BUSINESS | 2024/06/21

日本の紙の歴史(1) 中国大陸から福井、滋賀、京都、そして奈良へ。 独自の進化を遂げた日本の紙

連載:「Paper Knowledge -デジタル時代の“紙のみかた”-」
“令和の紙の申し子”吉川聡一と紙について考える。

吉川 聡一
吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line
吉川 聡一 (よしかわ そういち)
吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員

1987年東京生まれ。学習院大学卒業後、飛び込み営業を含む営業職の期間を2年半経て、現在の吉川紙商事に入社。現社長・吉川正悟が掲げる「人と紙が出合い、人と人が出会う」を実現するため、同社にて平成25年より取締役を務める。2017年にはオリジナルブランドの「NEUE GRAY」を、2020年には和紙のオリジナルブランド「#wakami」をプロデュースし、紙、ステーショナリーの双方を発売。現在はそれらを国内外にて販売するという形で活躍を続ける。

先日、YouTubeの撮影のため、海外からのお客様を和紙の発祥地と言われている福井県の越前市にご案内させて頂きました。私がプロデュースをしている「#wakami」という和紙をベースにして作ったステーショナリーを、海外で販売するための動画の撮影だったので、当然ながら私が撮影工程を決めてご案内したのですが、なぜか、案内した私の方が彼女たちから多くのことを教えてもらう時間になりました。

プロデュースを務めるオリジナル和紙ブランド「#wakami」

そもそも、この「#wakami」というステーショナリーは「触れる。学ぶ。楽しむ。」のコンセプトのもと、現代では触れる事は少なくなってしまった「和紙」の世界にもう一度、多くの人に触れてほしいと言う思いでプロデュースしたステーショナリーです。商品コンセプトの中に日本の紙の成り立ちや、それにまつわるストーリーがたくさん盛り込まれていますので、撮影の内容も、撮影地も、そしてその場で行われる会話も、極めて多くが「日本の紙の歴史」にまつわるものとなりました。

今回は、この「日本の紙の歴史」について書こうと思いますが、非常に長く情報量の多い内容になりますので、ここから4回に渡って紹介させて頂ければと思います。

古来中国文明からさまざまな技術が伝承されてきた福井県

紙は紀元前頃の中国にて、発明されたと言われております。基となったのは、麻布の衣服。その衣服の繊維が解け、固まったものが「最初の紙」となったそうです。日本に最初に紙が渡って来たのは1世紀中頃。「論語」を記した書物が日本に送られたのが始まりだったそうです。その後、2世紀頃に弓月君をはじめとした秦族によって、今度は製紙技術が日本に上陸します。

実はこの秦族は、当時の世界最高の技術者集団。製紙技術もその中の1つであったのですが、他にも鍍金加工や織物などの技術も彼らが製紙技術と共に日本に運んできました。そして、この中国大陸より渡来した秦族が最初に辿り着いた場所が、福井県だったと言われています。これは竹村公太郎先生の『日本史の謎は「地形」で解ける』という本の中にも記載されていますが、中国大陸から日本列島へ向けて出発した船は、海流の関係により自然と福井県に流れ着くようになっているそうです。

到着後、秦族は早速現在の福井県にて自分たちの持ってきた技術を生かせるかどうかの調査を開始。幸いにも福井県には、お米やお酒や海産物に加え、和紙を作るために必要な軟水、刀を作る上で必要な砂鉄、刀の鞘に必要な漆や和紙の原料となる木々…などの自然の資源が多く存在したため、彼らはこの地に持って来た技術をすぐに伝承すること出来たとのこと。

自然の資源に恵まれた福井県
和紙を作るために必要な軟水

古来中国文明にて発明され、その後日本に伝わることとなった、紙や漆器、打刃物、織物、箪笥などの産業が福井県に定着しているのは、ここから来ていると言えるでしょう。余談にはなりますが、2024年3月に東京から福井までの新幹線も開通しましたので、もしご興味のある方は、是非、これらの産業に触れる為に福井に行ってみるのも面白いと思います。実際、私自身も10年ほど前から仕事の関係で福井県に行くことが多くなり、これらの歴史を現地で教えてもらう度に、学校では習わなかった歴史を学ぶことができ、楽しみが増えています。

例えば、私たちが普段何気なく飲んでいる水が、世界でも有数な貴重な資源である…と知った時は、いかに「当たり前」と思っているものが「驚くほど高いレベル」であったのか気付かされ、これまでの物の見方を考えさせられる場面に遭遇します。

紙を作る原料となる木々
今も行われている古来中国から伝わった製紙技術

「人に情報を伝える媒体」として日本独自の進化を遂げる

少し脱線してしまった話を、歴史の方に戻します。
福井県越前市で始まった製紙産業はその後、滋賀県に下り、琵琶湖を船で横断した後に京都、そして日本で最初の都が存在することになる奈良へと伝わっていきます。

