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BTS世界進出を果たした韓国レコード会社奮闘の歴史、そして日本との「最大の違い」 【連載】アジアのエンタメを世界に広げる方法(2)
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  • 2021.12.02
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BTS世界進出を果たした韓国レコード会社奮闘の歴史、そして日本との「最大の違い」 【連載】アジアのエンタメを世界に広げる方法(2)

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第1回「BTS“日本進撃”を支えたプロデューサー、齋藤英介が語る「K-POP世界ヒットの裏側」」はこちら

本稿では韓国の「三大芸能事務所」であるSM・YG・JYP 、そしてBTSを発掘したBig Hitがいかにして誕生したかという韓国現代ポップス史を振り返りつつ、「今の日本の音楽業界に足りないものは何か」を語っていただいた。

「日本人アーティストによる海外進出」は基本的にはアメリカ市場のみを想定したものとし、また日本ほどの成功を収めることができなかったケースが大半であると思われているが、第1回で語られたK-POPの南米人気の例からもわかる通り、何も海外市場はアメリカ・ヨーロッパだけではないのだ。

聞き手:米田智彦・神保勇揮 文・構成:神保勇揮

齋藤英介

富仕徳投資公司
副総経理

ビクター音楽産業株式会社(現ビクターエンターティメント)洋楽部を経て、邦楽宣伝部に配属。サザンオールスターズ・高橋真梨子・阿川泰子・浜田麻里など多くのアーティストを手掛ける。EZOの全米デビューや、TBS番組『イカスバンド天国』、文化放送「Miss DJ」、フジテレビ『オールナイトフジ』ほか多くの企画も手掛け、宣伝部次長・経営企画・タイシタレーベル(サザンレーベル)・CMタイアップセクションなどを歴任。 1991年、株式会社アミューズ取締役国際部長に就任。「AMUSE香港」「AMUSE台湾」「AMUSE北京」「AMUSE ソウル」を次々に立ち上げ、金城武・BEYOND・林憶蓮・カレンモクなどのマネジメント契約、上海電視台・AMUSE共同制作「全中国オーディション 中華稚星」など数々の企画やプロデュースを行う。
2001年、株式会社イーライセンス(現NEXTONE)取締役、MCJP社長に就任。2005年、株式会社entaxを設立。株式会社アジア・コンテンツ・センターにプロデュサーとして参加し、韓国事業を開始。チャングンソク主演『メリは外泊中』・キム・ナムギル主演『赤と黒』の制作などを行なった。
2013年、台湾に著作権管理会社「ONE ASIA MUSIC」の設立(イーライセンス・SPACESHOWER他出資)と同時に、中国北京に「北京華夏第六視覚公司」を設立。防弾少年団(BTS)の日本でのプロデュースを行う。
2020年、富仕徳投資公司 副総経理に就任し、現在は中国数社のアドバイザーを務めている。

K-POP世界流行の礎を作った、1990年代の歴史的大転換

今回はまず、韓国ポップス史、つまり「K-POPがいかに世界を席巻したのか」という歴史を読者の皆さんにもぜひ知っていただきたいと思います。それはBTSが素晴らしいグループであることと同時に、「韓国エンタメ業界のビジネスモデルがいかに優れているか」というポイントを抑えることが重要だからです。

齋藤氏が作成した韓国現代ポップス年表

それまでの韓国は「トロット」と呼ばれる演歌・歌謡曲が強かったのですが、1992年にデビューした男性3人組のR&B〜ヒップホップグループの「ソテジワアイドゥル」が一世を風靡したことで韓国発ポップスの素地ができました。

もう一人の重要人物は音楽プロデューサーのキム・チャンファン。“韓国の小室哲哉”的な活躍を見せた人です。彼らが活躍した1990年代初頭は今よりも米軍基地の数も多く、クラブでアメリカのR&Bや、ユーロビートが大ヒットしていました。キム・チャンファンによるプロデュースでも特にヒットしたのが男性2人組ユニットのCLON、そして国民的歌手となったキム・ゴンモという男性シンガーソングライターです。

こうした流れの中で、シンガーソングライター、司会者、プロデューサー、実業家と多彩な活躍を見せ、「文化大統領」と呼ばれていたイ・スマンが1995年にSMエンターテインメントを立ち上げます(前身となるSM企画に遡ると1989年に創業)。日本で有名な所属アーティストは東方神起、BoA、少女時代、Super Juniorなどですね。

彼は男性グループのH.O.T.、女性グループのS.E.S.などをヒットさせ、1998年にS.E.S.を日本でも売り出そうと進出をかけるのですが、残念ながら失敗してしまいました。そこで「ちゃんと日本のエンタメ企業と組もう」ということになり、エイベックス、吉本興業とタッグを組んで日本法人(SMジャパン)を設立。そうして2000年代初頭にまず日本でヒットしたのがBoA、続いて東方神起という流れです。

また、1996年にはBIGBANGやBLACKPINKなどで有名なYGエンターテインメントが誕生。創業者はソテジワアイドゥルのメンバーだったヤン・ヒョンソクです。こちらは初期からアメリカのR&Bやヒップホップを強く意識した楽曲を発信していました。

さらにこの年には、後にNiziUや2PM、TWICEなどが所属するJYPエンターテインメントも創業されています。SM・YG・JYPの3社が韓国の芸能界を大きく引っ張っていく原動力となってくるわけです。日本でいうとジャニーズ、ホリプロ、アミューズが出揃ったという感じでしょうか。

JYPはSM・YGと比べて比較的オールドスクールな音楽性のアーティストが多く、初期に日本でもデビューしたアーティストとしては女性グループのWonder Girls、男性ソロアーティストのRain(ピ)などがいます。Wonder GirlsとRain(ピ)はいずれも全米ツアーを行っていたのですが、残念ながらいずれも大ヒットはできなかった。「失敗したのがダメだった」と言いたいのではなく、「チャレンジし諦めなかったことが今のヒットにつながっている」ということです。

今でこそ、YGが新人アーティストをデビューさせる、J.Y. Parkが動くなどとなると日本のレコード会社は「ぜひ当社で扱わせてください!」とお願いする立場になってしまっていますが、彼らは皆日本のプロダクションマネジメント、レコード会社システムを学んで大きくなってきたのです。こうした現状は日本人としてはやはり残念に思ってしまいます。

そしてようやくBTSが所属するBig Hit Entertainment(2021年にHYBEへ社名変更)」が登場するわけですが、設立は2005年で創業者のパン・シヒョクはJYPで作曲家・プロデューサーとして働いていた人間です。Big Hitが初期にやっていたのも、JYPアーティスト向けの楽曲制作でした。そこからBTSのデビュー前後の活躍については前回ご紹介した通りです。

次ページ:日本の大手芸能事務所との違い「積極的に投資を呼び込み規模拡大を図る」

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