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なぜぼくたちは映画を早送りしてしまう?就活のプレッシャーと同調圧力から逃れるための処方箋【稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』】
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  • 2022.06.15
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なぜぼくたちは映画を早送りしてしまう?就活のプレッシャーと同調圧力から逃れるための処方箋【稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』】

本多カツヒロ

ライター

1977年神奈川県生まれ、東京都育ち。都内の私大理工学部を経てニートになる。31歳の時に、一念発起しライターに。サイゾー系のメディアでの執筆を経たのち、WEDGE infnity、東洋経済オンライン、週刊実話など多数の媒体で著者インタビューを担当。その後、Forbes JAPAN WEBやダイヤモンド・オンラインなどのビジネス系メディアでも執筆。現在、QJ Web (クイック・ジャパンウェブ)や週刊誌などで執筆中。また、自身の病気の経験から、闘病記を気が向いたら公開している。
https://note.com/honda52

「倍速視聴」は若者特有の行動ではない

「倍速視聴」「10秒飛ばし」……。これらは最近話題になっている稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』(光文社)に登場するほんの一例に過ぎない。編集部から今回、同書について書いてほしいと提案されたとき、タイトルを聞いただけで大体の内容を想像できた。

…と言いたいところだが、読み進めると想像を絶するものであったのと同時に、筆者にも思い当たる節があるなと感じた。というか、誰しも多少はそういう部分があるのではないか。今回、同書を読み進めるうちに「映画やドラマ、アニメはそんな風に観るものではない!」と一方的に断罪したところでなんの意味があるのかとさえ考えた。

こうした行為に走る理由は端的に言えば「普通」であることから切り離される不安だ。

まず同書の内容を紹介しよう。特に賛否両論、話題になっているのが、倍速視聴や10秒飛ばしだけでなく、連続ドラマを話ごと丸々飛ばす、ネタバレサイトを読んでから観る、日常会話は飛ばす等々の例だろう。

「映画やドラマ、アニメと言った作品はそのように作られていない。けしからん。これだから今の若者は」と言って溜飲を下げる人もいそうだが、若い世代に多いとは言え、必ずしもそうではないという。

「マーケティングリサーチ会社のクロス・マーケティングによる2021年3月の調査によれば、20歳から69歳の男女で倍速視聴の経験がある人は34.4%、内訳は20代男性が最も多く54.5%、20代女性は43.6%」(P14)

これに30代男性、30代女性が続くという。また『Abema Prime』で司会を勤める47歳の平石直之アナも倍速派だと公言しているという。10代、20代の“若者”にのみ見られる特殊な行動ではない。

こうした作品を倍速視聴する人たちの外的要因として同書では3点指摘している。まずは作品が多すぎること。定額動画配信サービスの登場により、安価な料金で我々は大量の作品の海に投げ出されているのが現状だ。筆者も実際にNetflix、Amazonプライム、AppleTV、Disney+、DAZNに加入しているため、仕事をする時間がないくらいだ(以前はU-NEXTとHuluにも加入していた)。

その他の外的要因として、コスパを求める人が増えたことと、セリフですべてを説明する作品が増えたことを挙げている。寝る間も惜しんで、大好きな作品を鑑賞した結果としてオタクになるのではなく、「大学生の彼らは趣味や娯楽について、てっとり早く、短時間で、『何かをモノにしたい』『何かのエキスパートになりたい』と思っている」(P23)という。また「無駄は、悪。コスパこそ、正義」(P24)だとも。さらに映像作品を「コンテンツ」と呼び「消費」している。同書でも指摘していることだが、「コンテンツを消費すること」と「作品を鑑賞すること」は似ているようで非なる行為であることに反論の余地はない。

また以前より日本の映画やドラマは説明過多と指摘されていることも挙げられる。筆者が関わる文字表現にしてもなるべくわかりやすい表現や記事を求められる(抽象的な表現を使っただけで編集者から直されることもしばしば)。わかりやすい記事こそ正義と言った空気感がある。究極的には、3行ほどに要約され、原稿を書いた意味があるのかさえ思うこともある。ただしそうしないと視聴者は観てくれず、読者は最後まで読んでくれないのもまた確かな実感である。

かくいう筆者も、映画やドラマはじっくりと飛ばさずに観てはいるが、サッカーに関してはダイジェストで観ることがほとんど。またニュース番組もYouTubeに上がっている1分ほどの動画を観ることも多い。

「個性的でなければ就活で戦えない」という不安が常時煽られる

しかし、こうした人々を一方的に断罪し、批判するのは違うなと読み進めるうちに感じた。彼らには彼らなりの事情があるのだ。同書では、そうした行為にいたる内的要因を指摘している。

