CAREER | 2022/06/04

「徳島から米国名門大へ留学する女子学生を気持ちよく応援できない日本に未来はない」という話について

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(33)

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5月のはじめぐらいの僕のツイッターのタイムラインではこの話題でもちきり状態だったんですが、一般的にはどの程度の知名度だったでしょうか。

徳島出身、今アメリカの名門スタンフォード大学に学部入学されている松本杏奈さんという女性が『田舎からスタンフォード大学に合格した私が身につけた 夢をつかむ力』(KADOKAWA)という自伝的な本を出したことについて、Amazonにかなり執念深い批判レビューがついたことで、SNS上では松本さんに対する批判や誹謗中傷が飛び交い、松本さんがTwitterのアカウントを消して沈黙してしまったという事件があったんですね。

その後さらに5月下旬にはご本人が一瞬だけTwitterを再開され、誹謗中傷に対して事実無根だと主張するnoteを公開、誹謗中傷目的で事実と違う情報を拡散したアカウントに対する開示請求および損害賠償請求を行うと表明されています。

その後も松本さんの母親を名乗る人物による真偽不明の怪情報がSNS上で乱れ飛ぶなど、延々と多くの人の感情を巻き込んだ騒動に発展していることは、将来有望な若い大学生の精神にとって良いことではありません。

「炎上」に参戦はせずとも心を痛めている傍観者の人も私を含め多くいると思います。

ただ私がその騒動全体を見ていて大変違和感があるのは、

みんな「怒りを向けるべき対象」を間違っているんじゃないか?

…ってことなんですよ。

今回の事件で「怒りを向けられるべき対象」は、

挑戦する女子学生を応援できない、閉鎖的で嫉妬が蔓延する息苦しい日本社会

…でしょうか?

それとも、

海外大学進学をサポートしてくれた周りの人への感謝を怠る「故郷に後足で砂をかける恩知らずな女子学生」

…に対してでしょうか?

いいえ、どちらでもありません。

この問題の最大の『悪』はどこにあるかというと、

「古い考え方に固執する無理解で前時代的な周囲に抑圧されながらも、それを跳ね飛ばして独力で飛躍したというストーリー」で売り込もうとする東京のマスコミのマーケティング文化

↑これです(もっと直接的には、そのストーリーに沿ってこの本を売ろうとした編集者や出版社やその他マスコミ関係者ですね)。

ここにあるスレ違いは、単に日々繰り返されては消えていくSNSの炎上事件の一つというだけでなく、日本社会の今後にとって非常に重要な意味を持つし、「アメリカ的な理想主義」の良い部分を日本社会に無無理に根付かせていくためにも真剣に考えなくてはいけない課題がここにはあります。

今回はその件について深く考える記事です。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

1:「我らが徳島の代表を皆で応援しよう」型マーケティングだって可能だったはず

Photo by Shutterstock

この件は多くの人の感情を揺さぶる内容だったため、今でも散発的に、いろいろな「怒り」の感情がSNSを駆け巡っています。

…といった内容でしょうか。そしてもちろんこういう批判に対して、「閉鎖的で嫉妬深い日本社会に対する怒り」を感じている人たちのコメントも多くの支持を集めています。

しかし重要なのは「そもそもこの件について事実関係がどうなのか、ということを深堀りしても大して意味はない」ということです。

松本さんご本人にとっては、家庭環境が安心して身を任せられる場所ではなかったことも事実でしょうし、徳島から海外名門大学へ進学するのは前例が少なくて障害が多かったのも事実でしょう。

そして「首都圏の名門中高のような環境でなくても、“徳島のような田舎”からでも海外への大挑戦は可能なのだ」ということを伝えたいというご本人の気持ちも大変意味があることと思います。

一方で、経済的・その他環境的に言って、松本さんが日本人の平均からして「かなり恵まれた」立場で育ったこともおそらく事実でしょう。松本さんが「どん底からの挑戦」的な形でのマーケティングで存在を売り出していくことに対して、もっと厳しい環境で育っている人が心中穏やかならぬ気持ちになることもよくわかる。

ただ私が思うのは、この記事の冒頭で書いたように、そもそも「過剰に故郷をディスるマーケティング」にまとめられていることが全ての問題を生み出しているんですね。

松本さんのことは、Twitterやウェブ動画などを通じてチラホラ拝見していましたが、別にこんな「過剰に故郷徳島をディスるような」ストーリーでなくても十分ご本人の魅力を伝えるマーケティングが本来可能なタイプの人だと思います。

…ぐらいの客観的でフェアな視点がある方だとお見受けしますし、色々な人のサポートのお陰でアメリカに来れたということも十分わかってはいる印象を受けました。

なので出版社や編集者、あるいは彼女をSNSでもてはやす人たちなど「売り出しを差配する大人」のさじ加減一つで、印象は全然違ったものになっていたはずなんですよ。

要は、海外有名大学にチャレンジする若い人たちを、

国内に残る人々が「気持ちよく応援できるストーリー」でマーケティングする

…というのは十分可能なことだし、今後の日本社会においてものすごく重要なことなんですね。

なぜなら、実はアメリカ社会においても同じことが同じように問題になっているからです。

アメリカでもエリート大学の学生が「自分たちの輝かしさ」を語るときに、明示的・非明示的にやたら「地元の古い社会」をディスりまくるので、社会の分断がどんどん進行して、「エリート大学の卒業生たち」と「普通の地元コミュニティ」が敵同士みたいな感じになっていってしまっている。

