CULTURE | 2022/08/05

富野由悠季が問いかける「未来の問題」 非ガンダムファンこそ『G-レコ』を観るべき理由

聞き手・構成・文:神保勇揮(FINDERS編集部) 写真:小田駿一

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

聞き手・構成・文:神保勇揮(FINDERS編集部) 写真:小田駿一

「ガンダムの生みの親」こと富野由悠季監督の最新作として、構想段階から数えると約10年制作が続けられたアニメ『Gのレコンギスタ』。同作はTV放送版を全面リメイクした劇場版五部作の完成をもって、遂に完結した。

そのため今回は劇場版完成記念インタビューではあるのだが、実は「ガンダムの話」はほとんどなされていない。聞きたいことはただ1つ。「富野監督は何を考え、何のために『G-レコ』を創ったのか」である。

それはなぜか。近年、マーベル作品などの主に海外エンタメを題材に「この作品は現実のこうした社会問題の提起としても描かれている」と語る切り口はどんどん増えているにも関わらず、何十年もそれをやってきた富野監督の仕事の意義が、(同様に語られてきたジブリ作品と比べても)まだまだ知られていなさすぎると感じるからだ。

「地球環境が悪化しすぎたから人類は宇宙に進出しなければいけなくなった」という筋書きは1979年にスタートした『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)から続く設定であるし、そういった世界観の中において『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のシャア・アズナブルや『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』のハサウェイ・ノアといった主要キャラクターたちは、ある種の環境テロリストとして描かれている。

また他にも人類と異星人同士(異民族同士)の凄惨な争いを描いた『伝説巨神イデオン』、ユーゴスラビア紛争をモチーフに取り入れた『機動戦士Vガンダム』、地下鉄サリン事件を受けてカルト集団と家族の問題を扱った『ブレンパワード』などなど、富野作品の多くは各時代の社会情勢や問題がビビットに反映されてきた。

そして、これまでの「ストーリーや設定に社会問題を取り込んだ富野作品群」と『G-レコ』が異なるのは、本作が最初から「社会問題を考えてもらうためのエンタメ」として企画された点である。具体的には地球環境の問題、際限なく膨張を続ける資本主義の問題、技術革新が戦争の悲惨さを増幅するばかりになっている問題などが多面的に織り込まれており、監督は2019年・劇場版第一部の公開時に「未来的な問題がどこにあるのかに考えを巡らして、その解決策を考えてくださる子供たちを待ちたいのです」というコメントも寄せている。

その「未来的な問題」とは一体何なのか。話をうかがった。

『G-レコ』は「宇宙開発絶対反対アニメ」だから反ガンダムになる

―― 今回のインタビューでは、これまでガンダムファン、あるいは富野ファンでなかった層に対しても、『G-レコ』に込められたメッセージを伝えていく中で、現実世界で起こっている「こんなこと」を踏まえて作られた作品で、すごく面白いから、ぜひ観るべきなんだ、ということを訴えられる内容にできないかと思っています。

富野:『G-レコ』に関しては、最初からアニメファン、ガンダムファンを相手にしていませんから、同じことしか言っていません。巨大ロボットも出てくるし、宇宙を舞台にしているんだけれども、「宇宙開発絶対反対アニメ」なんですよ。

そして、特に工学に関して、学者たちがあまりにも不定見である、技術過信をしている。「21世紀になってだいぶ経つんだから、19世紀から20世紀にかけての科学技術一辺倒の思考から、そろそろ脱却するというムーブメントに行かなくちゃいけないのに、なんでまだ宇宙開発なの?」とか、「火星に移民しなくちゃいけないかもしれない、みたいなことを政治家や実業家が言うようになってきた、というのはちょっとおかしくないか」ということを言いやすいようにするために作ったのが、『Gのレコンギスタ』という作品なんです。

だから、ガンダムファンは『G-レコ』に見向きもしませんでした。実際ファンに付いてくれたのは、二十歳前後ぐらいまでの人だったんです。本当に最近になって少しはガンダムファンの人も、ガンダム系の作品だからというので振り向いてくれるようになったらしいということを多少は理解していますけれども、基本的に今言ったようなテーマで作りましたから、ガンダムに取り憑かれた世代には理解できない作品になっています。

「宇宙エレベーター維持に必要な物流システム」は構築できるのか

富野:その一番分かりやすい例として、冒頭で宇宙エレベーター(作中では「キャピタル・タワー」と呼称)というものを登場させ、連結式の車両にしているわけです。現在も宇宙エレベーターありきでものを考えている学生がいたり、大学の授業みたいなものがあったりもしている。リニアモーターカーを使って静止衛星軌道まで上昇するというアイデアに関してだけは、僕も基本的にいい発想だというふうに認めます。

