ロシアのモスクワ郊外に「Skolkovo(スコルコボ)」という地域がある。東京ドームにすると85個分という果てしない大きさである。2010年に「ここをロシアの一大イノベーション拠点にする」としてネドベ―ジェフ前首相の肝いりで作られたビッグプロジェクトだ。
その中には400ものスタートアップが存在し、扱っている分野はエネルギーをはじめ多岐にわたる。
通常、ロシアはビザがないと入国できないが、ワールドカップ期間中はサッカーチケット購入時に取得する「FAN ID」という本人確認証明書を取ることでにより入国可能になったため、行くことができた。日本でもスコルコボ自体を紹介する記事は散見されるが、実際にどんなスタートアッププレーヤーがいるかはあまり紹介されていない。
今回は、この貴重な機会に出会った6社を紹介していく。
高見沢徳明
株式会社フレンバシーCTO
大学卒業後金融SEとして9年間勤めたあと、2005年にサイバーエージェントに入社。アメーバ事業部でエンジニアとして複数の案件に従事した後、ウエディングパークへ出向。システム部門のリーダとなりサイトリニューアル、海外ウエディングサイトの立ち上げ、Yahoo!などのアライアンスを担当。その後2012年SXSWに個人で参加。また複数のスタートアップ立ち上げにも参画し、2016年よりフリーランスとなる。現在は株式会社フレンバシーにてベジフードレストランガイドVegewel(ベジウェル)の開発担当。
中国同様、独自の進化を遂げるロシアのIT企業
ロシアは謎に包まれた国だ。みなさんはどのようなイメージをお持ちだろうか?
プーチンによる圧政とか未だに中国のように政府への批判がご法度だとか笑わない人ばかりの国だとか、真偽はともかく色々思い浮かぶだろう。
ソ連崩壊後ゴルバチョフ、エリツィンからプーチン時代になって民主化は進み、国営企業が民営化されるのと同時に経済は建て直され、GDPは世界第10位の規模にまでなった。
だが、自由化という意味では政府介入の元、いくつかの制約はある。例えばロシアでは反体制的な表現には実刑があり、パンクバンドが禁固刑になったりといったことが珍しくない。同様に中国ほどではないがネット検閲はある。
例えば日本では完全に市民権を得ているLINEはまず使えない。同様にビジネスSNSで有名なLinkedInも遮断されている。ロシアには「ロシア人の個人情報はロシア国内でしか取り扱い不可」という法律があり、そのために制限されてしまっているのである。
このため、中国と同様にロシアのIT企業は独自の発達を遂げている。検索エンジンもGoogleはとりあえず利用可能だが、ロシアを代表する企業であるYandexが台頭している。このYandexは日本で言うところのYahoo!のようなポータルである。
IT先端エリアのスコルコボとは
スコルコボの通行証。ワンタッチで腕に巻き付く。
スコルコボに入るためには通行証が必要である。このため現地のアテンドをロシアのスタートアップ企業を中心に海外進出のサポートやコンサルティングを行う、SAMI代表の牧野寛氏に手配いただいた。
スコルコボの完成予定図(2020年予定)。かなりの大規模開発事業だ。
広大な敷地の中にテクノパークという象徴的な建物がそびえ立つ。向かい合うようにして住居棟が並ぶ。隣接した区域にはゴルフ場や学校も建設されている。これらはすべて2020年の完成を目標に開発が進められており、“ITのディズニーリゾート”のような都市計画となっている。
テクノパークの中は洗練されており、さまざまな企業のショールームやVR体験ゾーンがあったり未来を感じさせるオブジェがいくつか見ることができた。
ミニセグウェイで移動する子ども
インタビューをアレンジしてくれたThe Skolkovo FoundationのLyubov Korotetskaya氏
VR体験ゾーン
テクノパークのVISTROBOTICSブースにあったドライブシミュレータ
テクノパークのVISTROBOTICSブースにて
スコルコボ発の厳選スタートアップ(1)SK Ventures(ベンチャーキャピタル)
ここからはスコルコボでも選りすぐりの企業を紹介する。まずはSK Venturesだ。
