渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
好きになったものに忠誠心を抱くジェネレーションZ世代
若い世代の購買行動は各産業の未来を予測させるため、常に調査の対象になる。その中でもアメリカでよく話題になるのが「ミレニアル世代はモノを所有しなくなっている」というものだ。ミレニアル世代のはっきりとした線引きはないが、1980年代半ばから2000年前に生まれた、現在20代前半から30歳前半あたりのアメリカ人の若者を指す。
アメリカのミレニアル世代は「シェアリングエコノミー」世代でもある。彼らはタクシーの代わりにUber(ウーバー)やLyft(リフト)、ホテルの代わりにAirbnb(エアビーアンドビー)を使うことに恐れも疑問も感じない。シェアリングエコノミーに慣れた彼らは、それまでの世代に比べ、自分でモノを所有する必要性を感じないという説がある。また、環境保護への関心が強く、車よりも自転車を使う努力をする。経済のグローバル化にも慣れており、一つの会社や場所に根を下ろさずに何度も移転することを想定している。だから車や家の購入に興味がない、というものだ。
だが、最近の調査では、ミレニアル世代も車や家の所有は考えているという。ただ、前の世代よりも思考が合理的なだけらしい。ミレニアル世代の次の世代である、現在未成年の「ジェネレーションZ」も、9割以上が車の所有に意欲を示している。アメリカでは、都市部を除くと車なしに生活するのは難しい。それが大きな理由になっているのは間違いない。だが、同時に、若い世代に物欲がなくなったわけではないことを示している。
ただ、ミレニアル世代やジェネレーションZが親の世代と大きく異なるのは「高級ブランド崇拝が少ない」という点だ。バブル時代の日本人がそうだったが、ルイ・ヴィトンのバッグやメルセデス・ベンツの車、エルメスのスカーフなど、高級ブランド品への憧れが信頼につながっていた。だが、若い世代には古い世代が決めたこういった価値観への尊敬はなく、自分自身の感覚や価値観のほうを重視する。彼らが車を選ぶときの基準は安全性とコストパフォーマンスであり、ジェネレーションZに人気がある車のブランドは、フォード、シボレー、ホンダなのだという。高級ブランドであるメルセデス・ベンツやBMWはランキング上位にない。クールなイメージがあるテスラでさえ、トップブランドにランクしたジェネレーションZは1%だけだったという。
生まれたときからインターネットが存在したジェネレーションZは、親の世代のようにテレビコマーシャルや雑誌の宣伝文句をそのまま鵜呑みにしない。「ブランド」には注意を払うが、それは世間が認めた「有名ブランド」ではなく、社会正義や環境保護など自分が重視しているイメージにあったブランドという意味だ。「自分で決める」ことに価値を見出すのがこの世代の特徴で、権威ある人物や団体より自分がインターネットで集めた情報のほうを重視する傾向がある。また、いったん良いと決めたらそのブランドをずっと使い続けるという「ブランド忠誠心」があった古い世代とは異なり、ミレニアル世代やジェネレーションZは、どんどん新しいものに挑戦していく。
だが、「ジェネレーションZ世代にはブランド忠誠心がない」と諦めてはいけない。彼らにも、古い世代と共通するものがある。それは、「何かを熱心に好きになることの喜び」であり、自分が好きになったものに忠誠心を抱く「ファン心理」である。
本とポップカルチャーの融合を体験してもらう場として生み出されたブックコン
ブックコン会場入口
古い世代との最大の違いは、情報の伝わり方から来ている。テレビ、ラジオ、雑誌から情報を得て、直接接触できる人にリアルな「口コミ」で情熱を伝えた時代とは異なり、現在はインターネットで会ったことがない人から情報を得て、世界中の見知らぬ人たちに一瞬にしてその情熱を伝達できる。
