3:「狂気と理性」の使い分けをちゃんと考えよう
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ともあれ、今回記事のポイントは、こういう「統一協会問題」などを扱う時の「狂気」と「理性」の使い分けやバランス問題こそが、今の日本の課題を前に進めるために根本的な課題になっているのだという話をすることです。
繰り返しますが、私程度の穏当な意見表明に対して「お前も信者だな!」とかSNSアカウントに言いに来るのはほんとうにご勘弁願いたいものの、そういう「狂気レベルの熱情」を否定したいわけではありません。
そういう熱情を持っている人がそれを表明することは自由だし、幕末に辻斬りをしていた侍が結果として時代を前に進めたような効果があるだろうという意味において応援してさえいます。
一方で、幕末でも「辻斬りする侍」とは別のところで「明治開国政府」の構想を理性的に練っていた人はどこかにはいたはずですが、この問題についてそういうインテリはどこにいるんでしょうか?
私が常々問題視しているのはそこです。
自民党の支持者の中には、かなり国粋主義的で、「隣国に対する差別思想」みたいなものを持っている「狂気」レベルのエネルギーもありますが、自民党主体の政府が持つ「理性」的な部分は、その「狂気」とは適度な距離をおいて付き合っています。
「自民党を批判する勢力」のほんとうの競争相手は、「狂気のネット右翼による暴走エネルギー」ではなくて、それを基礎票としつつも広い範囲の国民の支持を取り付けて成り立っている「自民党の政策担当者」であるべきですよね?
そこから逃げて「狂気のネットバトル」を焚きつけることばかりしていることが、最近の日本の選挙結果における反自民勢力の目に見える凋落に繋がっているのではないでしょうか。
2009年に政権交代を成し遂げた当時の民主党は、今の野党と比べものにならないほど、「敵は狂気のネットバトルでなく自民党の中の政策担当者」であるという認識があったと思いますし、「その点」において自分たちの方が勝っていなくてはならないという気概はあったと思います。
そういう「相手の一番良い部分を認めた上でその上を考えていく」精神という意味で、
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安倍政権にも「功績」的な部分はあって、それを国民が必要としていたから戦後最長政権にも繋がったのだ。それを超えていきたいなら、その「功績」の部分に打ち勝つ必要があるのだ
…というような事を私は時々主張していますが、こういう発言には今のSNSでは本当にしつこく突っかかって来る人がいるんですね。
そういう人が持っている世界観においては、安倍政権に功績など一つもなく、アベノミクスのポジティブな面は統計が不正された虚偽であり、自民党政府は例えばコロナ関連の使途不明金がお友達企業にバラまかれており、我々下層国民はただ奴隷として扱われているのだ…みたいな話で問答無用に言葉を投げかけてくるのにいつも戸惑います。
しかし例えばその「安倍政権陰謀論」でよく出てくるような「統計不正」も、安倍政権が自分のためにやったというより、長年続いた公務員の人減らし・予算削減の結果統計を作成する人的リソースが枯渇している事が主な原因だということは、この問題を「本当はどうなのか」をちゃんと調べている人ではほぼ共通了解と言えるはずです。
なぜなら、そういう不正がチラホラ出てくるようになったのは安倍政権どころか民主党政権よりもさらに前の頃からであり、指摘される統計の歪みについては、政権の評価を上ブレさせるものだけでなく、下ブレさせるもの(GDPが数十兆円単位で過小評価されているのではないかという説が出ている問題(リンク先PDF)など)も実際にはあるからです。
日本の役所における統計の実情について、一例としては朝日新聞の特集「どうみる統計不正」の中での、肥後雅博東大教授の解説が非常にわかりやすかったです。 また、ネットの自民党陰謀論の定番的に使われているコロナ対策の使途不明金12兆円も、当時「事務作業を簡素化してとにかく早く配れ!今困っている人たちの気持ちを自民党は全然わかっていないからそんなチンタラやってられるんだ!多少間違ったっていいじゃないか!」という話になっていたので、それを実行したデメリットとして今になっていろんな詐取が告発されたり、会計上ちゃんと追いづらい状況になっているという話で、別にその12兆円を自民党が“お友達”のためだけに詐取しているという話ではないですよね。