名前から分かる通りスコルコボのベンチャーキャピタルだ。話を聞いたのは投資アナリストのVladimir Kadnikov氏。
SK Ventures 投資アナリストのVladimir Kadnikov氏。マッキンゼー・アンド・カンパニー出身。
SK Venturesは3つの事業にフォーカスしている。
1つはアドバイザー事業。もちろん企業によっては投資も行っており、累計投資額は150万ドルとのこと。2つ目はインダストリアルマーケット。これは工業のデジタル化を進めていくというもので、ドイツやアメリカなどに続いて「4.0RU」(ロシア版インダストリー4.0)というムーブメントも起きている。3つ目は農業。こちらは始めたのは比較的最近でまだ1年ほどしか経っていない。
SK Venturesの資金源は主に国から出してもらっている。後は鉄道会社からの出資もあるらしい。投資の成果が見えてくるのは恐らく4、5年後ではないかと見ている。日本の企業がロシアに進出したい、もしくはロシアにフォーカスした事業を行うのであれば話をしてみるのもいいだろう。
(2)ExonLab(クラウドサーバー&ブロックチェーン)
次はExonLabという企業。クラウドテクノロジーの会社だ。
同社のサービス「Containerum」
Containerumというクラウドのアプリケーションプラットフォームを運営している。技術に詳しい人であればAmazonのAWSやGoogleのGCPみたいなものを想像するといいかもしれないが、どちらかといえばロシア版Heroku(米セールスフォース・ドットコム傘下企業のサービス)と言えそうな内容のようだ。
最大の特徴は、急激にアクセスが増えた時のサーバ拡張する仕組みにKubernetesという先端技術を使っているところである。今まではサーバ単位で拡張するしかなかったところがアプリケーションのパーツ単位で拡張できるのでコストが抑えられるというものだ。この技術はAWSやGCPも採用しているがまだまだ歴史は浅い。費用は競合他社に比べて非常に手頃で$1から使える。保守やサポートなど付随サービスに課金されるという。このあたりがHerokuに似ていると言われるところだ。価格を抑えているのはスタートアップ企業をターゲットにしているからとのこと。
ExonLab セールスディレクターのDenis Ivanov氏(右)とマーケティングディレクターのVlad Voskoboynikov氏。
このExonLab、新たなサービスを準備中だ。ブロックチェーンに代わるDAG(Direct Acyclical Graph:有向非巡回グラフ)を用いた新しいテクノロジーである。
ブロックチェーンはあるところから別のあるところへの情報の受け渡しを行うための技術で、A→B→C→Dの順番で取引する場合にA,B,C,Dでそれぞれ取引情報の整合性を確かめる作業を行う。これをマイニングという。
都度整合性を確認するのでその情報(例えば仮想通貨なら、いつ・誰が誰にいくら送ったかなど)の整合性は保証される。しかし、このマイニングという作業はパソコンの中で膨大な計算を行う。すなわちCPUリソースを消費する。現状このマイニング作業に対して報酬が支払われることになっているので、いろんな人がお金稼ぎのためにマイニングを行っている。
一方、ExonLabの新しいテクノロジーはマイニングを行わずDAGを使用して送金する事ができる。このためビットコインの取扱いにかかる費用が安く済む。目下サンクトペテルブルク大学と共同開発を行っており、実現すれば特許取得も検討するという。
日本にはパートナー候補がいくつかおり、市場調査を行っているため、一緒に何かやってみたいと思う企業があればぜひコンタクトしてみよう。
(3)Pravoved(AIによる法律相談サービス)
次はPravovedという企業。адвокат(アドバカット:ロシア語で「弁護士」の意味)という単語から企業名をつけたという。こう紹介してくれたのはビジネスアドミニストレーターのGeorgy Pyankov氏である。
ExonLab PravovedビジネスアドミニストレーターGeorgy Pyankov氏
