EVENT | 2022/08/12

旧統一協会問題はネットで叩きまくるだけでは解決しない。本当の解決のために向き合うべき「安倍政権が残した課題」【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(34)

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倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年生まれ。京都大...

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倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

1:旧統一協会 追及の声は「狂気」のレベルに達しているが…

安倍晋三元首相の銃撃殺害事件以降、世間での(特にSNSでの)旧統一協会(世界平和統一家庭連合)への追及の声が高まっています。

一部にはそれは「狂気レベルの熱情」と言っていいものも含まれており、私のようなそれほどフォロワー数の多くないSNSアカウントにも、「こんなことを言ってるお前もさては信者だな!」などという暴言が結構な頻度で投げかけられるほどです。

とはいえ私がそんなに擁護するような発言をしていたかというとそうではなく、

…という実に穏当というか、自民党を常に批判している左派知識人でも、冷静な人は納得できる程度の発言しかしていません。

だいたいこの程度の発言内容ですら、「あいつも統一協会を擁護しているぞ、さては信者だな!」という「信者認定」をされている人を今は結構見かけるのですが、これはさすがに狂気のレベルだと言っていいのではないでしょうか。

一昔前の日本のインターネットには「在日認定」というものがあり、

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あの有名人もこの有名人も日本語名を名乗っているが実は在日で、この日本は乗っ取られているのだ

…という直球の差別主義的陰謀論が旧2ちゃんねる(現5ちゃんねる)を中心に流行っていたのですが、今回の「信者認定」の嵐はその再来を思わせるところがあります。

2:とはいえ「狂気」にも意味があるとは思う

とはいえ、この事件と騒動が始まってから私は何度も言っているのですが、時には「狂気レベルの熱情」が必要な局面もあると思います。

なんだかんだ言って、「統一協会許すまじ」という声の沸騰があればこそ、自民党議員も縁を切りやすいというものです。

「長年支持してくれていた団体」と縁を切るというのは非常にやりづらいものですよね。

そういう時には「狂気レベルの熱情」で批判する声が沸騰すればこそ、はじめて「すいませんが、これからは支持を頂くのはご遠慮させていただきます」という流れにも持っていける側面はあります。

岸田首相の派閥(岸田派=宏池会)は自民党内でも統一協会との関係が最も薄くリベラル寄りなのですが、党内での立場は弱小なので、統一協会と関係が比較的深い他の派閥に支えてもらわないといけない立場なんですね。

だから、統一協会批判ムードが高まる前から自分から「それを切れ」とは言いづらい。しかし、そのムードが盛り上がってきてから、「こういう状況になりましたし、各自関係は切ってください」という方向に行くのは特に問題ないはずです。

このあたりの「岸田派(宏池会)」にまつわる色々な情勢について知りたい方は、去年かなり読まれた記事がありますので、ご興味があればこちらを読んでいただいて、自民党内の派閥事情を理解した上で、リベラル派にとって望ましい形に誘導するような戦略もあっていいかと思います。

その流れの先で、

・「一般的な消費者保護問題の枠組みで高額お布施問題を解決」

・「一般的な児童虐待問題の枠組みで宗教二世問題を解決」

する道も見えてくるでしょう。

これは私の本からの図ですが、

社会問題を解決するには「問題の共有」まで(上図で言う“滑走路段階”)と、「解決策の策定・実行」(上図で言う“飛行段階”)という2つの異なった段階があり、「問題の共有」がなされるまでは、ある程度「狂気レベルの熱情」で追及することが必要な段階もある。

「狂気レベルの熱情」で押し込むからこそ自民党議員も旧統一協会と「すいませんが以後はご遠慮いただくことにさせてください」と関係を切る事が可能になります。

一方で、本当に「その先(上図で言う“飛行段階”=問題の解決)」に踏み込みたいのであれば、法治国家における特定団体の扱いの処理の平等性についての理性的な議論を、むしろ自民党と旧統一教会の関係を批判する知識人こそが率先してやるべきポイントもまたあるのではないでしょうか。

「信仰の自由と政教分離原則」に関しては、ヨーロッパとアメリカの間にもかなり大きな考え方のギャップがあり、欧州の中でも特に厳しい政教分離原則とカルト規制法を有するフランスには色々な批判(リンク先PDF)もあるようです。

その「欧州方式に対する批判」部分もフェアにテーブルの上にあげて、さて日本における望ましい「宗教規制」はどのようなものなのか?を議論する姿勢がなくては、単に

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「先進的なフランスではこの厳しい規制ができているのに日本では出来ないのは自民党がクズだからだ」

…的なムードだけを盛り上げるのは、知識人のあるべき誠実さを欠いているように思います。

特に現実的な問題として、欧州では「何が正統な宗教で何がそうでないか」を結構歴史的に簡単に決めやすい事情がある(もちろんそれ自体がアンフェアだという反論もありえるでしょうが)のに対して、米国ほどでないにしても日本はそういう「なにが正統なのか」に対する共通認識が非常に薄い背景はありそうです。

なので、「アレがダメなのにコレはいいのか?」という果てしない論争が泥沼化する危険性を十分認識した上で、日本の場合の決着は考える必要があるでしょう。

結果として、「外形的に共通の枠組み」を外さずに処理できるような、「消費者問題や児童虐待問題、そしてそういう“問題”をかかえた団体の広告塔に政治家がなることの倫理的問題」といった既存の構造をはみ出さずに処理することが、最終的には望ましいのではないかと私は考えています。

「それ以上」に踏み込むなら、知識人の良心として当然踏むべき議論があるはずですが、そこをそろそろちゃんと考えても良いのではないでしょうか?

特にカルト宗教団体に今吸い込まれている人々は他に居場所がないからそうなっている場合も多く、消費者保護や虐待防止といった側面で規制をかける以上に踏み込んで単に「潰してしまえ!」というような発想で接するのは、これまでは比較的右派〜ノンポリ層に多かった「潰してしまえ!」メンタリティに対して冷静な観点から「単に潰すだけでは問題解決に至らない」と議論をリードすることが多い左派的な良心としても望ましいとは思えません。

私は若い頃、学卒で入った外資コンサルをやめた後、「日本社会の上から下まで全部見る」ことが必要だと感じてブラック企業で働いたり肉体労働をしたりカルト宗教に潜入してみたりしていた時期があり、旧統一協会にもちょっとだけ潜入してみたことがあります。

その時の様子については以下の連続ツイートにまとめていて非常に多く読まれましたが(よかったらツイートをクリックしてぶら下がっているツリーをお読みいただければと思います)、カルト宗教の中にいる人々は一般的に思われているほど特殊な「イッちゃってる」人物ではなく、むしろその中にこそ「幸せ」を見出している人も多くいるように思います。

特に、ツリーの中でも以下のツイートで書いたように、

「今の社会で生きづらいと感じている人の最後の居場所」になっている側面は明らかにあり、高額お布施強要や宗教二世への過剰な強制といった「一般社会との摩擦部分」において規制をかけつつも、やはり「他人から見ればどれだけ突飛に見える信仰でもそれに救われたと主観的に感じている人がいるならそれに賭けて生きられる社会」が望ましいと私は思います。

次ページ 3:「狂気と理性」の使い分けをちゃんと考えよう

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