BUSINESS | 2024/05/10

「紙は文化のバロメーター」 DX時代のいま、 “令和の紙の申し子” 吉川聡一と紙について考える。

「Paper Knowledge -デジタル時代の “紙のみかた”-」

吉川 聡一
吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員

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吉川 聡一 (よしかわ そういち)

吉川紙商事株式会社 常務取締役執行役員

1987年東京生まれ。学習院大学卒業後、飛び込み営業を含む営業職の期間を2年半経て、現在の吉川紙商事に入社。現社長・吉川正悟が掲げる「人と紙が出合い、人と人が出会う」を実現するため、同社にて平成25年より取締役を務める。2017年にはオリジナルブランドの「NEUE GRAY」を、2020年には和紙のオリジナルブランド「#wakami」をプロデュースし、紙、ステーショナリーの双方を発売。現在はそれらを国内外にて販売するという形で活躍を続ける。

紙について考えてみませんか?

こんにちは。私は吉川紙商事の吉川聡一と申します。東京・日本橋を拠点にいわゆる「紙屋」と呼ばれる仕事を行なっている人間になります。これから、年間を通して、この場所にてコラムを書かせて頂くことになりましたので、何卒宜しくお願い致します。

私は現在、吉川紙商事株式会社という会社に勤めております。この会社は私の曽祖父にあたります吉川四郎が明治42年に創業し、現社長である吉川正悟に至るまで、代々続けてきた会社になります。創業当初は吉川四郎商店という名にて、長野県飯田市より和紙を仕入れて始め、その後は高知をはじめとした日本各地から和紙を仕入れて生計を立てて参りました。太平洋戦争や終戦後の和紙が売買できない期間は、紙と同じ計算方法を用いられるという理由から練炭を仕入れて販売を行ったり、国内需要が和紙よりも現在我々が使うような西洋の紙をモデルに作られた洋紙に扱い比率が変わってきた為、和紙から洋紙に販売軸をシフトする…などの変化を繰り返しながら、紙と共に115年間、生きてきた紙の専門商社になります。そして、現在は、印刷会社や紙加工会社に紙を卸させて頂く商売をする傍ら、NEUE GRAYや#wakamiといった、オリジナル用紙の開発、そして、それらの紙を使ったステーショナリーの開発・販売を行わせて頂いております。この辺については、また別のタイミングにて触れさせて頂ければ幸いです。

創業当初の写真-明治42年に創業した吉川四郎商店

「Z世代」「デジタルネイティブ」の“紙の見方”

そんな弊社も、この4月に新しいスタッフを迎えました。私はこの数年間、このスタッフの採用面接に携わっているのですが、この時間が実は、私にとっては大いに学びを得られる大切な時間の一つです。その理由は、主に2つ。

1つは、彼らや彼女たちは、「Z世代」で「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代であること。生まれた頃から自宅にPCがあり、両親も携帯電話を持っているのが当たり前。さらには、インターネットが普及し、それが携帯電話で使えるようになり、情報をいつでもどこでも簡単に調べることが可能になったのも、メールという「文字のコミュニケーション」が即座にできるようになったのも、ちょうどこの世代が生まれてくる直前の出来事です。おそらく、携帯電話にカメラが付いて、いつでもどこでもカメラを持ち歩き、自分の現在の様子を「写真」という「絵」で表現できるようになったのも、この頃だと思いますが・・。このように、時代がいわゆる現在の「デジタル社会」に変化していく中で生まれてきた彼らたちですので、本人たちももれなく自宅にトイレットペーパー、ティッシュペーパー以外の紙が存在せず、学校でもPCやタブレットを使った授業が行われ、家族や友達とSNSを使ったコミニケーションを取る…。そんな生活環境で育っています。このような環境であれば当然、現在よりさらなる「紙離れ」が進むと考えるのですが…。

「面接」という特殊空間ではあるものの、彼らと話をしてみると、「これまで」の世代とは「紙」に対しての見方がまるで違うことに気付かされます。例えば、「LINEなどのSNSは毎回、同じ場所に同じフォントで、文字が入力されていく。『簡単で見やすい』という意味ではとてもありがたいが、ずっと使用していると飽きがくる。その点、紙はそのもの自体に違いがある上に、毎回同じ場所に同じようには書けない。文字もペンの種類によって違いが出てしまうので、逆に面白い」と教えられたり、「モニターに疲れたから、紙に戻って疲労の軽減しています!」と言われたり…。私も現在36歳ですが、このような感覚は一度も持ち合わせたことはなかったので、彼女たちのこの見方は新鮮そのものでした。