だが、そういう現代人でも、リアルな世界で同じ熱意を持つ人たちとつながり、ファン同士で熱意をシェアすることに喜びを感じるものである。たとえば、アニメ、漫画、コミック、ビデオゲームなどのファンが集う大規模なコンベンション「コミコン(comic-con)」がそうだ。サンディエゴ・インターナショナル・コミコンは、コンベンションとして北米で最大規模であり、アメリカのエンターテイメント業界に大きな影響力を持つ。ゆえに、プロモーションのために有名な俳優やコミックの作家などが多く参加する。全米各地でも現在20箇所以上で行われているコミコンのチケットは、発売すぐに売り切れるほどの人気だ。
この「ファン心理」を大切にすることで、劇的に移り変わる世界でも新しい顧客がつき、未来がある。
コミコンにならって出版業界で2014年から始まった新しい試みが 「ブックコン(BookCon)」だ。「ニューヨーク・コミコン」など多くのイベントを運営するリード・エキシビションが出版業界との提携で開催している。
実は、ブックコンが誕生する前から、本に関するコンベンションは存在した。それは、同じリード・エキシビションが運営するアメリカ最大のブックフェアである「ブックエキスポ・アメリカ(Book Expo America:BEA)」だ。しかし、BEAはおもに出版社が図書館や書店の関係者を対象に発売予定の新刊をPRするイベントであり、一般の読書ファンは参加できない。そこで、カスタマーである読者を対象にし、「本とポップカルチャーの融合」を体験してもらう場としてリードが生み出したのがブックコンなのだ。
実は、「ブックコン」が誕生する前にも、リード・エキシビションは「熱心な読者」を取り入れる試みをしたことがある。それは、読書の「アルファ・ブロガー」がBEAに参加するのを許可するというものだ。
だが、これはBEAにとって最も大切なカスタマーである図書館や書店関係者に非常に評判が悪かった。ブロガーたちのせいで秩序が乱れ、参加の目的を果たすことができないという苦情が多く、なかには「もう来年からは来ない」という人さえいた。そこでBEAは参加できるブロガーの基準を厳しくし、「読書ファン」を専門にしたイベントを考えた。それが「ブックコン」だ。このような流れもあり、「ブックコン」は、BEAに引き続いて同じ場所で行われる。出版社にとっても、作家にとってもそのほうが便利だということもある。
混乱を極めた初回のブックコン
2014年に初めて開催されたブックコンのゲストは、テレビで有名な俳優やコメディアンも含む豪華な顔ぶれで、参加者も多かった。
しかし、明確なルールが浸透していなかったために、会場全体が混乱状態だった。
回想録を出したばかりの女性コメディアンのスピーチを目当てに並んでいる人の行列は、何時間も前からスピーチがあるホールを離れた場所まで続いていた。ホールの大きさを知っていたら、並んでいるほとんどの人が入れないことは明らかだ。それなのに、行列を管理する人も、「ここからは並んでも無駄だから諦めなさい」と注意する人もいない。
好きな作家にサインしてもらうために何時間も前から列を作っていた数百人を超えるファンに、主催者が雇ったアルバイトが一方的に「ここに並ぶな!」と怒鳴り、対立が暴動に発展しそうになった場面もある。
好奇心でブックコンに残った図書館員からは「ブックコンはホラーだ。二度と来ない」という苦情も耳にした。しかし、ある意味「読書ファンとは、これほど熱意があるものなのか」と感心する光景でもあった。
初回の「ブックコン」で混乱したのは参加者だけではない。出版社の多くも、自分たちにとってのブックコンの意義や効果的な利用方法がよくわかっていなかった。彼らは、図書館や書店関係者、海外の出版社といった業界の専門家を対象にしたBEAなどのコンベンションには慣れている。だが、ふだん直接接触することがない読者にBEAと同じことをすると、時間とコストの無駄になる。そこでBEAに出展してもブックコンは見送った出版社もかなりあった。
