CULTURE | 2018/09/03

増え続ける日本インディバンドのアジア進出。でも、なぜ行くの?|シャムキャッツ+寺尾ブッタ(月見ル君想フ)【前編】

※本インタビューは2018年3月14日に収録したものです。 写真左から、藤村頼正氏 (Drums&Chorus)...

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※本インタビューは2018年3月14日に収録したものです。
写真左から、藤村頼正氏 (Drums&Chorus)、菅原慎一氏 (Guitar&Vocal)、夏目知幸氏 (Vocal&Guitar)、大塚智之氏(Bass&Chorus)、寺尾ブッタ氏

日本のインディバンドやシンガーソングライターが、この数年次々と中国や韓国、台湾などアジア諸国でライブを開催している。各国の国民の所得増加とウェブサービスの充実化もあいまって、そうした日本の音楽に触れる海外のリスナーも増えているし、逆にアジア諸国のミュージシャンが日本で紹介されたり、来日公演を開催することも珍しくなくなってきた。

いまや「“洋楽志向”のカッコイイバンド」的な音楽がアジアからも大量に出てきているし、日本のそうした音楽を聴くアジア圏のリスナーもどんどん増えている。それは「YouTubeにアップロードしたMVが偶然外国でヒットした」というようなラッキーパンチではなく、地道な努力や草の根の交流こそが成果に結びつく、地に足着いた現象である。

そうした中で今回、2016年にアジアデビューし、来日するアジア圏のバンドとの共演経験も多数ある4人組ロックバンド「シャムキャッツ」と、14年に東京・南青山のライブハウス「月見ル君想フ」の台湾支店(台北店)を出店させ、多くのミュージシャンの進出をサポートするオーナーの寺尾ブッタ氏に、「日本のバンドのアジア進出の現状とその意義」というテーマでインタビューを行った。

聞き手・文・写真:神保勇揮

シャムキャッツ

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メンバー全員が高校三年生時に浦安にて結成。
2009年のデビュー以降、常に挑戦的に音楽性を変えながらも、あくまで日本語によるオルタナティブロックの探求とインディペンデントなバンド運営を主軸において活動してきたギターポップバンド。サウンドはリアルでグルーヴィー。ブルーなメロディと日常を切り取った詞世界が特徴。
2016年からは3年在籍したP-VINEを離れて自主レーベルTETRA RECORDSを設立。より積極的なリリースとアジア圏に及ぶツアーを敢行、活動の場を広げる。
代表作にアルバム「AFTER HOURS」「Friends Again」、EP「TAKE CARE」「君の町にも雨は降るのかい?」など。最新作はシングル「カリフラワー」。
2018年、FUJI ROCK FESTIVAL ’18に出演。

寺尾ブッタ

BIG ROMANTIC ENTERTAINMENT / 大浪漫娛樂集團代表(青山/台北月見ル君想フ、浪漫的工作室、BIG ROMANTIC RECORDS)

旅好きが高じて2001年北京短期留学、2005年頃青山月見ル君想フ入社、2014年に独立後、台北月見ル君想フ出店。以来東京と台北を中心に各種イベントプロデュースなどを手がけている。現在BIG ROMANTIC ENTERTAINMENTとしてライブハウス、レーベル、ツアーマネジメント等、を展開中。

なんで俺たちは海外に行っていないんだろう

―― まずはシャムキャッツがアジア圏でライブをやることになったきっかけを教えてください。最初に海外公演をやったのは台湾と韓国で2016年ですね。

菅原:僕らが台湾公演をできたのはキーマンである寺尾ブッタさんがサポートしてくれたからですが、一方で韓国の方は僕やメンバーの夏目(知幸)のソロで現地のアーティストと共演していたりして、少しつながりがあったんです。

菅原慎一氏 (Guitar&Vocal)

夏目:例えば2013年だと「404(サーコンサー)」っていう韓国のロックバンドが来日した時に俺のソロで対バンしたね。

夏目知幸氏 (Vocal&Guitar)