AI&RegalTechというジャンルに属するPravovedのサービス内容は、法律絡みの質問にAIが回答するというもの。2011年に創業し、もともとITとリーガルをつなげることができないかというテーマに取り組んでいたというPravoved。現在は130人のスタッフがいる。多くはAIスペシャリストだ。今では月間400万のユーザが利用している。
日々2,000件もの弁護士への質問を受けているというこのサイト、その膨大な情報をビッグデータとして活用しAIが自動で返答していくという。日々の悩み相談のような自然な文章から95%の確率で内容を理解して答えを返す。
例えば「壊れたテレビを返金してもらうにはどのように言ったらいいのか」みたいな書き方でOKだ。過去に弁護士に受けた質問からAIが分類して回答する。中には質問の内容に不備があることもあるが、AIが追加の質問を行うことで情報を整理していく。回答は関連する法律や権利についての紹介だけでなく、次にどうしたらいいかという具体的なアドバイスまでしてくれる。
法律は現在はロシアのものをベースに作られているが、将来は他の国にも展開していくとのこと。
(4)BOTKIN・AI(医療用画像診断システム)
次はBOTKIN・AIである。BOTKINとは19世紀に実在した高名なロシア人医師のSergey Botkinに由来する。
サービスの名前からわかるように、AIを使ってCTやM-Rayでの画像診断ができるというクリニック向けプログラムである。医師による誤診断を防ぐことをコンセプトにしている。
現代病として死亡率の高いガンは、遅いステージになってから発見されることが多い。だが肺ガンであればこの画像診断で早い段階で検知できるという。他の病気も、ものによるが早期発見は可能だ。そう話すのはCEOのSergey SOROKIN氏。
仕組みとしては構造化された医療データと構造化されていない医療データに加えて生物医学画像データを機械学習させて分類し、最終的にはビジュアライズしてわかりやすく解析結果を出しているのだそうだ。
こうした仕組みは予防医療にも効果がある。今後はヘルスケア分野にも拡大していきたいとのことだった。
BOTKIN・AI CEOのSergey SOROKIN氏
スコルコボを運営するSkolkovo FoundationのProject advisorであるVoinov Sergey氏。彼の関心はIoTとデジタルヘルス領域にあることから、BOTKIN・AIのサポートも担当している。
BOTKIN・AIが解決しようとしている課題は世界的な医師不足、医療コストの増大、年ごとに大量に増える医療情報、薬の開発コストの増大である。
ちなみにN.N. Blokhinロシア癌研究所、日本でおなじみのバイエル薬品とパートナーシップを組んでいる。病気の治療・予防に関するノウハウはは世界共通であるので、他の国でも可能性があれば一緒に取り組みたいという。
(5)CPS Business Solution(工場従業員向けウェアラブルデバイス)
次はCPS Business SolutionというIoTの企業である。ブレスレット型のウェアラブルデバイスを販売している。
ウェアラブル端末のCPS Bangle
この会社は「倉庫のオーダープロセスを最適化する」ということを目指している。具体的には、従業員の作業の工程管理である。
「CPS Bangle」というウェアラブルデバイスを装着して倉庫や工場で一日仕事をしてもらい、その間の体調を工場のあらゆるところに取り付けたビーコンデバイス「CPS eCloudと」でトラッキングする。脈拍から健康状態を検知して適切な健康状態を保つようにアドバイスする。また従業員が危険な場所に近づいたりすればその情報は本人へアラートするだけでなく、監督者にも通知する機能もある。BluetoothやWifiで利用可能だが最大50m離れた場所でも情報検知ができるという。
さらに「IIoT Platform」という解析ソフトで集めた情報を解析してビジュアライゼーションする。
CPS Business Solutions アナリストのAlexander Dzhaparidze氏
あるクライアントでは仕事の効率が40%も改善された事例があるとのこと。デバイスは業務時間中しか装着しないのと、映像や録音はしないことで従業員のプライバシーに配慮している。
