Chihei Hatakeyama(畠山地平)というアーティストをあなたはご存知だろうか。2006年にアメリカのレーベルKrankyから『Minima Moralia』をリリースしデビューして以来、アンビエントないしドローンというジャンルの音楽を年に何枚もリリースしているのだが、海外での人気が高く、Spotifyの2017年の「海外で最も再生された国内アーティスト」では、坂本龍一やBABYMETAL、ONE OK ROCKらと並んで10位にランクインしている。
そんな畠山氏は、自身のアーティスト活動と平行して2013年から自主レーベル「White Paddy Mountain」を運営しており、加えて外部アーティスト作品のマスタリングや録音などの仕事も請け負っている。
畠山氏が紡ぎ出すアンビエントやドローンといったジャンルの音楽は、一般的なロック・ポップスと比べるとどうしても爆発的に売れるということは難しいが、だからこそそうしたアーティストたちは古くから活動の場を日本だけでなく世界にも広げ、インディペンデントな活動を成り立たせてきた。
2010年代も終わりに差し掛かり、日本のアーティストが海外リスナーを獲得することが現実的な目標となってきた昨今だが、その先達である畠山氏に「クリエイティビティを保ったままビジネスを成り立たせるためにはどうすればいいか」という質問を投げかけた。
(※今回の取材は2018年5月25日に行いました)
聞き手・文・構成・写真:神保勇揮
Chihei Hatakeyama
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1978年生まれ。神奈川県出身。Chihei Hatakeyamaとしてソロ活動を行う。電子音楽ユニットOpitope、佐立努とのLuis Nanook、ダブ・ロックバンドAll The Frogs Are Our Weekendとしても活動。独自の楽曲制作の他、映画などにも楽曲を提供。2006年にKrankyよりファーストアルバムをリリースし、世界中から何重にもプロセッシングされた楽器音が構築する美しい音色が評価された。以後各国のレーベルから積極的に作品の発表を続けている。
「文学青年の通過儀礼」を過ごした2000年前後
日本のクリエイターを世界に向けて紹介するYouTubeチャンネル「Archipel(アルシペル)」でのドキュメンタリー映像
―― 今のアンビエント、ドローンのスタイルになる前はメタルをやっていらっしゃったんですね。
畠山:バンド時代はそうでした(笑)。
―― メタルは今でも聴きますか?
畠山:今は全然聴いてなくて、この前もメタリカのライブ映像を観てみたんですけど、もううるさくて仕方がない。何で俺はこれを好きだったのかと(笑)。
―― 今の音楽と真逆ですからね(笑)。
畠山:高2の初めから高3の夏ぐらいまではどっぷりでしたが、受験勉強に集中できないということに気づいて(笑)。その後はオアシスみたいなブリットポップを聴いたりだとか、ニルヴァーナとか、普通の90年代洋楽を聴くようになって、という感じですね。テクノなんかを聴くようになったのは大学に入ってからです。
―― テクノシーンも90年代は特に盛り上がっていましたね。
畠山:エイフェックス・ツインとかも聴いてました。クラブに行くと、今もそうかはわからないですけどメインフロアの端の方でアンビエントをかけるDJがいたりするじゃないですか。周りの知り合いがそういう音楽を好きだったこともあって、自分もハマっていきました。あと当時はNinja Tune周辺などのトリップ・ホップもよく聴いていましたね。
そのあと、2000年前後ぐらいからはOvalみたいな感じで次から次へと新しい音楽が出てきたじゃないですか。特にボーズ・オブ・カナダは衝撃的でした。
―― オルタナ、ポストロックが輝いていた頃ですね。その頃から「バンドをやるのはもういいかな」というモードになってきたという感じでしょうか?
畠山:当時、打ち込みとバンドは同時並行でやってたんですよね。機材が高価だったので、最初はすごく安いシーケンサーとかゲームボーイみたいなやつでやったりして。バンドをやるのは面白いんですけど、方向性の違いというか、長くやっているとだんだん意見がズレてくるじゃないですか。ライブをやっていても、その状況で満足する人もいれば、もっと上に行きたいとか違うことをやりたいという人もいる。
―― 昔から「音楽で食っていきたい」という思いはありましたか?