「若者のあいだで、仲間との話題に乗れることが昔とは比べ物にならいほど重要になっているからだ。それをもたらしたのがSNS、おもにLINEの常時接続という習慣である」(P123)

特にLINEグループはひとつではなく複数に入っているため、日々大量に流れてくる「あれが面白かったから観るべき!」という投稿に反応するためにコンテンツを必死に消費するのだという。しかも旬も大切らしい。そうなると当然、作品の余白を楽しむ時間などなく、倍速飛ばしをしながらなんとか友だちに乗り遅れまい、あるいは嫌われないようにしようと必死に消費するのも理解できる。

総じて、時に後ろめたい気持ちを抱えながらもこうした行動に至る一番の理由は、「普通」から乗り遅れないためだろう。友人らを「普通」とし、価値基準とする行為(若ければ若いほど行動範囲や知り合いの幅が狭いので、どうしても仕方ないが)。それはメディアの煽りも一因だ。たとえばライターのレジー氏が提唱する「ファスト教養」のように、特にビジネス系のメディアはデキるビジネスパーソンになるために「教養」がなければ失格かのように煽る。少し前で言えば、それは「アート」だった。

本来、教養やアート、本書のテーマに沿えばカルチャー全般は、興味を持っているうちにいつの間にか詳しくなっているものだ。そのためには多くの時間を要する。そして、本当にそうしたものが身についていると見える人たちはそうした理由から身につけようとしたわけではなく、興味があったから、好きだったから結果としてそうなっていることが大半だ。

しかしながら現状の多くのビジネス系メディアは「自分たちにお金を払えば手っ取り早く身につくのだ」と言いたいのだろう。それは今のビジネスパーソンとしての「普通」像を勝手に作り上げている。その作り上げられた「普通」と自らを比較し、不安に陥れること、つまりはコンプレックスを作り出すことで、金儲けをしようとしている。その構造自体も、倍速飛ばしをする人たちが友人という「普通」からの離脱を不安がる構造と非常によく似ている。

また、若者らがこうした行為に走る理由として本書で挙げられているのが就職活動でのアピールにあるという。

「実際、多くの大学生が『個性的でなければ就活で戦えない』と感じている。胸を張って書けるだけの“武器”が欲しい」(P134)。しかも個性的過ぎる個性ではダメだという。

今の時代、個性的なことをして失敗でもしようものなら、若気の至りとして許されることはなく、SNSで晒され炎上し、同世代のみならず大人たちからも袋叩きにされる日常を生きている。だからこそ彼・彼女らは「悪目立ちせず個性的になれる方法」として「カルチャーに詳しいオタク」という道を選択するのではないだろうか。

しかしながら、なにか一つにの物事に精通することは繰り返しになるがそう簡単ではない。そのため倍速視聴などの行為に走るのは理解できるし、同情もする。ただ、残念なことに筆者が付き合いのあるいわゆるクリエイターたちを見ていて思うのは、10代の頃から長期間にわたり、自分が好きなことに対して時間をかけることを厭わず、常に本気の人たちだけが残っている。本物のオタクに敵うことはない。

「そんなことはわかってるよ!」と言われそうだが、じゃあどうすれば良いのか。友人間やSNS上に存在する「普通」というゲームから降りることは簡単ではないので、ひとまずはネタバレも含め効率良く情報を得て、なんとなく日常をやり過ごすのも一つの手だ。

しかし同時に、そういった価値基準、つまりは「比較」することから離れるために、自分がどんなことに興味があり、なにを大切にしているのかを考えることで、価値基準の拠り所を少しずつ自分へと移していくことが大切になる。

複数のコミュニティに属しつつ、自分にとって居心地の悪いコミュニティからは徐々に距離を取り、居心地の良いコミュニティにコミットメントしていく。そうしているうちに数年後、自らの価値基準が固まる頃には、結婚・出産する友人も増え、仕事が忙しくなり、キラキラした活動を辞める人も出てきて、LINEグループでのコミュニケーションも落ち着いていく。そのときに、自ら培った価値基準が真価を発揮し始め、(前よりは)無駄な労力を割かなくて良くなる。結果的にコスパが良いのではないだろうか。

以前、友人が「比較は精神的な貧困につながる」ということを言っていて感銘を受けたことがある。個人的な体験だが、筆者自信も長年、友人や知り合いと自分を比較して苦しんできた。でも、自分自身の価値基準を明確にしたことで、かなり楽になった。いくら成功しようが、失敗しようが、人間は群れをつくり、他人と比較してしまう。隣の芝が青く見えるのだ。そのことでまさに心が辛くなる。隣の芝を見ても揺るがない、または立ち返ることができる価値基準をぜひ培ってほしい。


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