2022年2月、高校生がエンジンから自作した四輪車が人を乗せて走った。「日本初の試み」(担当教員)という快挙だ。取り組んだのは、三重県立津工業高校機械研究部の3年生4人。「ゼロハン」と呼ばれる排気量50ccのエンジンを載せた自作バギーカー「ゼロハンカー」競技に打ち込んできた4人だが、大会では市販のエンジンを使うのが通例だ。なぜ、彼らは難しいエンジン製作に取り組むことにしたのか。どうやって完成させることができたのか。大会や同校を訪ねて取材した。
エンジンも、ボディも自作
2022年2月20日の昼下がり、津工業高校の校庭に機械研究部3年生の4人が集まった。この日は本来ならば、新型コロナウイルスの「第6波」さえなければ、広島県で開催される大会に出場するはずだった日だ。
「全日本EV&ゼロハンカーレース」の手づくりエンジン部門。これまでに1台も公式記録を残した高校がないこの部門に向けて、4人はマシンを作り上げてきた。
ようやく完成したエンジンもボディも手作りのゼロハンカー。大会記録には残らなくても、その成果を見せてもらおうと集まってもらったのがこの日の取材だった。
部室から自作ゼロハンカーを運び出す
赤色のボディは金属のパイプを曲げ、溶接したシンプルな構造。運転席の背後にむき出しのまま載せたのが、今回自作したエンジンだ。
ハンドルを握る近藤永遠さんが、運転席でヘルメットを被る。海田祥汰さん、竹中悠真さんが見守る中、マシンの後ろにいる友田健心さんがエンジンに手を伸ばし、エンジンを起動するロープを勢いよく引き上げた。
強く引く。
強く引く。
もう一度強く引いてエンジンが起動する。小気味よいエンジン音が辺りに響く。
近藤さんがブレーキから足を離すと、車体がゆっくりと前に動きだした。アクセルを踏み、加速する。自作エンジンのゼロハンカーが、校庭を何度も往復して見せた。
動きだした自作エンジンのゼロハンカー
エンジン製作の中心を担った友田さんは言う。
「正直なことを言うと、走らんかなって思ってたんです。エンジンの力不足。けど、走ってくれた。自分たちで作ったものが動力源になって、走ってくれた。よかったです」
友田健心さんはエンジン設計・製作の中心を担った
全国大会で過去最高の3位
ゼロハンカーとは、排気量50ccのエンジンを搭載したオフロード向けのレーシングカー。車体は基本的に自作だ。
2021年12月に岡山で開かれた全国大会。さまざまなゼロハンカーが集まった
2021年12月に岡山で開かれた全国大会。さまざまなゼロハンカーが集まった
機械研究部は7年前からゼロハンカー製作を始め、2021年12月、岡山県で開かれた全日本高等学校ゼロハンカー大会では、3年生のマシンが同校過去最高の3位を記録した。
3年生のマシンは過去最高の3位入賞。ドライバーは近藤永遠さん
彼らが次に焦点を定めたのが、毎年2月に行われる広島・府中での大会。手づくりエンジン部門のある大会だ。
出場資格は、エンジンの主要部品を自作していること。数年前にこの部門の創設を提案したのが、同部顧問を務める機械科教員、上村雄二さんだったという。
「この子たちならできるかも」
「私たち機械屋はいつかは自分でエンジンを作ってみたいと思うんですよ」
上村さんはそう語る。ただ、「エンジン作りは高校生はもちろん、私でも難しい」。当初は部活で取り組む発想はなかった。
顧問を務める機械科教員の上村雄二さん。農業機械メーカー勤務を経て、高校教員になった
きっかけは5年前、県外のある高校がエンジン製作に取り組んでいると知ったこと。「ゼロハンカーと組み合わせれば、エンジンもボディも自作の四輪車ができる。魅力的なテーマになる」と考え、新部門創設へとつなげた。
製作するのは「2ストロークエンジン」と呼ばれるエンジン。一昔前のオートバイに使われていた比較的単純な構造のエンジンだ。「単純」とは言っても、エンジンを構成するクランクやピストンなど約10の部品には精密さが求められ、金属加工の技術はもちろん、素材や機械構造に関する総合的な知識が不可欠だ。自校の機械研究部でもエンジン作りに取り組んだことはなかった。
「『できない理由』を探すのは簡単です。それでも、」と上村さんは言う。
「この子たちならできるかも、と思いました」
今の3年生たちのことだ。
全員が機械好き。「放課後、日が落ちてからもずっと機械をいじっていて、『帰れ』と言っても帰らない。『日曜に来てもいいか』とも言い出す。『迷惑や』って言うんですけどね、うれしいですよね」と上村さんは誇らしげに言う。
そして、2020年の夏休み、2年生になった友田さんら機械研究部員に自作エンジン製作を提案することになる。
エンジン作りの試行錯誤
「エンジンまで作れたらかっこいいな、という気持ちはありました」
当時のことを、友田さんはそう振り返る。「車好き」というより「機械好き」。「機械の動く仕組みを見るのが好き」と言う。
友田健心さん。同部では部長も務めた