結果として「感染症蔓延防止のためにワクチンを打って下さい」とか言うレベルのことでさえ全力で反対してくる運動が止められなくなっているし、今度は妊娠中絶の権利を認めた判例を覆されかねない状況にまでなっている。銃乱射事件が“毎日1件以上”というレベルで起きていても銃規制ができなかったりする。

アメリカでは、GAFAM的存在を生み出したエリートに全権を渡して活躍させまくっているので、日本においてもそういう風にしたいと思っている人は結構いるんですよね。

今回のようなことが起こるとに、毎回決まって「閉鎖的で成功者を引きずり下ろす日本社会なんか滅べばいいのに!」みたいな方向にSNSで感情が爆発しているのを見るんですけど、「そこ」で一度立ち止まって考えるべき課題がここにはあるんですよ。

その「古い社会を無意識にディスりまくる」ような「アメリカでのエリート優遇の仕方」自体が、「エリート以外」の社会の安定性や自己肯定感を奪いまくることで、アメリカ社会の分断と止められない反リベラル運動みたいなものに繋がっていたりするわけなので。

「エリートを優遇するときに無意識にディスりまくった相手」は決してそのことを忘れていないから、団結して必死に抵抗してやろうと反撃してくるのを止められなくなってしまうんですよ。

だからこそ、日本社会はここで、

「海外有名大学に行くような学生を、“みんなの代表”としてイメージさせ、普通の人が気持ちよく推せるマーケティングストーリー」

…を、今まさに独自に発明しないといけないんです。

日本社会が「エリートをちゃんと尊重して彼らに力を奮ってもらいやすくする」ためには、「アメリカのやり方とは違う文化の醸成」が必要なんですね。

アイドル文化やアニメや漫画において、長年日本が「推し」カルチャーを積み重ねてきた意味を、まさにそこで発揮することが必要とされているわけです。

2:めちゃくちゃ爽やかな人格者で努力家なアメリカ人エリートの、ゾッとするような素顔

Photo by Shutterstock

私は20年以上前に学卒でマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、当時のいわゆる「外資コンサル」では一定以上に出世するには「アメリカの名門大のMBA」がほぼ必須というような文化が一部に残っており、「アメリカ名門大カルチャー」を歩いているだけで全身から放射しているような人を多く見ました。

彼らは常に大変自信があるように見せているし、他人への配慮が行き届いた爽やかな人格者であろうとする気概が満ちていて、まず見た感じものすごく魅力的です。

一方でその「爽やかな笑顔」の背後で、日本人的に見ると他人をサラッと見切ってしまう感じがあるのも共通していました。

日本政府の外郭団体とアメリカの名門大学の協力による日本経済分析プロジェクトのミーティングで、アメリカ育ちの役員が、いつも以上に爽やかなニコニコ顔で、

「日本に溢れるあのしょうもない零細小売店とかがどんどん潰れたら良くなりますよアッハッハ」

…みたいなことを言っていて本気で衝撃を受けたことを今でも覚えています。

「アメリカ系のエリートの爽やかさ」の背後には、結構常にこういう「弱肉強食のネオリベ精神」が根付いているところに注意が必要なんですよね。

そうやって「見切ってしまう」精神の背後で、日本人からすると過剰な演出込みで「弱者を慮って行動する自分」を演じられるプロジェクトを次々立ち上げることの熱心さとのギャップもあって、正直“そういう風に”「弱者扱い」される人は心中あまり穏やかでないことが多いのではないかと感じます。

結果的に「アメリカ社会あるある」として、次々と「善意」のプロジェクトが立ち上がって巨額の寄付金が集まったりするけど、公立小学校の学費が学区ごとに全然違う問題といった、格差の根本原因みたいなところは放置されっぱなし。社会の辺境になればなるほど日本では考えられない絶望的なカオスが放置されてしまうことに繋がっている。

3:「アメリカ的な理想」を「日本的に地に足つける」最後の一歩にもっと工夫が必要

私は「アメリカの理想主義」自体は大好きなんですが、その「実行面」においてかなり問題を抱えている社会なのも明らかに事実で、日本にそれを「無理やり同じように」導入しようとすると日本社会が自分たちの美点を守るためのアレルギー反応のようなものが起きると感じています。

それを無理強いしていると、いずれ「アメリカ的な理想」そのものに対するアンチ的ムーブメントが高まってくるのを止められなくなる。

今の日本に必要なのは、「アメリカ的な理想」を「日本社会と無理なくすり合わせるための独自の工夫の積み重ね」なんですよ。

「松本さんへのアンチ的なムーブメント」に対して「閉鎖的な日本のクズどもがわめいて、若い女性の可能性を潰している」的に怒りを表明しているタイプの人(こういう意見が今何百と“いいね”されて拡散されていますが)は、「そこであと一歩踏み込んだ工夫」について考えてほしい。

