神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「天才科学者」の風変わりなスタンス
2019年4月10日、ブラックホールの姿が初めて画像として捉えられたというニュースが報じられた。世界中の8つの電波望遠鏡が連携し、約200人の科学者による国際チームが力をあわせた結果、地球から約5500万光年離れたM87銀河にあるブラックホールの様子を、私たちは人類史上初めて目撃することになった。2018年に亡くなった「車椅子の天才科学者」ことスティーヴン・ホーキングは、こうした「科学の力」を誰よりも信じていた一人だろう。
スティーヴン・ホーキング『ビッグ・クエスチョン <人類の難問に答えよう>』(NHK出版)は、彼が世界の今、そしてこれからをどのように考えていたのかが自らの言葉で綴られており、「スティーヴン・ホーキングによる最後のメッセージ」とも言える、貴重な「生の声」が綴られている。
本書で投げかけられる10の「ビッグ・クエスチョン」は「神は存在するのか?」という議題で幕を開ける。「創造主がいない」ということは、主に宗教上の理由で、長らく世の中において不都合なことで、創造主の存在に疑念を抱くことはタブーだった。そして、「宇宙には何らかの始まりがある」ということは近年まで常識だった。しかし、宇宙の始まりには時間が流れていなかったという考察から、著者はあっけなく「始まり」があったことを否定し、創造主が存在した可能性もまた否定する。
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もしもすべてを足し上げれば宇宙は「無」になると言うのなら、それを作るために神を持ち出す必要はないということだ。宇宙はただで手に入る。宇宙は究極のフリーランチなのだ。(P49)
このように、著者はふつうの人と同じようには「ビッグ・クエスチョン」を抱かない。それでは、ホーキング流に生きるならば、何に向かって生きていけばよいのだろうか。
人類の想像力は、まだまだこれから
人類滅亡まであと何分かを示す「終末時計」の存在は有名だ。2019年1月の時点で、核兵器と気候変動のリスクから、終末時計は2018年と同じく、「終末まであと2分」と示している。
科学の力を信じる著者は、意外にも、人類滅亡の瞬間が思いの外早く訪れる可能性を危惧しており、繰り返し本書で警鐘を鳴らしている。そして、著者は楽観的と自身を称しつつも、聞き手によっては悲観的とも受け取れる持論を展開する。
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十八世紀には、それまでに書かれたすべての本を読んだ人間がいると言われていた。しかし今日、一日に一冊の本を読むとして、国立の図書館ひとつに所蔵されている本を読み終わるまでには何万年もかかるだろう。そしてそれを読み終わる頃には、もっとたくさんの本が書かれているだろう。 (P97)
人の知識がどんどん専門的に細分化されていくという変化は止められず、その一方で、原始時代から続く人間の攻撃本能はそう簡単に変わらないだろうと著者は主張する。そう考えた時、宇宙という「差し当たり、考えなくても日常生活に支障ない空間」に関するあれこれは、どのような可能性を秘めていると捉えるべきなのだろうか。
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いまのところは、私たちにはまだ行くべき場所がないけれど、長期的には、人類はひとつの籠、つまりひとつの惑星にすべての卵を盛っておくべきではない。私としてはただ、地球から逃げ出す方法が見つかる前に、その籠を落とさずにすむことを願うのみだ。 (P168)
よく知られている通り、著者は筋萎縮性側索硬化症(ALS)に若くしてかかり、身体の自由を一部失った。一度は余命宣告をされ研究への意志を失いかけたが、病気の進行がゆるやかになり、再び著者は科学への情熱を燃やした。本書で、「新たな一日一日はかけがえのない贈り物」「命ある限り希望はある」と表現されている通り、日常に立脚しながらも、限りなく遠くへ情熱を飛び火させる秘訣を著者は知っている。
近く、あるいは目の前の出来事はもちろん大切だが、著者と宇宙の関係性から学ぶことができるのは、「自分の立ち位置からはるかにかけ離れた物事を、如何にして考えることが可能か」ということだろう。終末まであと2分だとしても、そこから想像力をいかに発揮するかが、人類の力の見せ所なのだ。
コスト的に見合わない有人宇宙飛行計画を、ホーキング博士が推奨する理由
著者がやるべきことのひとつとして本書で挙げているのが、有人宇宙飛行計画の再開だ。以前、冷戦時代のような月面着陸計画が現代になぜないのか不思議に思って筆者が調べた際に、「コストがかかりすぎて意味がない」という情報を見たことがあった。しかし、米国による月面着陸映像の真偽はさておき、1960年代の宇宙開発競争の雰囲気は、80年代後半生まれで当時を全く知らない筆者にとってはある種の憧れがある。
著者は、そのコストの見合わなさを認めつつ、月面着陸そのものよりも、人々の科学的好奇心を高めるために計画を実行すべきだと主張している。2050年までに月面基地の開発を、2070年までに火星に人間を着陸させることを提案し、目的意識を持つことの重要性が本書で説かれている。
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新しい有人飛行計画があれば、宇宙と科学全般に対する人々の情熱を取り戻すために大いに役立つだろう。ロボット探査はずっと安上がりだし、得られる科学的情報はむしろ多いかもしれないけれど、有人飛行と同じようには、人々のイマジネーションをとらえない。(P185)
時に、宇宙関連のニュースを聞くと、あまりに途方もない大きさ、あるいはミクロさに、「それが実生活と何が関係あるのか」と疑問を感じてしまうことがしばしばある。人類の「地球脱出計画」について言えば、太陽が寿命を迎えて人類が(滅亡していなければ)地球脱出を強いられるのは約50億年先だ。そんな先のことを、なぜ今考えなければいけないのか。多くの人はそう思うだろう(筆者も、そう思う気分である瞬間が日常の大半を占める)。
しかし、コストよりも大切なのは想像力を絶やさないことだ。それが、スティーヴン・ホーキングの危惧するところであるならば、なおさら切迫性を帯びてくる。それゆえに、意外にも著者のAIに対する認識は警戒心が強い。AIが生活の中に入ってきて、ともすれば思考停止となってしまうことに対して、本書では繰り返し警告がなされている。
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知能とは、変化に適応する能力と特徴づけることができる。人間の知能は、変化する環境に適応する能力を持つ者たちが、何世代にもわたって自然選択を受けてきた結果なのだ。変化を恐れてはならない。必要なのは、その変化を私たちに役立つものにすることだ。(P212)
アインシュタインが一般相対性理論を発表してから100年以上が経ち、ついに理論上は存在が確実とされていたブラックホールが、画像(ちなみに画像に写っているのはブラックホールそのものではなく、「ブラックホールによる重力効果」なのだそうだ)として可視化され、その存在が証明された。今後も宇宙物理学では、ビッグバンの前に起きたことや、ダークマター(暗黒物質)、反物質について多くの発見がなされていくだろう。そうしたビッグ・クエスチョンに対する「答え」もさることながら、私たちは自分たちの思考に磨きをかけなければいけないのだと、著者はその声を心の奥底まで響かせてくれる。