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阿曽山大噴火
芸人/裁判ウォッチャー
月曜日から金曜日の9時~5時で、裁判所に定期券で通う、裁判傍聴のプロ。裁判ウォッチャーとして、テレビ、ラジオのレギュラーや、雑誌、ウェブサイトでの連載を持つ。パチスロもすでにプロの域に達している。また、ファッションにも独自のポリシーを持ち、“男のスカート”にこだわっている。
※編集部注:本連載は被告人の名前をすべて本名と関連しないアルファベット表記(Aから順に使用し、Zまで到達した際は再びAに戻して表記)で掲載しております
ベテラン摺師はなぜ超有名作家の版画を無断複製した?
罪名 著作権法違反
H被告人 版画工房経営の男性(67)
起訴されたのは、2017年1月~2018年12月の間、元画商のI被告人と共謀して、日本でも有数の有名画家・版画家、東山魁夷の代表作のひとつである『白馬の森』など5作品・計7枚の版画を著作権者の許諾を受けないで複製したという内容。
この事件は去年の9月に逮捕されたと大きく報じられました。H被告人と一緒に逮捕されたI被告人の方は、今年3月に懲役3年執行猶予4年と罰金200万円の判決が言い渡されています。I被告人の裁判が終わって3カ月以上経ってからH被告人の初公判が行われたのです。
罪状認否でH被告人は
H被告人「Iさんと共謀を企てたわけではありません。ただ、確かにIさんから依頼を受けて制作したのは間違いありません」
と共謀はしていないと一部否認です。これに続けて
弁護人「“著作権者の許諾を受けないで…”の部分が、未必にとどまると主張します」
と、これまた一部否認。はっきりと許諾を受けてないと知らなかったけど、知ってたようなもんですよという主張になります。
検察官の冒頭陳述によると、H被告人は高校を卒業後に版画学校で版画を学び、版画会社で修業をし、1985年に奈良県内に版画工房を設立。ずっと版画一筋で生きてきた摺師(すりし:版画の制作において印刷の工程を行う職人)ということです。
前科前歴はなく、今回が初めての逮捕・裁判だそうです。
2007年12月に画商のI被告人と知り合い、版画の修復依頼を受けたH被告人。なんと、修復作業に失敗。H被告人が謝罪に行くと、失敗はしているものの手際がよくて、ほかの業者よりも安いことにI被告人は驚いたらしい。
2008年7月にはH被告人がI被告人から有名な版画を刷ってほしいという依頼を受けるようになり、何度も制作していたそうです。
そして2020年の11月。I被告人から「逮捕されるかも」と言われ、12月に警察の捜査を受けて、2021年9月に逮捕されたというのが事件の流れになります。
修業時代をともにした証人の摺師が語る業界構造
続いて、一部否認しているので弁護人の冒頭陳述です。
弁護人の言い分をまとめると、本件は画商が摺師に依頼をして、H被告人はいつものようにお金を貰い、いつものように最高の技術で版画を制作した事件。著作権の許諾には疑念を持っていたけど、H被告人は作ることに専念していたという主張です。
個人的に版画の知識がほぼゼロなので、勝手にニセモノを作っちゃったという事件であるのは理解できても、謎だらけなんですよね。そんな私のような素人の疑問を払拭してくれる人物が証人としてやって来ました。それはH被告人と修業時代をともにした摺師です。
弁護人「H被告人との関係は?」
証人「美術専門学校後、神奈川県の版画工房で一緒に働いてました」
弁護人「どれくらい前の話ですか?」
証人「40年前とかになります」
弁護人「仕事ぶりはいかがでしたか?」
証人「情熱と探究心は人一倍ありまして、私も影響を受けていました」
弁護人「お二人の技術はどんなもんなんでしょう?」
証人「工房の親方の技術を研鑽して凌駕したと自負しております。自画自賛になりますが、他の工房より勝ったなと」
その後独立するだけあって優秀だったんでしょう。
弁護人「その後お二人とも独立されて。摺師についてお訊きしますが、版画工房には誰から依頼があるんですか?」