韓国の2人組ロックバンド、404(サーコンサー)のライブ映像。切れ味鋭いリフを基調としたガレージロックで、韓国大衆音楽賞において2012年度の新人賞も受賞している。

菅原:僕は16年にCOGASON(コガソン)という韓国のバンドと対バンして仲良くなって、「じゃあ今度はシャムキャッツが韓国に行く番だね」っていう話になって、同じ年にミツメと一緒に行くことになった

韓国の4人組ロックバンド、COGASON(コガソン)。ティーンエイジ・ファンクラブやWEEZERを彷彿とさせる泣きメロのパワーポップサウンドが特徴。

―― 韓国のミュージシャンとのつながりはすでにあったということですね。台湾方面の話も聞いていきたいんですが、寺尾ブッタさんはご自身もミュージシャンであり、南青山のライブハウス「月見ル君想フ」のオーナーでもあります。

寺尾:シャムキャッツとは、昔自分がバンドをやっていた時からの知り合いでもありつつ、ずっと成長を見守ってきました。2014年に「月見ル」の台湾店をオープンしたこともあって、翌年ぐらいにシャムキャッツ側から「そろそろ台湾、やりたいっす」みたいな申し出があったという流れですね。

寺尾ブッタ氏

僕も「シャムキャッツは韓国のバンドとよく対バンしているな」というイメージを持っていたので、「次は台湾に行くのかな?」ぐらいに思っていたんですけど、実は台湾がシャムキャッツにとって初の海外公演だったと。

菅原:台湾のバンド自体を、当時はそんなに知らなかったですね。

夏目:そうだね。この前コラボ7インチをリリースした落日飛車(サンセット・ローラーコースター)とは、直前に対バンしたけど。自分たちが海外に出ようという意識より先に、台湾とか韓国のバンドが日本に積極的に来ていて、その姿勢に影響されたというか、「なんで俺たちは海外に行っていないんだろう」という気持ちがだんだん強くなってきて。実際に動き出そうとなったのが2016年だったということですね。

シャムキャッツと落日飛車とのコラボ7インチのトレーラー。落日飛車はシャムキャッツ楽曲の「Travel Agency」を日本語カバーしている。

2017年、神戸のイベントスペース「旧グッゲンハイム邸」にて行われたシャムキャッツと落日飛車のツーマンライブ後の集合写真。

菅原:16年は自主レーベル(TETRA RECORDS)を立ち上げた時期で、より主体的に活動内容を決められるようになった、というのも大きいかもしれないです。

―― 「月見ル」の台湾店はどんな経緯でオープンしたんですか?

寺尾:海外で何かやりたいということはもちろんあったんですけど、もともと青山の「月見ル」でも台湾のバンドをよく招聘していたんですよ。いいバンドがたくさんいるぞということでどんどん掘り下げていくうちに、自然な流れで台湾でも同じようにイベントをやりたいと。お店をオープンする前に企画したイベントで、クラムボンを台湾に呼んだこともありましたね。

実際に現地でイベントを企画してみて、やっぱり足がかりとなる拠点が必要だと痛感したんですよ。日本で海外のバンドを呼ぶ時は、「月見ル」の蓄積があるからこそのネットワークを活かしてプロモーションできるわけですが、台湾でもやっぱり同じことが必要で、お店を出さなきゃなと思ったんです。

「台北月見ル君想フ」の外観

同店で2016年に行われたシャムキャッツのライブの模様

―― ブッタさんはもともと青山の「月見ル」の店長でもあったわけですが、いつからオーナーになったんでしょうか?