2つ目は、「自分にとって紙とはどのような存在か?」ということを考え、言葉にしていること。現在の世の中において、「紙」という言葉を聞いて、「良いイメージ」を抱く人はそれほど多くはありません。少なからず、「時代遅れのもの」「かさばるので、邪魔なもの」「環境に良くないもの」「使わないもの」といった表現をすれば、業界の人間としては残念ですが、首を縦に振る人が多いのが事実です。実際に私も、カバンの中にある紙といえば名刺とノートぐらいのもので、資料はほとんど持ち歩かず、ノートPCやタブレットを持ち歩いているのが実情です。人によってはこれに手帳が加わったたり、私も出張などの際にはここに移動中に読む本が何冊か加わってくることはありますが、業界の人間である私でさえこんな状態なので、ある程度「電子化」と呼ばれる紙の需要の減少は致し方ないのかな?と思っています。

それどころか、私は実はこの「紙需要の減少」という言葉すら怪しい…と思っているのが本音です。「本当に紙の需要は減ったのか?」そうではなくて、本当は「これまでに紙は必要以上に使われすぎていたのではないか?」。

そんな風に私は考えています。1970年から1990年代にかけて、日本でいえば戦後の高度経済成長期からバブル崩壊後の時期にあたるこの時期に、「メディア」と呼ばれる新聞・雑誌・広告の3業界は爆発的に飛躍したことは多くの方が知るところと思います。そして、この3つの業界が日本だけでなく世界的に伸びたのに合わせて、紙の使用量は爆発的に伸びました。ではなぜ、この3業界に合わせて紙の使用量が伸びたのか?

その理由は「紙が人に情報を伝える媒体」であったからです。紙の歴史、特に和紙の歴史については、今後のコラムにて詳しく触れようと思っているので本編では簡単に記載させて頂きますが、紙は約1,500年前にこの世に登場して以来、本日までずっと「人に情報を伝える」という役割を担ってきました。私たちの身近な所でも、手紙やメモ、メッセージカードなどを思い浮かべれば現在もその使われ方は容易に想像できると思います。新聞・出版・広告が人に情報を伝える際に使用した媒体の多くが紙であったこの時代は、現在のように、インターネットが発達していませんでした。紙と固定電話しかなかった時代、場所を選ばず、持ち運びが出来る情報端末は紙だけだったので、そのように使われたのも納得のいくところです。しかし、この「爆発的に伸びた需要」こそが、残念ながら「大量生産」「大量消費」というものを生み出し、紙という存在を「単価の安い」「消耗品」に変えてしまったのだと、私は思っています。

そして現在。この「大量消費の消耗品」となってしまった紙は、スマートフォンの登場とともに「電子」にとって変わられるようになってしまった・・。それが実態だと思います。

だからこそ、冒頭に記載した「デジタル世代」の「紙の見方」は、私に大いなる学びと気付きを与えてくれます。同時に、「自分にとって紙とは?」と考えていることに驚きを隠せません。上記でも記載した通り、「紙」という存在は既に「大量消費の消耗品」と扱われることが多いのが実態です。当然ながら、「大量消費の消耗品」について、人が生活をしていく中で考える・・なんてことは、ほぼ皆無でしょう。実際に現在も、ただ一言で「紙」と表現しても、人々の生活の衛生面を守るトイレットペーパーやティッシュペーパーや、電子回路を遮断し電気を流させないようにする絶縁紙、壁の装飾に使われる壁紙・・など、機能を持ち、電子化の波に流されない紙は多く存在します。しかしながら、それらを生活の中で「紙」だと意図的に認識している人は多くないのではないでしょうか?

「紙は文化のバロメーター」

この言葉はかつて、紙の使用量が多い国は、文化レベルが高いということを指し示した言葉になります。これまで多くの文化がこの国で生まれ、現在に至るまで育まれてきました。そして、その中の多くの場面にて「紙」が使われてきました。書く道具として、包み紙として、障子や襖などのインテリアとして、時には傘や凧として・・。日本の文化には常に紙がついてまわってきたのです。

デジタル時代になった現在。
当たり前すぎて、考えることもなくなっている「紙」という存在を、今こそ考え直してみませんか?

デジタル時代の「紙」の存在を考える

吉川紙商事株式会社