畠山:断固たる意志というよりは、なんとなく食べていければいいなぐらいの考えというか、普通のサラリーマンになるのが恐怖というか、音楽で食べたいという意思はではなくて、彷徨っていていたいというか、本当は種田山頭火という詩人の生き方に憧れていたんですね、あとは高杉晋作とか、歴史とかの本が大好きだったので。高杉晋作は革命家的な詩人なんですね、そんな人なかんかいないじゃないですか、まあ今は徳川家康の方が好きですけどね堅実なところが。その後、まあなんかフラフラと大学を中退しちゃうんですよ。感性が鋭すぎたのか(笑)。
当時、授業や試験に1回も出なくても単位が取れたりしたので、全然授業に出なかったんです(笑)。でも「授業にまったく出ない大学生ってどうなんだ」みたいな後ろめたさがあって、よく分からなくなっちゃって辞めちゃいました。そこがそもそもの間違いで(笑)。それで「これからどうしよう…」となって、ゲームセンターの店長になって、音楽もやめました。
―― それが2000年代初頭ごろのお話ですか?
畠山:そうですね。97年に入学して、大学3年の時に辞めちゃったので。それで、文学が好きだったのもあってゲームセンターの店長もやめて、「もっと世の中のことを知らなくちゃ」と思って派遣の肉体労働を半年ぐらいやってみたんですけど、全然向いていなくて(笑)。
―― 文学青年の通過儀礼みたいな流れですね(笑)。
畠山:ただ、今となってはいい経験だったと思いますけど、若い時は本当に今思うと適当に生きてるなとか思うんですけど、当時は本当に切実だったんですね、暗闇を全力疾走で意味のない方向に走ってる感覚でした。その後肉体労働をやめて、工場で2年ぐらいバイトしたのかな。工場でライン作業みたいなことをひたすらやっていたら、音楽への情熱が戻って来て、仕事が終わってからMacで音楽を作ったりしてました。
ただ「このままいつまでもライン工場にいちゃまずいかな」とふと思って仕事を探したら、Airplane Labelというインディレーベルの募集があって受かったので、そこで働くことになりました。今のレーベルの運営のノウハウはそこで学ばせてもらった感じですね。
―― 類家心平や南博などなど、ジャズ系のリリースが中心のレーベルですね。Chihei Hatakeyamaという今の名義でデビューしたのが2006年ですか。
畠山:そうです。最初の頃はAirplane Labelで仕事しながら、仕事終わりと土日に曲を作っていましたね。
アーティストはビジネスについてどう捉えるべきか問題
―― 最近はSpotifyなどでアーティスト側は「どの曲がどの国で、どれぐらい聴かれているか」といったデータを見ることができますが、畠山さんはご覧になっていますか?
畠山:周りの人はみんな見てるけど、自分はあまり見ていなくて。見なきゃいけないよね(笑)。でもそこに影響されるのは嫌なんですよ。「アメリカでいっぱい聴かれているからこういうふうにしてみよう」とか、作為的なものは避けた方がいいかなと思うんです。
もちろん、ビジネスとして考えればちゃんと見なきゃいけない。ただ、どうも作為的になりすぎると、だんだんその音楽の魅力がなくなってきちゃうのかなと思っていて。デビューして間もない頃は功名心からというか、「もっとこういうふうにしたら売れるんじゃないか」っていう感じで作為的に作っていた時期があったんですけど、全然ダメで。それを上手くできる人もいると思うんですけど、自分は全然できなかったので、一切やめようと。
―― ミュージシャンに限らず、「多くのアーティストがビジネスマインドを持つべきだ」とはよく言われるものの、一方で「ビジネス関連の作業はアーティストがすべき仕事なのか?」という意見もありますよね。
畠山:最近はすごくそういうところにフォーカスが当たっているけど、曲を作る、演奏するという行為もビジネスなんじゃないか?とも思うんですよね。