寺尾:台湾によく通い出すようになって、当時のオーナーに「台湾にはこんなにすごいバンドがいますよ!」と言って連れて行ったりしたんです。色々回って「どうですか、早くやりましょうよ!」とものすごくプレゼンしたんですけど、そしたら「俺はやらないから、お前がやりたいなら東京の月見ル君想フも一緒にやれ」と言われて、まず東京のオーナーになってからすぐに台湾に飛びました(笑)

藤村:その行動力はすごいですよね。

藤村頼正氏 (Drums&Chorus)

寺尾:この間、3カ月ぐらいの出来事なんです(笑)。

―― 「月見ル」のオーナーになって、さらに即、台湾でオープンしたと(笑)。

寺尾:元オーナーは他にもいくつかのライブハウスやスタジオを所有していたんですが、色んな思いがあったと思いますが、いずれ若い人に譲っていきたいという考えがあったみたいなんです。

そんなことがあって、台湾でやる準備というか心積もりはしていたんですけど、なにぶん海外でやるのは初めてだったので、右も左も分からない中でいろいろやりました。最初は店舗の物件もそう簡単に見つからないだろうと思って、イベントスペース兼事務所みたいなところを借りたんですよ。そのスペースで仕事をしたり、その当時台湾で青葉市子のライブを手伝ったりしていたんですが、わりとあっさり物件が見つかって現在に至ります(笑)。

大塚:急に?

大塚智之氏(Bass&Chorus)

藤村:急ですね(笑)。

菅原:ブッタさんとは「泰山に遊ぶ」というバンドのギタリストとして出会って、そのときからやってる音楽含めてすごく中華オーラが出ていて、中国語もしゃべれるしっていう。

―― 台湾店のオーナー店長としてうってつけの人材だったと。

菅原:そうそう。

寺尾:「泰山に遊ぶ」でも、中国とか台湾とかに遠征したこともあります。そういう経験もあって、よりハマっていったということがあるかもしれないですね。

ネットの普及で、皆が世界中の音楽を聴き始めた

―― 日本では「洋楽=アメリカ・イギリス発の音楽」という認識が一般的で、それ以外の国の音楽はどんなジャンルでもある種ワールドミュージック扱いというか、「米・英以外の音楽を聴くなんてマニアックだね」みたいな風潮も少なからずあったと思うんです。でも今では比較的ニュートラルに「カッコいい音楽をやってるこの人たちは、出身がこの国である」ぐらいの受け取られ方をしてるじゃないですか。こういうのって、いつごろからどんな風に変わっていったと思いますか?

菅原:僕らが20代前半ぐらいの頃はなかったかもね。

寺尾:今まではなかったですよね。特にアジア圏のものは。

―― 個人的な話になると、台湾のロックバンド「透明雑誌」が2010年に1stアルバム『我們的靈魂樂』をリリースしていて、僕はこれが認識を変えるきっかけでした。まだ日本盤が出る前(11年に『僕たちのソウルミュージック』という邦題で東芝EMIからリリースされた)ですが、新宿タワレコの邦楽フロアで「彼らは台湾のナンバーガールだ!」みたいな打ち出し方をしていて、試聴してみたらあまりのカッコよさにびっくりしたのを鮮明に覚えています。

台湾の4人組ロックバンド、透明雑誌。バンド名や「性的地獄」といった曲名からもわかる通り、ナンバーガールからも多大な影響を受けており、デビュー時には日本のオルタナティブロックファンの間でも局地的に話題となった。現在はギターボーカルの洪申豪がソロや新バンド「VOOID」として精力的に活動し、日本でも定期的に音源をリリースしている。

寺尾:あれはかなりセンセーショナルでしたね。

藤村:透明雑誌はね。

夏目:確かに当時mixiなんかでも話題だったし、そういう意味でもはしりだったかもしれない。アジアの国々にもインディロックがある、しかも日本の音楽に影響されているというのが新しかったということかな。初めての体験だったというか

―― ある来日ライブの後にギターボーカルの洪申豪さんと話す機会があって、「90年代のUSオルタナが好きなんです!」「俺も大好きだよ!」みたいな他愛ないやり取りでしたけど、「同じアジア圏の人が自分と同じような音楽を聴いてるんだ!」と感動したことをよく覚えています。

