LIFE STYLE | 2022/09/05

天才ハッカー、バニー・ファンを追いかけ40代半ばで深圳に移住。「中年のキャリア危機」を脱出し「オープンハードウェアおじさん」として食えるようになった話

2017年、書籍『ハードウェアハッカー』を出版したばかりのバニー・ファン(左)と筆者。シンガポールにて
【連載】高須正...

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『ハードウェアハッカー』と自分の転職

僕はバニーと同年代だ。年齢で言えば一つ上。40代の半ば、2017年から一年あまりにわたって『ハードウェアハッカー』の日本語訳作業を続けていたが、そのころがちょうど自分にとっても「中年の危機」だった。

僕はもともと有名なテクノロジー企業に勤めており、ちょうどその頃は2007年あたりから盛り上がったハードウェアについての技術の民主化、「メイカームーブメント」への期待がすごく大きくなっていた時期でもあった。

元WIRED編集長のクリス・アンダーソンが、3Dプリンタなどを通じて誰もがより自由にものづくりを楽しめるようになったと説いた書籍『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』(2012年)は当時日本でも話題を呼んでいた。

自分は様々メイカーフェアに参加しながら、仕事以外の時間は、だいたい世界中のイベントに出かけ、さまざまなメイカー、DIY発明家たちと協力してたくさんのプロジェクトを進めていた。1カ月ほど休暇を取って、中国の深圳でずっとイベントの運営をしていたこともあった。

日本でもニコニコ動画をプラットフォームとして,様々な人が自分の工作を動画でシェアして楽しむ「ニコニコ技術部」という活動が盛り上がった。多くの国でメイカームーブメントはスタートアップ、経済や産業への期待だった中、創作や表現の一部と捉えて学生も社会人エンジニアも自分の時間で参加しているニコニコ技術部のようなムーブメントは独自性があり、僕にはどちらも魅力的だった。なので、自分も世界の様々なDIY活動にコミットして日本に紹介しつつ、ニコニコ技術部など日本のDIY活動を海外に伝えて交流する活動を行っていた。

そういう活動のおかげで「オープンなハードウェア、メイカーフェアおじさん」として世界中に友達ができてますます楽しくなってきたのだけれど、ハードウェアでビジネスをしていたわけではなく、メイカーフェアおじさんも基本はボランタリーな活動なので、それで食べていけるようになるとも思っていなかった。一方で当時の勤務先も総社員数が50人程度だった入社当時から400人以上に急成長していて、レポーティングや組織体制といった社員管理のやり方も変わり、そんなにスキルもない自分としては、どうやって働いていけばいいのか困るようになってきた。

「うーん、人生袋小路だなあ、どうしようかなあ?」と悩んでいたところ、2017年にオープンハードウェアの販売を仕事にしている日本のスイッチサイエンス社から、「いろんな国のメイカーたちと仲良くする活動してほしい」というオファーを貰った。

自分自身でもうまく説明できないスキルやネットワークである「オープンなハードウェア、メイカーフェアおじさん」に対して、給与が発生するようになった。転職して、オープンハードウェアの中心地である深圳で生活することにした。

“勢い”は動き始めるとやってくる

2018年のメイカーフェア深圳、バニー・ファン(中央)と筆者。僕はこの頃から深圳に定住している

入社後しばらくはどこの収益に貢献しているかわからない、ふわっとした業務ばかりだったものの、動き始めるとベクトル(方向性を持った力)が発生し、勢いがついてくる。今では海外のネットワークの中で見つかった製品のいくつかが、会社の主力製品になってきている。

「日本に向けてオープンハードウェアの商売をしていますよ」という役割が身についたことで、いくつか深圳のVCから顧問やフェローとしての仕事をしてくれという依頼も増え、収入面でも豊かになった。「オープンなハードウェア、技術を中心にしたコミュニティづくり」という軸の中であれば、仕事が増えてもコントロールしやすいし、相乗効果も生みやすい。バニー・ファンがスタートアップの顧問と自分のハードウェアづくりを並行しているのも、お互い相乗効果があるからだろう。軸があると、ボランタリーな活動も、回り回ってなにかに活きるようになりやすい。

面白いかつまらないか、先に手を動かせるかどうか。

アメリカで生まれ育ち、中国語がダメなバニー・ファンが深圳で何年も仕事ができたのは、彼が「深圳で小ロットハードウェア製造ができる仕組みを知りたい」と願い、中国の小企業に飛び込んで手を動かし続けてきたからだ。彼が深圳で暮らし始めた2006年、そういう知識の分野があること自体、中国人含めてほとんど注目されていなかった。

Chumby以降の彼もずっと、「自分がおもしろがれるかどうか」に真面目に向き合ってきた。インタビューでも、何度もVCからの資金調達によって意思決定がしづらくなることへの警句を口にしている。ブログは一貫して書いているが、それも他人に見せるためというよりも書き続けることで自分の思考をまとめるためと語っている。

さまざまな決定を、自分の好奇心ベースで行えて、そのためにはお金も時間もかけてリスクを取れるのがバニー・ファンのユニークさを生んでいる。手を付けた時点ではリターンが見えず、かつ世間が注目しないマイナーなテーマでも、最終的にまとまると、別の仕事に結びつくことはある。だから、結果やゴールでなく好奇心になるべく忠実であることは意味がある。

こうした考え方や価値観でも、僕はバニー・ファンから大きな影響を受けている。

スティーブ・ジョブズもスタンフォード大学で「Stay Hungry. Stay Foolish」と語った有名なスピーチで「全く異なる点としての活動が、いずれ思わぬかたちでつながってくる」と語っている。人生の選択肢が増えてきて、複数の仕事をプロジェクト的に渡り歩くキャリアが増えている今、自分の好奇心をベースに新しいことを始めることは、もっと普遍的なものになるかもしれない。


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