まず初めに上村さんが設計図を書き上げたが、組み上げたエンジンは起動しても、車体に載せるとかからなかった。エンジンのパワー不足。部品の“重さ”が原因だった。
上村さんはこう話す。
「エンジンの部品は、溶けた金属を型に流し込んで鋳造するのが普通ですが、専用の機械や材料は普通の公立高校にはなく、金属の塊から削り出すしかありません。ただ、切削では鋳造よりも部品が数グラム重くなってしまう。そのわずかな違いが致命的でした」
解決策を見出したのが、友田さんだった。
クランクシャフトのピンの位置、クランクの厚み……。チームメートと議論をしながら試行錯誤を重ね、切削量を増やす構造に設計を書き換えた。反対に、軽量化にこだわりすぎなかったことも功を奏したという。
「最初は軽量化ばかりを目指していましたが、エンジン内でうまく空気を回すため、クランクを厚くしてみたんです。圧縮比(吸う空気と吐き出す空気の比率)を高めたことで、動力を上げることができました」
エンジンの部品はアルミや鋳鉄から削り出して作る
製作に必要な部品や工具、エンジンオイルなどの消耗品は、JKAの「新世紀未来創造プロジェクト」が支援した。そして、卒業を間近に控えた2022年2月に完成したマシンが、冒頭で紹介したゼロハンカーだ。
初めてのエンジン製作は、車体作りとは違う難しさがあったという。
「部品から全て自分たちで作るので、動かない時も思い当たる節が山ほどある。(改善するために)原因を探すことが、一番苦労したことです」
ものづくりの“楽しさ”を学ぶ機会
上村さんはゼロハンカー製作を通して、生徒たちの成長を実感しているという。
「能力とやる気のある生徒に、それに応じた負荷を与えると成長します。エンジンを作るには、高度な技術と材料についての知識が必要。彼らが学べたことは多いはずです」
上村さんが伝えたいのは、ものづくりの“楽しさ”。失敗を重ね、時間をかけ、苦労の思いをくぐり抜けた先にだけある、心の底から感じる“楽しさ”だ。
「部活を通して、できることが増えた実感があります」と話すのは竹中さん。機械を扱う技量が高く、上村さんは「彼がいないと作業はなかなか進まない」と言う。
フライス盤を操作する竹中悠真さん
磨かれたのは“技術”だけではない。
「チームで助け合って、問題を解決できるようになった」と話すのは、近藤さん。
入部当初を振り返ると、同じ「機械好き」でも、4人の関心はさまざまだった。機械の仕組みが好き、運転好き、船好き、バイク好き……。それぞれが、それぞれのやりたい方向を向いていて、ぶつかることも度々あった。
近藤永遠さん
でも、しばらくは口を聞かなくても、機械の話題には自然と口が開いた。何時間でも話せた。夜遅くまで部室で話し込んだ日もあった。衝突を繰り返しながら、気づけば、4人で同じ方向を向けるようになっていた。
「3年生になって、一つの仕事をみんなでやるようになりました。役割も分担して、助け合いながら作業ができるようになって、いい車が作れるようになった」と近藤さんは言う。“友達”よりも“仲間”と呼ぶ方がしっくりくる。
象徴的だったのが、12月の大会の予選。同部から出場した4台のうちの1台が、レースの最中に突然止まってしまう。
だが、そこからの対応が早かった。
エンジンを解体し、原因の部品を特定。破損していた部品を入れ替えることで、すぐに敗者復活戦、決勝へと臨むことができた。このマシンが同校過去最高の3位を記録。ドライバーが近藤さんだった。立ち往生した時はさすがに動揺したが、その後は落ち着いて対処することができたという。
「エンジンが壊れた時も、信頼して任せることができました。みんなのおかげで3位に入れた。整備してくれたチームメートに感謝したいです」
岡山の大会で、問題のエンジンを調べる近藤さんと友田さん
「この部活と出会って、自分は変わった」と話すのはムードメーカーの海田さん。「中学の時は気弱なタイプ。こんなインタビューにも答えられなかったと思う」と言う。
横にいた竹中さんが「がっつり答えてそうやけどな」と笑うと、「いや、ほんと。ガチのマジの話」と海田さんが応じる。言葉に、真剣さが込められている。
「僕って竹中みたいに機械の腕がいいわけではないんです。お世辞にも、うまいとは言えない。でも、こういう部活に入って、同じ機械好きの中にもいろんな人がいて、出会って、関わって、後輩の指導をしたり、モーターショーで大人たちと話したりできるようになった。鍛えられたと思います」
海田祥汰さんも岡山での大会ではドライバーとして出場した
高校卒業後、海田さんは自動車開発を学ぶ専門学校へと進む。竹中さんは「車が動く足元を造る仕事に就きたい」と橋や水門を造る企業へ、近藤さんはエンジンメーカーに就職を決めた。友田さんは大学へ。将来は工作機械を作りたいという。
4人の、3年間の集大成としての自作エンジンゼロハンカー。確かな手応えを得て、この春、それぞれの道へ進む。4人の“エンジン”は、まだ動き始めたばかりだ。
※撮影時のみマスクを外すご協力を得て撮影を実施しています。