奈良に到着した紙は、ここから日本独自の進化を遂げることになります。その理由は主に2つです。1つ目は環境の変化に伴い、紙の使用目的が増加していったこと。2つ目は日本という国が軟水や多種に渡る木々、そしてそれらを育む四季…といった「世界有数の自然資源」を持っている国であったことです。時代背景に沿って、1つずつお話させて頂きます。

1つ目の紙の使用目的の変化。これには、「飛鳥時代から政治が行われるようになったこと」と「写経が普及したこと」が大きく関係してきます。第1回目のコラムにも記載させて頂きましたように、紙というのはこの世に誕生してから現在までの約1,500年以上の間、「人に情報を伝える媒体」として存在してきました。日本に最初に伝わってきた紙が「論語」を記したものであったことからもわかるように、この「人に情報を伝える媒体」はいわば「経典」としての役割がメイン、つまりその時代や先人たちの考えを後世に伝えるための「記録媒体」としての役割を紙は担っていました。そのため、最も大きな機能としては「保存性」。当然ながら、紙自体の数量もさほど多く必要ではありませんでした。

百万塔陀羅尼の写経、この経文が世界最古の印刷物…とも言われている。
百万塔陀羅尼とは、奈良時代も終わりに近い天平宝字8(764)年、時の天皇であった孝謙天皇(後に称徳天皇)が国家安泰を願い、延命や除災を願う経文「無垢浄光陀羅尼経」を100万枚印刷させ、同時に作らせた木製の三重小塔100万基の中に納めて、法隆寺や東大寺など十大寺に分置したものだ。

しかし、奈良に都ができ、国を統治するために政治が行われるようになると、大宝律令をはじめとした「法律」が作られるようになります。この法律は主に税の徴収を目的としたものだったため、多くの国民に「即時に」「より広い範囲で」法律を伝えなくてはなりませんでした。そこで使われたのが「軽く」て「持ち運びが可能」という機能を持った紙でした。今で言えば、スマートフォンと同じような媒体が、TVや新聞などのメディアの役割を担ったわけです。

このような役割を担っている紙はこの時代から明治時代に至るまで、ずっと「御奉納品」として扱われてきました。そのため、政府にとっては「複製し易い」存在でしたが、一般庶民には「複製しにくい」商品であった…というのも、紙が使われた理由として付け加えられるのかもしれません。当然ながら、「先人たちの教え」がなくなったわけではありませんが、それらをはるかに凌ぐ量の紙がこの時代に必要となりました。それが結果的に日本全国に「紙漉き」と呼ばれる製紙技術が広がっていくことになるとは、まだこの時には誰も考えてはいなかったと思いますが…。

仏教の普及や政治において、“紙”が果たしてきた重要な役割

そして、もう1つ。この時代に紙が必要となる出来事が発生します。仏教の広まりです。当時、仏教は国の安全と繁栄を守るものとして信仰されており、多くの自然災害や疫病が流行ったこの時代において、仏教は政治と深く結びついていました。皆さんの知るところでは、当時の疫病を鎮める為に、東大寺に大仏が建立されたのは有名な話です。なんだか、この数年間、パンデミックや大地震に見舞われている我々の身にも当てはまりそうな時代背景に感じるのは、私だけではないと思いますが…。

疫病を鎮める為に建立されたという東大寺の大仏

仏教を広めるにあたり、伝達方法として取られていたのが「写経」でした。実際、この時代、多くのお寺が建てられ、多くの僧がお寺にて修行をされたそうですが、彼らが修行するために必要だったもの、それが書き写されたお経でした。そして、まさにこの書き写すための道具こそ、紙だったのです。

また、この時代のお寺は国を統治するための役所の役割も兼ねていたようです。実際にこの時代に、奈良の東大寺には「図書寮」という、宮中の仏事を行う所が設けられ、その中に「紙屋院」という製紙工場が作られています。この工場で作っていたのは、「公文用紙」と「写経用紙」でした。いかに政府が力を入れて、お寺で使うための紙を作っていたのか、分かる気がします。

随分と長い説明にはなってしまいましたが、こうして奈良の都にて、「通信手段のための媒体」や「政府による複製」としての使用目的が増えていった日本の紙は、この後の時代においてさらなる独自の進化を遂げていくこととなります。それを可能にしたのは、進化の理由2に挙げた「世界有数の自然資源を持っている国であった」ことなのですが…。

それについては、また次のコラムで記載させて頂ければ幸いです。


「紙は文化のバロメーター」 
DX時代のいま、 “令和の紙の申し子” 吉川聡一と紙について考える。


吉川紙商事株式会社