だが、失敗はあったものの、ブックコンの人気に陰りはなかった。暴動が起こりそうな混乱があったのに、読書ファンたちは再びブックコンにやってきた。そして、ブックコンでの出展を見送った出版社も、ファンに本をアピールすることの重要性を学んで出展するようになった。
2018年のブックコンは、14年のものとは見違えるほど良くなっていた。出版社はBEAとは異なるファン向けの展示やイベントを設け、ファンのほうも「ブックコン参加のお作法」を身に着けていた。
BEAとブックコンの大きな違いは年齢層でもある。ブックコン参加者には若者や子供連れの家族が目立つ。つまり「ジェネレーションZ」がここに来ている。しかも、作家にサインしてもらうために、すでに購入した本を何冊も持参のうえで。
大学生のカイさん
参加した「ジェネレーションZ」世代の多くが1年以上前から参加の計画を立てていたと語った。大学生のカイさんは、以前参加したときに準備不足で何も達成できなかった。だから、今年はチケットが発売になる日に、好きな作家の本にサインしてもらうチケットも購入したのだという。だが、一番会いたかった作家の購入ボタンは人気殺到でつながらず、つながったときには売り切れていた。まるでローリング・ストーンズのコンサートチケットのようだ。
作家にサインしてもらうためにカイさんが持ち込んだ本
高校生のエレノアさんとジェシカさんは「今年は下見のつもり」と語った。初めての参加なので、カイさんほど準備しておらず、サインのチケットを確保できなかったのだという。
高校生のエレノアさんとジェシカさん
2日にわたるブックコンのゲストで目立つのはYA(ヤングアダルト)ジャンルの作家だ。YAはアメリカのティーンを対象にしたアメリカ独自のジャンルで、フィクションの場合にはティーンの主人公の視線で描かれているというのが定義だ。その中でも人気があるのが少女の視点でのロマンスが含まれたYAファンタジーで、カイさんもこのジャンルの情熱的なファンだ。
他にも、2018年のブックコンでは、児童書、青春小説、SF・ファンタジー、ミステリー、文芸小説、詩、回想録などの人気分野の作家とタレント、政治家などが62人。それに加えて、人気作家とスリラーを共著したビル・クリントン元大統領がトークをする非常に豪華な顔ぶれだった。
ブックコン最大の魅力は好きな作家に直接会えること
普段会うことができない好きな作家に直接会えるのは、ブックコンの最大の魅力のひとつだ。エレノアさんやジェシカさんのようにサイン会を逃したファンをがっかりさせないために、作家が多くのファンを歓迎する「ミート・アンド・グリート」というイベントもある。これも、2014年の初回にはなかった改善点だ。そして、人気作家たちがステージで一緒になっておしゃべりする「トークイベント」もファンにとってはコンサートのような魅力がある。
行列で辛抱強く待つファンたちから話を聞くと、必ず好きな作家や本のことを情熱たっぷりに語ってくれる。多くのファンは、誰からも報酬を受けないのに、この情熱を読書ブログやソーシャルメディアでシェアする。そして、ジェネレーションZが信用するのは、出版社がコストをかけた宣伝ではなく、こういった同志からの情報なのだ。
このブックコンの参加者は毎年7,000人を超える。その多くがミレニアル世代とジェンダーZであり、ジェンダーZの次の世代になる子供連れの家族であることも注目に値する。
経済的に余裕があるベビーブーマー世代の読書家は、本を気前よく購入する良いカスタマーである。だが、出版業界が特に優遇しなくても、すでに読書癖を身に着けている彼らはそのまま読書を続ける。ゆえに、出版業界が力を注ぐべき対象は、将来を担う若い世代だ。この世代はまだそんなにお金を使わないかもしれない。だが彼らをいま読書好きにしなければ、出版業界の未来はない。
そのためにアメリカで始まった試みのひとつがブックコンである。
若い読者を興奮させ、情熱を抱かせ、シェアさせているブックコンから日本の出版業界が学べることはあるだろう。