証人「出版社やデパートの美術商さん。銀座などの画廊ですね」
弁護人「依頼主との関係性はどうなんですか?」
証人「昔から封建的です。一方的に製作費が決められますのでその中でやっていました」
摺師より依頼する方が偉いって感じなんですかね。金銭的にも文句は言えないようです。
弁護人「著作権に関しての説明は?」
証人「修業時代も独立してからも話した記憶はありません」
弁護人「証人から許諾取れてるかと確認することはあるんですか?」
証人「画商さんと作家さんで話がまとまった前提で依頼があるので、一度もないです」
版画の作成許可をもらってるから工房に依頼が来るというのが大前提ってことなんですね。
弁護人「著作権の許諾に疑問を持ったことは?」
証人「ほとんどなかったです。刷った後に作家と一緒に落款(らっかん)を押すこともあるので」
弁護人「作家と会わない場合はどうです?」
証人「うーん、著作権に関しては、私どもが口を挟むことではないので…」
弁護人「それが業界の当たり前?」
証人「印刷業でもそうなんですけど、例えば女性の裸の原稿が届いて、“この人は未成年ですか?”、“著作権はどうなってます?”とは訊きませんから」
版画界に限らず、犯罪グループの中で活動していなければ、ちゃんとした手続きを踏んだものが自分に回ってくると思うでしょうしね。しかも40年間もそれが当たり前になってたわけですから。
証人「もし私に依頼が来た場合でも受けてたと思います」
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続いて、検察官から。
検察官「一緒に仕事することはありました?」
証人「H被告人が先に独立して、お互い多忙でしたので…」
検察官「友人としての付き合いはありませんでした?」
証人「彼が東京に来たときに会ったり、会社も経営のことで悩んでたので電話で相談に乗ったりとか」
検察官「どんな悩みでした?」
証人「制作の話が来ない、と。今、インクジェットで制作されているものが多くなりまして、もう版画工房は厳しいのかなぁと」
検察官「どんなアドバイスをしたんですか?」
証人「摺師としては一流ですから、依頼を待つしかないと」
検察官「摺師って日本に何人いるんですか?」
証人「もう50人以下です」
検察官「業界としては先細り?」
証人「はい…」
知らぬ業界が知らぬ間にデジタル印刷の技術向上と共に苦しくなってたんですね。
検察官「ニュースで事件を知ってどう思いました?」
証人「版画に情熱を傾けた人生で…。著作権の許諾はないですけど。版画としてはニセモノではなく、立派な版画だと思います。ニセモノという意味ではデジタル版画の方がニセモノなので」
検察官「あと、版画の裏に貼る共シール(ともしーる:作品が本物であるという証明のため、作家本人のサインや落款などを作品・額のそれぞれ裏に添付する)ですけど、これも版画工房で作るんですか?」
証人「それは日常的に作ります」
検察官「もし、証人に本件の依頼があったらどうしてました?」
証人「私も受けてたと思います。彼の場合は会社を立て直そうとしてたわけですし」
と述べて、検察官からの質問は終了です。
続いて、裁判官からの質問です。
裁判官「版画に落款で印が押されてる場合ですけど、リトグラフを作るときに印刷するんですか?」
証人「はい」
裁判官「完成したリトグラフにハンコを押すこともありますよね?」
証人「はい」
裁判官「そのハンコを工房で作ることはあります?」
証人「私の経験上ないですね」
と、落款が気になっている様子です。そして、
裁判官「証拠見るとね、東山魁夷も奥さんも亡くなってて、誰が許諾したんだろうとは思わないんですか?」
証人「遺族がいるかもわからないですし、彼は東山すみさんが亡くなったことを知っていたのか…。もし私のところに依頼があれば刷ってたと思います」
と、もし自分ならばという同業者の視点で述べたところで証人尋問終了です。
そして被告人質問。続きは次回で。
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