CULTURE | 2020/02/03

“ハエの力”で人類を救う昆虫テック企業の挑戦 流郷綾乃(ムスカCEO)【連載】テック×カルチャー 異能なる星々(12)

過去の連載はこちら
加速する技術革新を背景に、テクノロジー/カルチャー/ビジネスの垣根を越え、イノベーションへの道を模...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

過去の連載はこちら

加速する技術革新を背景に、テクノロジー/カルチャー/ビジネスの垣根を越え、イノベーションへの道を模索する新時代の才能たち。これまでの常識を打ち破る一発逆転アイデアから、壮大なる社会変革の提言まで。彼らは何故リスクを冒してまで、前例のないゲームチェンジに挑むのか。進化の大爆発のごとく多様なビジョンを開花させ、時代の先端へと躍り出た“異能なる星々”にファインダーを定め、その息吹と人間像を伝える連載インタビュー。

食糧危機や気候変動を背景に、期待が高まるフードテック分野。人工肉や昆虫食への注目をよそに、旧ソ連由来のハエの技術で我が道を行く日本のベンチャーが急浮上を果たした。その名も昆虫テクノロジー企業「ムスカ」。代表を務めるのは、“虫嫌い”の非理系女子・流郷綾乃。

破滅へと突き進む不都合まみれの現代文明。転換のカギを握るのは、宇宙開発競争をきっかけに1200世代もの交配を重ねたイエバエたち。地球と人間、そして昆虫とのサスティナブルな関係を切り拓く、未来の選択肢がここにある。

聞き手・文:深沢慶太 写真:松島徹

流郷綾乃(りゅうごう・あやの)

undefined

株式会社ムスカ 代表取締役CEO。2児の母。1990年、兵庫県生まれ。高校卒業後、アロマセラピストを経てベンチャー企業で広報を務める。2015年、フリーランスの広報として独立し、スタートアップや大企業に対してブランディングからマーケティングまで一貫した広報戦略コンサルティングを提供する。2017年11月、広報戦略としてムスカに参画し、18年7月に代表取締役暫定CEOに就任。19年4月より現職を務める。

家畜のふん尿を “無限の資源” に変える、旧ソ連由来のハエの技術

—— 気候変動や人口爆発など、地球規模の問題が深刻化する中で、食肉産業が環境に及ぼす負荷を軽減するべく、植物由来の人工肉や、タンパク源として優れた特性を持つ昆虫食に注目が集まっています。その中でもムスカは身近な昆虫であるイエバエを使う一方で、いわゆる昆虫食ベンチャーとは一線を画した取り組みを展開していますね。

流郷:そうですね。私たちはイエバエの持つ力を活用することで、この地球上のゴミや食物の問題に対して新たなバイオマスのサイクルを作り出そうとしています。その点が食料として昆虫を扱う“昆虫食の会社”とは大きく違うところです。いわば、“昆虫テクノロジー企業”ですね。

事業内容についてごく簡単にご説明すると、牛や豚、鶏などの畜産の現場では膨大な量のふん尿が発生し、堆肥として再利用される一方で、処理し切れないものはゴミとして処理されたり、環境汚染の問題を引き起こしてきました。この有機廃棄物の中に、旧ソ連から私たちが受け継いだ“サラブレッド化したイエバエ”の卵を置きます。卵は8時間程度で孵化し、生まれた幼虫は体全体で栄養素を吸収して、1週間で有機物を分解します。この分解されたふんが、極めて良質な肥料になる。また、育った幼虫自体も家畜の飼料として丸ごと活用することで、100パーセントのバイオマスリサイクルシステムを提供するというものです。ちなみに社名は、イエバエの学名「ムスカ・ドメスティカ」からの命名です。 

ムスカのイエバエ技術で生産された肥料ペレット(左)と飼料(右)。12月に開催された関係者向けの試食会にて。

——つまり、優良種の選別交配されたイエバエによって、農業用の肥料と畜産及び養殖用の飼料という2種類の資源をゴミから作り出すわけですね。その肥料と飼料には、どんな特長がありますか。

流郷:例えば肥料には、宮崎大学との共同研究で土壌の改善効果や病原菌の抑制効果、収穫量の増加などのエビデンスが出ています。まだ実証段階ですが協力農家からは、お米やトマト、キュウリ、イチゴなど、病気に強い、収穫量の増加などの良いフィードバックが返ってきており、人間の腸にビフィズス菌がよい働きをもたらすように、土の中にいる菌類のバランスを整えてくれる作用があると言われています。

また飼料ですが、こちらも従来の家畜用のエサと比べて鶏や魚の食いつきがよく、病気に強くなるなどの効果が愛媛大学との共同研究で発見されました。肥料はそのまま、あるいはペレットとして、飼料はボイルしたり、乾燥させたりして提供します。

1200世代を経た “サラブレッド化したハエ” にできること

—— そうした効果を生み出しているのが、独自の“サラブレッド化したイエバエ”ということですが、そもそもどんな能力を備えたハエなのでしょう?