『G-レコ』に登場するキャピタル・タワー。中央の球状の物体は「クラウン」と呼ばれる車両で、全長約60mで客室を有したものや、無蓋クラウンと呼ばれるモビルスーツやコンテナを積むものなどもある
(C)創通・サンライズ

ですが、実際にこの現実で利用しようとなったときに、それはインフラとしてのバックアップがなければ運用できないものである。つまり、鉄道というのは運搬するモノ=物流のシステムが存在して、そこから収入がコンスタントに手に入って、やっと継続的に運用できる。ケーブルを地上8万km(頂点となるカウンターウェイトの『G-レコ』世界での設置位置)まで張らなくちゃいけない中で、そのメンテナンス費用はどこから出るのか。だから交通機関にしない限り、絶対に宇宙エレベーターは運用できないんだよ、という話です。

さらに交通機関としての運用を考えなきゃいけない。つまり宇宙に出て何を運ぶのかを考えると、例えば地球と月の往復を考えてみた際に、片道約38万kmもあるわけね。そうすると現段階だけでなくて、おそらくこれから1000年ぐらい経ったとしても、月から運んでくるような商品なんてあるわけないだろうと考えています。

だけど『G-レコ』では、宇宙エレベーターを「キャピタル・タワー」という言い方にしています。キャピタル、つまり資本を発生させるためのものになっている、そういう物流を発生させるという設定になっています。

どういうことかというと、『G-レコ』の世界では地球で天然ガスや石油も何もかも一切採れなくなってしまっているので、エネルギーを別のところから手に入れる必要がある。劇中ではそのエネルギー源をフォトン・バッテリー(『G-レコ』世界のありとあらゆる電力需要をまかなう超高性能バッテリー)と呼んでいて、この物質を生産するにはきっといろいろな問題があるだろうから、やっぱり宇宙で作るほうがいいんじゃないかというふうにして「地球では採掘・製造できず宇宙に工場があり、そこからキャピタル・タワーを通じて運び込む」という流れにしたんです。

そういうことをひっくるめて、今の資本主義社会で実業家、あるいは技術者に対して「あなた達にはこんなことできるわけないよね」という言い方をしているわけです。

―― 『G-レコ』は、長い年月をかけた監督の膨大なリサーチに基づいて構想されていますが、こうした物語や設定は「宇宙エレベーターなどの技術が現実世界でどうすれば成り立つのかを考えたい」なのか、資本家や技術者に対して「あなた達はここまで考えているのか」と突きつけたい動機から考え始めたのか、どちらだったのでしょうか?

2021年に出版された『アニメを作ることを舐めてはいけない ―「G-レコ」で考えた事―』は、単なる『G-レコ』の設定資料集というよりも、監督が考えた=勉強した事柄をいかに設定に落とし込んだかという“勉強ノート”でもあり“富野由悠季の思想書”とも言える内容になっている。『G-レコ』の「物語の深さ」を感じたい人はぜひ手に取ってほしい

富野:それは両方。どちらかに偏っちゃうと、今みたいな言い方ができなくなるんです。ものの発想において入口は必要だから、アイデアというのはおそらくピンポイントで発想するでしょう。けれどもそれだけで済むかどうかと言えば、おそらく済まないと思う。そうしたときに、やはり多面的に考えなくちゃいけないことがあるんです。

どういうことかというと、今のコンピュータやインターネットが始まったときに、物流のための通信になるなんて思っていなかったでしょう、誰も。

―― いずれも最初は軍事技術として開発されていますね。

富野:そう。だから、科学技術的なことだけで進めていくと、応用するという知恵が意外と思い浮かばないんですよ、という話。その技術の他の有用性を想像できなくちゃいけない、ということも一生懸命考えてほしいんです。

起業をするときも「マーケット」という言い方をするじゃない。それは顧客数とかの数字だけでものを見るんじゃなくて、そういうものを必要としているという社会性みたいなものを、見抜くということまで含めてのマーケットだから、商売人は、本能的に「これでいけるよ」と思ったとき、今言ったようなことを全部タタタタッと想像していくわけじゃない?

そしてそれを毎日毎日繰り返してビジネスにしていく。人を雇って、お前ら働け、ということを、億劫がらずに言える胆力がなければ、成立しないわけでしょう。

次ページ:現実にも宇宙世紀にも絶望してなお「未来の子どもに向けた希望ある物語」を作る理由

next