―― ものづくりをして売る職人、というような意味合いでしょうか。
畠山:そうそう。人は誰しもさまざまな側面を持っていると思っていて。アーティスティックというか、繊細で感受性が強いけど、だからこそ冷静に現実を分析して、ビジネスではリアリスティックに行動できるという人もいるかもしれません。でもリアリズムで考えなきゃいけない場面で、ロマンチストな考え方で進めてしまうと大失敗してしまうんです。
―― なるほど。
畠山:そういう人を周りですごくいっぱい見てきたんです。音楽を作る時は思い切りロマンチストにならなきゃいけないんだけど、それをいざ売ろうとなったら超リアリストにならなきゃいけない。でも切り替え、使い分けがすごく難しいんです。曲を作る時にリアリストになっちゃったら、つまらない曲しかできない。でもそれを売ろうとなった時にロマンチストモードのままだと、すごく売れるんじゃないかと期待しちゃう。淡い夢を描いて仕事をしても、そんなに世の中は甘くないんです。
音楽というビジネスを考えるなら、まずもって「音楽を作り続けること」を目標にした方がいいと思います。いつも平常心で落ち着いた毎日を送れることが一番クリエイティブにとって大事で、そのためにはあまり無理しないことですね。
ミュージシャン・レーベル・エンジニアリングの三本柱
畠山:自分もさっき話したAirplane Labelで働きながら「いつかは会社を辞めて音楽一本で食っていけたらいい」と考えて実行に移しましたけど、何の準備もなく急に辞めても難しいじゃないですか。働きながら2年ぐらいかけて計画を立てて、その間にちょっとずつ個人の仕事を増やして、「ちょっとは稼げそうだなという」見込みが立ったところで会社を辞めたんです。それでも最初は全然うまくいかなくて。
―― それは何歳ぐらいのころですか?
畠山:最近ですね。5年前で35歳ぐらいです。最初の2年ぐらいは、本当に赤字で貯金が減るだけ(笑)。あの頃が一番恐怖で、毎日がスリリングでした、都会の真ん中でこんなに生きるか死ぬかを味わえるなんて、(笑)。
それを耐えたらだんだん回るようになってきて、コツも分かってきたしマスタリングも顧客が増えたりリピートしてくれる人も増えて、何とか回るようになって今という感じです。まるっきり収入がなくなっても1年間はやっていけるぐらいの貯金はして、あとは戦略をどう練るかです。この戦略という事に関しては歴史が好きだったことが幸いしました。諸葛亮孔明とか、孫子ですね。単に戦略を考えるのが大好きなんですね。
―― どんな戦略を立てたんですか?
畠山:独立する時に立てた戦略が、①ミュージシャン業の収入、②各種エンジニアリングの収入、③インディーズレーベル運営の三本柱で収入を立てて、相互に宣伝効果を生むというか、ミュージシャン活動がマスタリングの宣伝になればいいし、レーベルで自分以外の作品をリリースしているものも、また自分の音楽の宣伝になればいいという、とりあえずそういう戦略でやっているんです。でも、ビジネス本を立ち読みすると「とにかく事業は一本化しろ」と書いてあったりする(笑)。
―― 「選択と集中」ですね。
畠山:だから、最初は相当不安だったんです。「俺の戦略は間違っているのかもしれない」と思って、その時は暇だったので1週間ぐらい喫茶店でずっと考えて練り直そうと思ってやっていたんですけど、とりあえずマスタリングに一本化してみようと。そのための機材を買ったらいくらかかるかっていうような計算を電卓と叩きながらやっていたんですけど、どう考えてもうまくいかない(笑)。経費がかかり過ぎるので、無理だなと思ったんです。
それでまた開き直って「もういいや、この3つでやってみよう」という感じで、改めて計算し直して、という感じでやってきました。
―― その三本柱の中で、メインとなっている収入はどれなのでしょうか?