流郷:一言でいえば、50年以上もの間、1200世代にわたって交配を繰り返すことで、過密空間での飼育に耐えることが可能となり、効率的にゴミを分解する能力を獲得したイエバエです。私たちが満員電車でストレスを感じるように、ハエも密度が高い環境では孵化しにくかったり、発育が悪かったり、死んでしまったりします。ではなぜ、過密空間でも大きく育つイエバエを作り出したかというと、それは旧ソ連の宇宙開発にルーツがあります。火星への有人飛行を計画する中で、往復で4年間もの間、宇宙飛行士の食料や排泄物をどうするか。狭い居住空間の中で資源を循環させるために、成長が極めて早く、排泄物などの有機物を最も効率的に循環させられる生物として選ばれたのがイエバエだった、ということです。

—— そのように優れた特性を持つ旧ソ連の交配イエバエを世界で唯一、受け継いだのがムスカというわけですね。

流郷:そうです。ハエたちをノウハウと一緒に受け継いだ、というところですね。経緯としては、1991年にソ連が崩壊したことで、多くの研究者たちが職を失いました。その際に売りに出された技術の中から、ムスカの前身となる株式会社フィールドの創業者・小林一年がイエバエの技術を買い付けてきたと聞いています。小林は宮崎を拠点にロシアの技術商社を営んでおり、さまざまな技術を扱う中で、安心安全な食べ物を次世代へ届けたいという想いから、イエバエについては自分で守り育てていく道を選択したようです。その意志をムスカの創業者で現・取締役会長の串間充崇が受け継ぎ、この事業に特化した会社を設立して成分の分析や安全性の実証を重ね、ようやく商業化できる目処が立ったというわけです。

試食会に先だって開催された、協力生産農家とのパネルディスカッションにて。右から、ムスカ創業者で代表取締役会長の串間充崇、農業研究家の白木原康則氏、遊士屋共同創業者・代表取締役の宮澤大樹氏、祝子(ほうり)農園園主の松田宗史氏。

—— なるほど。一方で、現状の社会では畜産ふん尿はどのように処理されているのでしょうか? ふん尿は温室効果ガスの大きな発生源の一つですし、適正に処理されないことで、土壌や水などを汚染している状況も無視できないと聞いています。

流郷:バイオマス発電やバイオマスガスに利用されることもありますが、日本での堆肥処理は微生物の発酵処理が中心です。これは畜ふんを広い土地に広げて空気にさらす方法で、堆肥化には短くても2〜3カ月かかる上、臭いなどが大きな問題になる。手間やコストがかかるだけに、先進国でも野積みにされるケースが後を絶たない状況を生んでいます。

これに対してイエバエを使うメリットは、まず処理スピードが違います。同じような例では家庭用コンポストに使われるミミズが有名ですが、イエバエには幼虫からサナギになる時に土から外に這い出てくる習性があるため、肥料と幼虫を自然に分離することができる。有機廃棄物を環境に負担をかけずに新たな資源として活用でき、しかも非常に効率的なこと、ここが大きなポイントです。

イエバエの飼育室にて、サナギになるために這い出てきた幼虫たち。(写真提供:ムスカ)

“虫嫌い” の非理系女子が、昆虫テック企業のCEOに!?

—— ところで素朴な疑問なのですが、流郷さんはなぜ、ムスカへ入社されたんでしょうか? 虫が大好きだった……わけではなく、むしろ大嫌いだったそうですが……!

流郷:虫は嫌いです(笑)。でもこの仕事を始めて、大きな魅力があることに気付きました。私は元々フリーランスのPRをやっていたんですが、「ハエの会社のPRをやってくれないか」という相談が来たんです。最初は「一体何を言ってるんだ!?」と思いましたが、ハエのイメージが余りにも悪いので困っていると。でも話を聞いてみて、すごく面白い事業だと感じたんです。

私が仕事を選ぶ基準は、「自分の子どもが80歳になった時に、面白い事業かどうか」。その意味でムスカのイエバエ事業はとても面白く、社会の役に立つはずだと確信しました。それで、この可能性を人々に伝え広めていく橋渡しができるのであればと思い、17年秋に広報責任者兼執行役員として参画したわけです。

ところが……それからすぐに当時社長だった串間から「代表になってほしい」と打診され、最初は断りましたが串間いわく、「ハエはすごい!」という熱意をアピールするだけでは伝わらない。そうではなく、一歩引いた目線で事業の可能性を広げてほしい、と。その気持ちに押されて、「暫定CEO」ということで引き受けることにしました。18年4月のことですね。

—— そのまま1年後の19年4月には「暫定」が取れて、CEOに就任されましたね。ついに腹をくくったということでしょうか?