どちらも、色々と非効率が指摘される日本政府の事務処理的な部分を、粘り強く簡素化したりデジタル化したりしていって、統計関係の専門職も手当して…という地味な解決策に落とし込んでいくことによってのみ解決できる問題であるはずです。
これを、選挙戦略上「自民党が自分たちの政治をよく見せるために統計を粉飾したのだ」「自民党が自分のお友達のためだけに詐取して使い込んだのだ」というキャンペーンにしてしまうというのは…。
まあそれが必要な時もあるかもしれませんよ?「悪夢の民主党政権」とか言われたら、そういうふうに「腐敗した地獄の自民党政権」と言い返したくなる気持ちもわからんでもない。
しかしそういうSNSバトルとは別のところで、ちゃんと「これは単に自民党叩きのためのキャンペーンであって、自分たちが政権取った時のことは別個に冷静に考えているぞ」という部分が伝わっていないのはダメなのではないでしょうか。
4:「安倍時代の機能不全」があったとしたら、それは「両側の課題」として理解しないと解決できない
安倍氏が亡くなってから、思ったより諸外国からの外交面における評価が高いことに関して、意外な思いを持った国民も多かったのではないでしょうか。
2020年代後半には中国のGDPがアメリカを超えるかもしれないという強烈な経済成長によって、中国国民のナショナリスティックなエネルギーの膨張がある中で、オバマ政権前期などは、やはり「第二次大戦の結果における善玉悪玉イメージ」を無批判に当てはめる風潮が高いなか、中国が東南アジアなどでかなり攻撃的な勢力拡張を行っているのを誰も止められない情勢になっていた。
それに対抗しようとした安倍氏的なあり方は確かに「右翼的」な立脚点だったかもしれませんが、結果として米国を日本サイドに引き寄せ、インドや豪州も含めた「対中国包囲網」的な意味合いの「自由で開かれたインド太平洋」ビジョンを、具体的で強固な国際的枠組みとして成立させていった安倍氏の功績については、国際関係学などの分野の専門家では否定し得ないものとしてあります。
安倍氏の訃報に対して米国の有力政治家や、また台湾やインドなど中国の直接的な圧迫を受けている国からの熱烈な弔意がもたらされたことはそれを裏付けていますよね。
先日のペロシ米国下院議長の訪台でかなりキナ臭い米中対立が顕在化しましたけど、まあまあ安定して見ていられるのは、「自由で開かれたインド太平洋」的な枠組みによって、米中の対立が「火を吹いたらどちらもただでは済まない」情勢であることを相互にちゃんと理解していたからだと言えます。
その点「キエフ(キーフ)など3日で落とせる」とプーチン大統領が誤認してしまった事が、ロシア・ウクライナ戦争という巨大な悲劇につながったのと比べてみると、安倍氏の功績の大きさがわかると言えるでしょう。
それが単なる「安倍は米国の犬だったのだから米国の評価が高いのは当然。ただ国を売っただけなのだ」みたいな理解で終わらせるのは無理があるはずです。
「そんなに戦争がしたいのか」などと安倍氏はよく言われていましたが、逆にそういう意味で「東アジアの平和」を守ったのは安倍氏だったと言うのも特に不自然な表現とも私は思っていません。
こういう「米中対立に向けた国際枠組みによる軍事的均衡関係の成立」がなければ、「キエフなど3日で落とせる」と考えてしまったのと同じレベルで「台湾など簡単に落とせる」と中国政府が思ってしまってもおかしくなかったからです。
もっと丁寧な国内的手続きを踏んだ方が良かった面はあったかもしれないが、しかしその当時の「安倍批判側」は、こういう喫緊の国際情勢に対してちゃんと認識して、リアルな責任感を持って対応しようとしていたでしょうか?
「安倍時代の民主主義の手続き的問題」があったとして、それが「安倍氏側」だけでなく「安倍批判側」にもあったのだと考える事なしに、こういう課題は解決できませんよね?
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