寺尾:彼らはWeezerやSonic Youthといったアメリカのオルタナティブロックと同じように日本のバンドを聴いて影響を受けていたわけですが、話を聞いてみるとこの頃に多くの台湾人がインターネットを使って海外の音楽に出会ってたみたいなんですよ。YouTubeよりもっと前の時代からの話です。

―― サブスクリプション全盛の今となっては考えられないですけど、CDショップの通販サイトにアップされてる30秒試聴音源とかもめちゃくちゃ貴重な存在でしたからね(笑)。

寺尾:そうそう。世界の音楽をみんなが聴き始めた時代のバンドということですね。

―― ブッタさんにとって、台湾の音楽がすごくいいと感じるきっかけになった出来事とかバンドはありますか?

寺尾:特定のバンドやジャンルというよりは、色んなタイプのシーンがあるんだということがすごく感動的だったんです。シューゲイザーバンドしかいない国じゃなくて、ワールドミュージックもあれば実験音楽もあればポップスもあってという、その構造が日本とも近いというか聴く音楽を自由に選べるし、インディの層も厚いし、そういうところがすごくいいと思いました。

アメリカよりもアジアに希望を見出す、これだけの理由

―― 2010年に透明雑誌の日本デビューがあり、台湾「月見ル」が14年にオープンし、その間にも続々と来日ライブがあるし、日本のミュージシャンも進出するしという状況が続くわけですが、日本勢の動きとして僕が最初に衝撃を受けたのは、ミツメのインドネシアツアーでした。あれが13年とかの話なので。

藤村:今までだとみんな目指してたのはアメリカとかだもんね。「SXSWに出たい!」とか。

菅原:それこそナンバーガールのドキュメンタリーでSXSWでのライブ映像(『NUMBERGIRL映像集』および『OMOIDE IN MY HEAD 2 記録シリーズ1』の初回限定盤に付属のDVDに収録)があって、あれを観て憧れてた。

藤村:「もう出たいかな」とかそんな話をしてたよね。

夏目:でも、俺は話を聞けば聞くほど「アメリカで本気でやるのは無理かな」と思い始めてたかなあ。2014年ぐらいの話。

―― それはなぜですか?

夏目:自分たちと同じようなバンドは、すでにいっぱいいるだろうな、という気がして。

菅原:欧米人とアジア人は全然違うと思っていて。これは悪い意味じゃなくて、俺らの感覚と例えば台湾の人たちが感じる感覚は兄弟っぽいというか、近いところで響くものがあるのかなということはあるかな

アメリカとかヨーロッパでウケそうなものは正直、そんなに分からないというか、例えばそれを目指してやっても偽物になっちゃうんじゃないかと心配になるけど、台湾とか韓国ではそういうことが一切ないから、すごくつながっている感じがする。

夏目:あと現実的な話をすると、めちゃくちゃお金がかかるじゃないですか、アメリカやイギリスに行くには

―― 確かに。

夏目:しかも、人だけが行けばいいビジネス出張と違って、バンドをやろうとすると機材を持ってメンバー4人とマネジャーとPAとアテンドと…って感じで大所帯で行かなきゃいけなくなるから、採算的なことも含めて現実的じゃないなと思い始めたかな。そんな時に、アジアに希望があった。

菅原:LCCができたのも大きいと思う。それがあるから行きやすくなったし。

藤村:それはデカいね。

菅原:そう。アメリカ行きも出てほしいですね。たぶん、一気に変わると思う。

寺尾:いろいろなことが重なったと思うんですよね。LCCで飛行機代も安くなったし、「バンドで行くならこうした方がいい」っていう情報もシェアされるようになってきたこともあると思う。

あとは、アジアも各国で経済的な余裕が出てきて「消費していくぞ!」みたいな、中国は特に急激に変わったと思いますけど、例えば欧米に何億人いようとも、アジアの方がマーケットが大きいという考え方ができるようになったんじゃないですかね、ここ何年かで

(後編はこちら


シャムキャッツ

台北月見ル君想フ