのテレビ・ラジオ・ネット配信番組に出演中。『キネマ旬報』誌ではREVIEWを担当し、『ELLE』、『SFマガジン』、映画の劇場用パンフレットなどに多数寄稿。キネマ旬報ベスト・テン選考委員、田辺弁慶映画祭審査員、京都国際映画祭クリエイターズ・ファクトリー部門審査員などを現在務めている。共著『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)ほか。日本映画ペンクラブ会員。

オリジナル脚本の映画化は困難、役者にとっては魅力的な作品が少ない

2018年の日本映画界を象徴するトピックスのひとつに「インディーズ映画が注目された」ことが挙げられる。そもそも<インディーズ映画>とは、アメリカや日本のように映画業界の主体を大手映画会社(日本の場合、東宝・東映・松竹など)によって成されている場合、大手の系列下に属さない独立系の映画製作会社・独立プロダクション、あるいは学生映画や自主映画など個人資本によって製作された映画のことを指す。前述の『カメラを止めるな!』、『カランコエの花』、『赤色彗星倶楽部』はその代表だが、これらは学生映画や自主映画に分類される。

一方で、『64−ロクヨン−』(16)や『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(17)を大手映画会社の製作で大ヒットさせた瀬々敬久監督が、クラウドファンディングなどによって資金調達した上で完成させた『菊とギロチン』(18)のような作品もある。この映画は、2015年から資金提供を募り、企画に賛同した会社や145人の個人からの出資やカンパを製作費として2016年に撮影。ところが製作費を使い果たしてしまったため、作品の仕上げ費用や宣伝費が不足。クラウドファンディングによって“上映支援プロジェクト”を立ち上げたという経緯がある。撮影終了から3年弱もの年月経て作品が公開された背景には、そのような事情があったのだ。

瀬々敬久監督と『WOWOWぷらすと』という番組で共演した折「大手映画に頼る事なく自由に製作することが、この映画の内容にも相応しい」と製作に対する信念を語っていたのが印象的だった。『菊とギロチン』にはオーディションで300名の応募者の中から選ばれた木竜麻生や、『ピストルオペラ』(01)の鮮烈デビュー以来、作家性の強い作品でヒロインを演じて来た韓英恵のような役者だけでなく、東出昌大や井浦新など、瀬々敬久監督の熱意に賛同した著名な役者も出演している。

瀬々敬久監督があえて自主映画として製作する道を選び、公開規模も定まらない低予算の映画に著名な俳優が出演する背景には、日本映画界が抱えるある問題点を見出すことが出来る。例えばそれは、映画作家たちが作りたいと願う作品は大手映画会社で製作できないという実情。昨今、人気小説や漫画を原作とする映画が以前に増して粗製濫造されている感が個人的にもある。原作の知名度や売り上げに裏付けされたマーケティングは、映画作家のクリエイティビティとの共存が難しい。それゆえ、映画のために書かれ、原作のないオリジナル脚本を映画化することも困難になっているのだ。そして役者たちにとっても、演じるにあたって魅力的な作品が少ないという実情を何となく感じさせるのである。

映画を作りたければオリジナルで作るべき

インディーズ映画として製作され、上海国際映画祭のアジア新人部門最優秀監督賞など国内外の映画祭で受賞を果たした、齊藤工監督の『blank13』(18)。これは、俳優・斎藤工の初長編映画監督作品である。斎藤工は2019年3月公開の『家族のレシピ』(18)に主演しているが、この映画ではシンガポールのエリック・クー監督と組んでいるように、活動の場を海外に広げ、作家性の強い監督との仕事を好んで選んでいることを感じさせる。また、『恋する惑星』(94)の撮影監督として注目されたクリストファー・ドイルがジェニー・シェンと共同監督した香港・マレーシア・日本合作の『宵闇真珠』(17)には、これまでも海外の監督たちと多くの作品で組んできたオダギリジョーが出演。さらに、個人や仲間の協力で製作・配給・上映までを担い、大手興行網との関係から距離を置きながらも国際的な評価を得ている塚本晋也監督は、新作『斬、』がヴェネチア国際映画祭のコンペ部門に選出させた。つまり、今冬以降に日本公開される作品を散見するだけでも、その傾向は見てとれるのである。国際的な活動の場として目指す先はハリウッドだけではないのだ

大手映画会社で製作された作品は、各映画会社系列の映画館やシネコンで上映されるが、インディーズ映画は上映館を確保しなければならないというリスクを抱えている。実はインディーズ映画の多くが、上映する映画館が決まらないまま撮影に入っているということが常となっているのだ。とりあえず作品を製作し、完成した作品を関係者に観てもらうことで上映先を確保する、というプロセスが主流。ともすれば上映先が見つからず、製作費を回収できない可能性もある。また、たとえ上映したとしても、映画がヒットして製作費が回収できるという保証もない。1月26日公開の『デイアンドナイト』(18)で、役者としてではなく、プロデューサーとして作品に参加している山田孝之は「映画を作りたければオリジナルでやるべきだと思うんです」とインタビューで語っている。この映画では、出資者を探して数千万円もの製作費を山田孝之本人が一人で集めたのだという。たとえリスクを抱えたとしても「自分たちの作りたい映画を成立させたい」という熱意。著名な映画人たちによるある種の変革は、日本の映画界の潮流を少しずつ変えてゆくように感じさせるのだ

一方で、学生映画や自主映画の類いは、そもそも資金力も映画業界とのコネも不足していて、映画館での上映を叶えること自体が困難とされている。それらの作品を評価することで劇場公開へと導く役割を担っているのが、日本国内でインディーズ映画のコンペティションを開催している映画祭なのだ。例えば、先述の『カランコエの花』は、京都国際映画祭のエンターテインメント映像部門などでグランプリを受賞。『赤色彗星倶楽部』は、田辺・弁慶映画祭などでグランプリを受賞。これら受賞歴という<肩書き>が、結果的に映画館での上映へとつなげてゆく傾向を生み出している。特に、今年で12回目を迎えた田辺・弁慶映画祭は、和歌山県田辺市という地方で開催される小規模な映画祭ながら、ぴあフィルムフェスティバルと並ぶ学生映画・自主映画にとって重要な映画祭へと成長している。

映画祭の多くは、受賞作品を表彰・賞金の授与をすることで完結するのだが、田辺・弁慶映画祭は受賞作品が劇場公開されるという点で他の映画祭と比べても特異だといえる。学生映画や自主映画を製作する監督たちにとって、作品の出口となる上映先が確保されることは、次の作品を製作することに繋がる可能性もあるのだ。実は、実績のある映画人たちが製作したインディーズ映画も、無名の映画人が製作した学生映画や自主映画も、“作品の出口を見つける”という興行的な側面が重要であるという点においては、何ら変わりはないのである

関連記事:東京国際映画祭の功績(その1) 【連載】松崎健夫の映画ビジネス考(4)
https://finders.me/articles.php?id=424


出典:『現代映画用語事典』(キネマ旬報社)

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『デイアンドナイト』