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【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(34)
僕は中国深圳に住んで、開発ボードやセンサーなどの事業開発をしている。僕が扱う製品を買うのは技術者、パートナーである深圳のスタートアップもエンジニア出身の経営者で、技術者に囲まれて仕事をしている。その一方で僕は、早稲田大学経営管理研究科(MBAコース)で非常勤講師をしている。大学では技術用語や技術者の仕事の仕方について、専門分野でない(いわゆる文系の)学生に説明や質問されることが多く、そこからエンジニアに囲まれた自分の環境について、改めて気づくことがある。
高須正和
Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks
文系の学生たちにオープンソースの意義を説明する
先日、日大経営学部の学生たちから、「中国のオープンソース運動」についてヒアリングを求められた。ゼミでのプロジェクトとして真面目に取り組んでいるが、自分では開発をしたことがない学生たちだ。2時間ぐらいのインタビューは、中国のオープンソースというよりも、「システム開発とはどういうものか、オープンソースとはどういうものか」が中心になった。
学部3〜4年、つまり20歳そこそこの人たちなので、生まれた頃からインターネットはあり、コンピュータやスマホが行き渡っている。日本のインターネットは中国のそれにくらべてとても自由だ。そうしたインターネットやスマホの大部分はオープンソースのプログラムで動いている。日本のインターネットが現在のようになる過程では様々な紆余曲折があり、場合によってはより寡占化されて自由のない、中国のようなインターネット環境になる可能性だってありえたかもしれないが、今はそうなっていない。
一方で、それが当たり前として生まれ育つと、自由の意味やありがたさ、歴史に対しては関心が生まれづらい。また、システム開発をしたことがない人たちに、ソフトウェアの共同開発についての話をするのは、具体性が失われやすい。インタビューの大半は、米『WIRED』の編集長を務めたクリス・アンダーソンの思想や、名著『伽藍とバザール』(エリック・レイモンド著)、『ハッカーと画家』(ポール・グレアム著)など、インターネットが可能にしたものの価値やオープンソース開発の意義を説く古典的な内容を噛み砕いて改めて紹介するもので、それは彼らの倍以上も年齢を重ねた僕にも、新しい学びの機会になった。
エンジニア中心の社会とは
インタビューの中で僕が話したのはこんなような内容だ。
「ソースコードが公開されていて、誰でも開発に参加できるけど、どの提案も採用されるわけではなくて、判断や管理という役割はある。たとえば…」
「ソースコードが公開されているということは、使う側から見ると中身がわかるので安心して使えるということにつながり、効果的なマーケティングになることが多い。また、そうやって知れ渡ってみんなが使うようになると、マネタイズするやり方はいくつもある。たとえば中国の企業PingCapは、自前のオープンソースデータベースTiDBを公開し、それが世界中で広く使われることで、多くの投資を集めている。他の会社が自分たちでクラウドを構築し、そこでTiDBをセットアップすれば無料だが、月額課金でPingCAPに支払いしてTiDBを使いたい企業はとても多い。そうして課金する人にとって、オープンソースで公開され、多くのユーザと共同開発者がいること、もしも自分たちで大規模サービスを作るときに自前のクラウドに移行できることはとても魅力になる」
などの具体的な事例を含めて話していく中で、最も理解に時間がかかったのはもっと抽象的な「技術者中心の組織」「技術開発中心の社会」といった概念だ。
技術者の言うことは理解できなくて当たり前?
「技術者や、技術開発が中心の社会」という考え方が理解してもらえたのは、こういう説明だった。
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自分自身や自分たちのリーダーが、「技術者の考えることは理解できないし、理解できなくて当然、あたりまえ」だと考えていたら、それは技術者中心の組織ではない。
もちろん、100%技術開発をしている人と、マネージャーや投資家、僕みたいなビジネス開発の人間で知識のレベルが違うのは当たり前だし、一人ですべてのことを完全に理解することはできない。でも、深圳やシリコンバレーの技術系企業や、そうした企業に投資している投資家、政策決定者が「技術のことはわからなくて当たり前、わかるほうがおかしい」と言ったら、その人と仕事したがる人はいなくなるだろう。
僕が直接書いたプログラムでお金を稼いでいたのは20世紀の頃で、今の自分はエンジニアではない。でも、ずっと技術者たちと働いてきて、今も深圳で多くの技術者や、技術系企業と一緒にチームとして仕事をしている。彼ら技術者やエンジニア出身CEOなどに比べて、僕自身の技術理解のレベルは低いし、分野によっては何にもわかってない。でも、仕事に大きく関わるいくつかの部分は、大筋をちゃんと理解できないと仕事にならないと思っていて、理解できる部分を増やそうとしている。
「理解できなくて当たり前」なのと、「本来理解できるはずで、時間が足りないだけ」なのは大きな違いで、後者は「時間が無限にあれば自分でも理解できるはずのもの」と言える。つまりは同じ道を歩いていて、先を行く人と遅れている人があるだけということ。それと「同じ道を歩く気がない」という考え方とは、本質的に別のもの。
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Facebook(現META)は初期から、「人事やマーケティングのような仕事でも、プログラマを採用して担当させる」と発表していた。投資家で随筆家のポール・グレアムは、これを「ハッカー中心の文化を守るため」と、自分のエッセイで分析している。グレアムは「ハッカー文化が必要な分野はかなり広く、良いソフトウェアを必要とするすべての分野がそれだ」と述べている。
このエッセイは2010年に書かれたものだ。それが今回のように、経営学部の学生が、テーマにオープンソース開発を選ぶようになったのは、実際にそうした技術分野の影響力が広がったことの現れである。
「いち従業員でも経営者的な視点を持つべきだ」とはよく言われる。技術が社会に果たす役割がここまで大きくなり、世界的な企業はほぼすべてテック企業の側面も有する。ほとんどの業界の大手企業も、技術開発を中心に置いた意思決定をする必要がある今、もっと多くの人が技術者的な視点を持つべきだろう。