畠山:最近は自分のアーティスト収入が多くなってきました。この10年ぐらいで音楽ビジネスのあり方が激変していますが、一つのターニングポイントだったのはbandcampです。アカウントを作ってから急に海外に広がるようになりました。今ではSpotifyみたいなサブスクリプションの収入もかなりありますね。
―― 畠山さんはSpotifyで2017年の「海外で最も再生された国内アーティスト」で10位にランクインいています。ONE OK ROCKや坂本龍一と並んでいるわけで、相当な再生数なのだろうなと。
畠山:これまでもアンビエントやインスト、ノイズ系なんかの人たちはずっと海外メインでやっていたと思うんですよね。言葉の壁が無いからどの国の人でも聴きやすいので。これまで日本の音楽市場はずっと世界2位の規模があって、そこを目指す方がいいという考えが主流でしたが、少しそこに変化が出てきたのかなと。ただ当たり前ですが、欧米の人と日本やアジアの人では文化的背景がトータルにまったく違います。なので欧米でも売れて日本でも売れるというのはかなり難しいかもしれないと思ったりもしますね。
アンビエントやドローンはどうやって作る?
―― 畠山さんの音楽が特に受け入れられている国はあったりしますか?
畠山:イギリスとアメリカですね。自主レーベル「White Paddy Mountain」のbandcamp経由が多いんですけど、それは各作品のページに英語の紹介文を書いているという部分も大きいと思います。ただ欧米は日本からすると全部一緒くたに見えちゃうけど、それぞれ固有の言語とか歴史があるので、例えばドイツ語、フランス語、スペイン語を増やしたらどうなるかという実験はしてみたいと思うこともあります。
White Paddy Mountainのbandcampページ
イギリスが多いのは、何となく自分でもわかる部分があって。例えばレディオヘッドやマイ・ブラッディ・バレンタインみたいなUKロックやシューゲイザーも好きですし、そこから影響を受けてメロディや音色ができることもあるので、イギリス人からすると聴きやすい部分があるのかもしれません。
―― 率直な疑問で恐縮ですが、畠山さんが作る音楽はどんな流れで生み出されているのでしょうか? 楽器や音楽ソフトを鳴らしてみて「これが気持ちいいな」というかたちで進めていくのか、何か具体的なイメージがあって、それに近付けていくようなスタイルなのか。
畠山:人によってもちろん違うでしょうけれど、自分の場合は何となくイメージが先にあって、そのイメージに近いメロディや音色を合わせていく感じですね。その結果を聴きながら音を足していったり、編集したりといろいろです。編集も無限にできるので。
―― 曲の長さはどれぐらいにするのかとか、どこで音色を変えるとかエフェクトをかけるとか、永遠にいじり続けられそうですね。
畠山:ただ、経験値が溜まると「こういうフレーズなら、これぐらいの長さで飽きるな」ということがわかってきたりもするんですよ。アレンジが派手でメロディが良くてフックもたくさん、というようなポップミュージックは脂っこい料理と一緒で4分ぐらいまでに抑えないと飽きちゃうんですが、逆に地味な音がずっと続くような音楽は、短いと全然効果がないというか、物足りなかったりします。
自分の中では大体は4分が一つの単位なので、8分ぐらいの曲なら4分で1回場面転換するとか、4つの場面を作って12分の曲にしようという感じですね。
―― なるほど。ではイメージの着想はどういうものから得ることが多いですか?
畠山:自分の場合は大きな意味で自然的なもの、季節とか海とか山とか宇宙も入ると思いますが、「人間以外の存在」みたいな意味合いでの自然から着想を得ることが多いです。今年5月にリリースした『Butterfly's Summer And Vanished』というアルバムは、日本の飛鳥時代、聖徳太子の時代の話にインスピレーションを受けたんですが、日本書紀と中国の歴史書って、それぞれ書かれている内容が食い違っていたりするんですよ。推古天皇という女性天皇がいた時代なのに、まったく違う男性の天皇に会ったという記述があったりとか。
どっちが嘘をついているんだという話ですが、日本の学界の面白いところは、例えば邪馬台国問題に関しては中国の歴史書を全面的に支持しているのに、飛鳥時代になると中国の歴史書は無視して日本書紀の記述が正しいということになるんです。でもそれっておかしいじゃないですか(笑)。
―― 確かにそうですね。
畠山:どの学者の本を読んでも、それに触れている人はあまりいなくて。一方でそういう謎、ミステリーみたいなものに心がワクワクして曲想が浮かんでくるんです。
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