流郷:代表取締役であることは暫定の時から変わりませんので、ある意味、腹をくくったのはそれを引き受けた時のことですね。この技術をいかに早くスケールさせて社会へ還元できるかを考えると、ムスカは今、事業の可能性をより多くの人に伝えていくステージにあります。であれば、私がその任に当たるのは理に適っているなと考えたんです。ですから今後、プラントとサプライチェーンが構築されてビジネスモデルが回っていくステージに入った時は、しかるべき人にCEOを担ってもらう心づもりです。私が責任を持って、そこまで持っていきます。

試食会に先だって開催された説明会にて、養鶏牧場で飼育されているヒナ鶏たちを例に、自社飼料への食いつきの良さを語る流郷CEO。

昆虫という “未利用資源” から、地球の未来を考える

—— この技術が普及すれば、畜産を含む世界的な食糧生産が環境に及ぼす影響を軽減できるなど、連鎖的に大きな変化につながりそうですね。さまざまな効果が考えられますが、この技術を使うことで世の中をどう変えていけると考えていますか。

流郷:変えられるところがいろいろありすぎて、説明に困るくらい(笑)。かいつまんでお話しすると、世界人口が爆発的に増えていく中で、中産層が増えることで食肉の需要も一気に高まると言われています。この需要を賄うためにはそれを遙かに上回る量のエサを供給する必要がありますが、豚肉1kgを生産するには6kg、牛なら1kgあたり11kgのエサが必要になり、その穀物用に多くの農地を割かなければならないなど、食糧難や熱帯雨林の伐採といったさらなる問題が引き起こされていく。であればいっそのこと、畜産をやめて動物性タンパク源を昆虫や培養肉で賄おうという風潮が出てきていますが、でも私自身は母親として、未来の食の選択肢を奪うべきではないと思うんです。持続可能な形で肉も魚も育てて、その上で昆虫や培養肉も選択できる未来を子どもたちに残したいと思うし、その前にできることがまだたくさんあるはずですから。

例えば、畜産ふん尿だけでなくフードロスによる有機廃棄物も、実は貴重な資源になる。そのためにハエを使うというと、今はまだ抵抗がある方がほとんどだと思います。それはハエが地球上でどんな役割を担ってきたのかを知らないから。ハエやその幼虫などの仲間は今から約4億年前に出現して以来、ずっと有機物を分解し続けることで、生態系を支えてきました。その役割に対するリスペクトを、今を生きる人たちや子どもたちに伝えなければならない。その意味でも、この事業を少しでも早く世界のマーケットで展開して、新しい形のバイオマスリサイクル産業を築いていかなければならないと考えています。

試食会では、生産協力農家がムスカの飼料・肥料を用いて生産した地鶏や米、野菜、果物などが振る舞われた。いずれの作物も耐病性や収量に優れ、風味の点でも従来農法に勝るという評価を集めている。

—— ハエという生物資源を活用することで食糧危機と環境問題の両方に立ち向かいながら、持続可能な社会のあり方を問いかけていく。人類全体のサスティナブルな意識変革につながる、壮大な取り組みですね。

流郷:はい。私が考えているのは「サスティナブルなフードって何だろう」ということ。その発想の下に、既存のやり方では地球と共創するには無理があった仕組みを見直して、食や社会のインフラを再構築していきたい。地球上の総生物量のわずか0.01%に過ぎない人類が半数以上の生物種を絶滅させるなど、やりたい放題やってきて「地球はもうダメだから火星に行こうぜ」って、ちょっと違うんじゃない? と思いますからね。だからこそ、昆虫という未利用資源を使わせてもらうことで、持続可能な地球環境を作っていく必要があると思うんです。

—— あれ? いつの間にかすっかり虫のとりこに……!

流郷:いや、今でも虫は嫌ですよ(笑)。でもうちのハエは小さいし、家畜化されていてきれいだから、触っても大丈夫。海外ではブラックソルジャーフライ(アメリカミズアブ)という大ぶりなハエを活用する研究なども進んでいますが、イエバエは名前も弱そうだし、センシティブで見た目は劣るけれど、本当に優秀な子なんです。だから「ハエって、ちょっといいやつじゃん」と思ってもらえたら、嬉しいですね。


過去の連載はこちら