この5月にはベルギーのアントワープで行われたITカンファレンスにも出展しており、海外とのパートナーシップにも積極的に取り組みたいと考えている。アジアはもちろん日本ももちろんターゲットだ。
(6)MarvelMind(3Dの位置情報発信デバイス)
スコルコボ厳選企業の最後はMarvelMindという、こちらもIoTの企業。位置情報を精密に出せるのが特徴で3D(高さも含めて位置特定)で特定できる。その誤差はなんと±2cmである。
位置情報を発信するBeacon HW。$69という破格の安さ。
リアルタイムに検知できるのも特徴で筆者も実際に試させてもらった。早く動いたり、ゆっくり動いてもその情報を正確に捉えることができる。
「競合製品に比べて10倍正確なのに、お値段は10倍安い」というのが彼らの売り文句である。正確にトラッキングできる秘訣は各所に取り付けるセンサーとの通信がWi-Fi、Bluetoothを使用しておらず、超音波通信を用いているためだとか。
利用シーンとしては幅広く、ドローンを使って倉庫の中の在庫確認したり、ビデオ・画像によるセキュリティ監視、大きなビル内でのロボットを使ったデリバリー(郵送物とか)などなど。
MarvelMind CEOのMaxim Tretyakov氏。このヘルメットにもガジェットは装着されていてどこにいても検知可能だ。
すでに多くの企業に採用されており、ボーイング、アマゾン、ポルシェやフィリップスなどが主要顧客である。
以上、6社紹介したが気になる企業はあるだろうか?
ロシアのスタートアップは、日本(海外)と組みたがっている
さて、最後に今回アテンドしてくれたSAMIという会社を紹介したい。
ロシアのスタートアップ企業を中心に海外進出のサポートやコンサルティングを行う企業だ。日本企業のロシア進出をサポートするためのセミナー開催やツアーなども行っている。CEOの牧野寛氏によれば、ロシアは中産階級がそこそこ増えてきたとはいえ内需がまだまだ小さく、スタートアップは海外進出にも積極的なのだという。加えて日本に対するリスペクトが高いため、日本企業との架け橋を求めるニーズは非常に多いのだそうだ。
ロシアのスタートアップの特徴として有限責任会社が多い。株式会社というと一部の国営企業や大手企業といったケースが多いようだ。さらに言えばロシアには証券取引所はあれど、日本で言うNasdaqやマザーズといった新興企業向けのものはない。そのためイグジットとしてはIPOよりもM&Aの方が一般的のようだ。
SAMIの行うサポートは幅広い。シナジーを作るための事業会社探し、事業を拡大するための投資家探しなども行っている。上記で紹介したExonLabのContainerumのマーケティングリサーチもその一つ。とにかく「その会社のメンバーになったつもりで」サポートするのがモットーだとか。
牧野氏がSAMIを立ち上げるきっかけになったのは2011年の東北大震災である。同氏は当時留学生としてロシアに滞在していたところ、多くのロシア人から励ましと募金を贈られたという。一般にロシア人は収入は少なく、ダブルワーク、トリプルワークは当たり前で、その中の少ないお金から募金してくれているという事実に感銘を受け、将来恩返しをしたいと思ったことが現在につながっている。恩返しの仕方はいろいろとあるが、特に若い世代の人を支援したいということからスタートアップ支援を行っているのだ。
SAMI CEOの牧野寛氏。SAMIはロシア語で「By ourselves(われわれ自身によって)」という意味があるとのこと。
百聞は一見にしかず。ロシアに行ってみよう
筆者がスコルコボ訪問を通じて感じたのは、各社一様にフレンドリーで親切であったということだ。ロシア人は一般的に英語が話せる人があまりいないと言われるが、スタートアップの人々は普通に話せるのでコミュニケーションも取りやすい。協業など何か関わりたいという話は聞いてもらえる土壌にある。
最後にSAMI牧野氏の言葉で閉めさせていただきたい。
「とにかくステレオタイプに惑わされることなく、一度ロシアに来てみてその目で確かめてほしい」
スコルコボをアテンドしてくれた松尾麻美子氏。ロシア語が堪能な才女だ。