ITEM | 2018/10/01

近代中国最大のタブー・天安門事件と、なかなか響かない「声」【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

経済発展の中に隠された、天安門事件という「闇」

中国へは8,964元、あるいは下二桁が64元の送金ができないことがあるという。1989年6月4日の天安門事件を想起させるからだ。国内ではタブーとされている暗がりに、安田峰俊『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(角川書店)は多数のインタビューを重ねて潜り込んでいく。

1980年代末から90年初頭にかけて、世界ではベルリンの壁崩壊・ソ連解体・湾岸戦争が起こり、日本では元号が昭和から平成に変わり、バブル経済の盛衰があった。2018年、私たちはそうした出来事を「振り返る」時期にやってきた。

なぜ「六四天安門事件」と言われる1989年の天安門事件は起きたのか。そしてどんな影響を人々や社会に与えたのか。いまだに究明が続けられている。

起きたタイミングがだいぶ違うものの、日本人にとっては1995年におきた地下鉄サリン事件のような不可解さをかかえた出来事ではないかと筆者は思う。村上春樹が『アンダーグラウンド』(講談社)で62人にインタビューをしてその闇に挑んだように、本書では60人以上へのインタビューの成果がまとめられており、市井の人々のリアル体験談が生き生きと描かれている。

天安門事件から約30年、中国はどのように変わったのだろうか。著者はこのように表している。

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イデオロギーは嘘をつくが、カネは嘘をつかない。好景気のなか、中国の人々は目の前のチャンスをつかむべく狂奔した。やがて気づいたときには、誰もが携帯電話やパソコンを持ち、広大な国土がキメの細かい高速鉄道網で結ばれ、あちこちの主要都市の地下を最新式の地下鉄が走る現代中国の社会が生まれていた。(P24)

民主化運動の動きを体制側が断とうとする天安門事件が起き、中国経済は民主化しないまま成長を続け、人々は以前と比べてある程度満足な暮らしができるようになった。その結果、現状を維持したいという風潮が強くなった。ベルリンには物理的な壁があったが、天安門事件で人々が壊そうとした壁は透明で、時の経過によって忘れられやすくなってしまった。

今年7月に松本智津夫死刑囚の刑が執行され、「本当に地下鉄サリン事件の首謀者だったのか」という点を含む多くの謎は、最も重要な当事者への聞き取りが永遠にできなくなり、今後一連の事件が忘れられるスピードは早くなるはずだ。天安門事件も、目まぐるしく変化していく中国社会のはるか後方に取り残されてしまっているのだろう。

同じことを経験しても、同じ印象を人は持たない

天安門事件に関する記憶は、3つに大別することができる。

・天安門事件は起こるべくして起きた(自分には変えられなかった)
・天安門事件は起こってしまった(自分が変えられたかもしれない)
・天安門事件は気づいたら起きていた

起こるべくして起きたという印象をもつ人々は、懐かしみをもって過去を振り返る。「酔うと天安門事件を語る男」として紹介されている当時19歳だった男性はこう語る。

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「友達みんなと、太陽の下でご飯を食べてタバコを吸っておしゃべりをして、テントやバスのなかで寝る。今と比べて娯楽が少ない時代に、考えられないほど刺激的だった」(P58)

こうした人々は、現状の発展した中国の状況にある程度満足しているため、次なる天安門事件(民主化運動)が起こったとしても「参加しない」という立場をとりやすい。

一方で、なぜ起こってしまったのかといまだに問い続けている人々は歴史の転換点とはとらえておらず、「どちらにしても中国は発展できた」と証言する人もいる。

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「あのとき、仮にデモも何も起きなくたって、中国は多分、徐々にいまと似たような社会になっていたと思うんですよ。だから一層、何も起きなかったほうがよかったと思うんです」(P89)

国であっても個人であっても、何か出来事があった場合となかった場合の差を比較することはできない。これは時間の掟なのだ。そして、起こった出来事の記憶は、個々人の頭の中でしだいにその姿を変えていく。

現代社会において、「声」を遍く響かせる難しさ

起きなかったほうがよかったのに、なぜ防ぐことができなかったのかという感覚の差は、「持てる者」と「持たざる者」の格差に関わりがある。

当時24歳で貧しくコネもなく、たまたま1989年6月に都会を見たいと北京に訪れていた男性は、天安門事件の後で民主主義を知った。彼にとって天安門事件はあたかも生前の出来事かのように、いつの間にか起こってしまっていたのだ。インターネットで民主主義の憧れを増し、現在は深圳でタクシー運転手をしている彼は、都会的で人当たりの良い印象とは相反してシニカルな価値観を主張する。

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「この深圳の街は、パッと見れば繁栄しているように見える。だが、俺に言わせれば偽りの繁栄だね。もっと重大な社会問題や人権問題から、国民の関心を逸らすための目くらましだよ」(P113)

深圳はテック都市として日本でも注目をあびているので、それが「ただの目くらませ」という指摘は気になる読者の方も多いのではないだろうか。発展で目をくらませて、実際は何か違う企みをしているという恐怖。天安門事件の「どうにもできなさ」は、形をそのように変えて続いているという捉え方もある。

天安門事件当時の学生指導者の一人で、その後アメリカに亡命、台湾で中国民主化運動を続けている王丹は次なる天安門事件の可能性について、「現在進行系」という言葉とともに語る。しかし、民主主義はすばらしいというありきたりな正論しか発言しない態度を著者は「没個性的」と評して、より本音を聞き出そうとしている。

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だが、これは「最後の審判の日にイエスが再降臨する」とか「弥勒菩薩が下生する」という話と同じく、最初から教えを信じる人の心にしか届かない言葉ではないのか。世間の多くの人にとっては、いつ来るのかわからないイエスや弥勒菩薩や中国の民主化よりも、目下の生活の問題のほうがずっと重要な関心事だ。(P243)

叫んでも叫んでも、どんどんと世界は(しかもバーチャルな方向に)広がっていく。今を生きるにあたって、「声」を遍く響かせることは難しくなった。これは中国だけではなく日本にもいえる。オウム真理教の一連の事件はなぜ起きたのか、自衛隊は外国の軍隊に武力を行使するのか、原発はなぜ再稼働する必要があるのか。そういったことよりも、市井の人は直近の生活で手一杯なのだ。本書は中国という「特殊」な国のことだけに限らず、日本ひいてはグローバル社会の未来を考える際にも適用できる「声」を持ったインタビュー集だ。