そこで対応を誤ると、日本社会もまた、アメリカのように「ありとあらゆるリベラルの理想を全部潰してやる!」と激昂し、国会議事堂に暴力で乱入するような勢力を止められなくなる可能性を孕んでいるからです。

4:「9割の知的な仕切り」と「1割の現場の事情の吸い上げ」が大事

とはいえそんなことを言うと、「あんなクズどもの話を聞いていたら社会を変えることなんてできないじゃないか!」と怒ってくる人が結構います。

しかし、国全体が真っ二つになって永久に邪魔され続け、妊娠中絶が禁止されるようなムーブメントに怯え続けなくてはならなくなるより、最初に丁寧に「皆のためのことなのだ」と合意を作ってから協力関係のもとに粛々と変えていく方が、最終的にはスムーズなはずです。

私は、「こういうアメリカ的な手法だけでゴリ押ししてると社会が真っ二つに割れてそのうち大変なことになっちゃう(実際に20年経った今のアメリカはそうなってますよね)」と思い、メンタルを病んだこともあってマッキンゼー社を退職したあと、その「分断される二つの世界」を繋ぎ止める方法について考える仕事を続けてきました。

具体的には、まずブラック企業やカルト宗教団体や、時にはホストクラブのような「エリート社会の逆側」の世界を身を以て理解するために潜入して実際に一員として働いてみるフィールドワークをやりました。そのあと、「グローバルとローカルの境目」である日本の中小企業相手のコンサルティングをしてきました(話せば長いのでご興味のある方はこちらのプロフィールをどうぞ)。

その中小企業クライアントの中には、ここ10年で平均給与を150万円ほど上げることができた成功例もあります。

そういう「アメリカ的グローバルな理想」と「日本社会のリアル」を繋ぐ実地の工夫を20年考えてきて思うことですが、

ぶっちゃけて言えば物事の9割ぐらいまで、“知的エリート側”が考えたことを実行したほうが良いことが多い

…と思っています(笑)。

しかし大事なのは「残りの1割」の部分なんですよ。

その「残りの1割」の部分で、「現場側」からすると全然問題が違ってくる…というような領域でのすり合わせの必要性があるんですが、アメリカ型エリートはここの部分に無頓着すぎるので、無理やりゴリ押ししては全力のバックラッシュに怯え続ける社会になってしまう。

その「残りの1割」とは、以下の2点のような形を取ることが多いです。

今の「アメリカ型の社会の仕切り」はこの「残り1割の部分のローカル側とのすり合わせ」を全拒否しているので、分断も酷いことになっているし、その「理想」を押し付けられたと感じる世界の多くの国で、むしろアメリカ型の理想ごと捨て去ってしまうようなムーブメントが止められなくなりつつある。

「アメリカ型の理想」が捨て去られずに、人類の2割以下の上澄み特権階級にすぎない欧米社会の「外側」でもちゃんと地に足ついて運用されるように持っていくためには、「最後の一歩(ラストワンマイル)」の部分で今よりももっと圧倒的な「双方向的な対話と配慮」が必要な時代になってきているのです。

5:アメリカ由来の「2つの改革」は、「最後の一歩のすり合わせ」を必要としている

Photo by Shutterstock

日本に限らないことですが、「グローバルVSローカル」の戦いは2つの「戦場」があります。

ひとつは、経済・経営分野において、日本社会を「改革」したい人たちと既存の日本社会の戦い。もうひとつは、人権・ジェンダー・政治的正しさという面において日本社会を「改革」したい人たちと既存の日本社会との戦いですね。

どちらの「戦場」においてもそうなのですが、日本社会がそこに「抵抗」を示すとき、単に「頭の古い閉鎖的なクズどもが!」と激昂する前に、「そこに抵抗が起きる理由」を両側から深堀りして考えるべき時が来ているのです。

私はそれを、対立しあう「ベタな正義」同士のぶつかり合いを俯瞰した視点で解決していく「メタ正義感覚」と呼んでいます。

そのときには、私が最近出した著書『日本人のための議論と対話の教科書』で扱った以下の図のように、「反対者が言っている内容」に反応するのでなく「反対者の存在意義」を深堀りすることが大事です。

丁寧に見れば、経済・経営面でも“リベラル派の理想”的な面においても、日本社会が「抵抗」を示すその背後には、アメリカ社会なら絶望的なスラムになっていてもおかしくない社会の末端においても、一応ギリギリ「日本社会的安定感」が維持されている防波堤としての事情が存在することは明らかです。

「だんだんその末端も壊れてきているじゃないか」と言いたい気持ちはわかりますが、だからこそ危機感を感じて、過剰に右傾化したようなことを言う人だって出てきているわけですよ。

そこで「改革する側」が押し込んでくる理想が、「アメリカの一番良い部分」だけを見て「全く同じようにやれ」という形であるなら、日本社会が必死に抵抗するのも当然だと言えるでしょう。

まずここで、「当然抵抗するよね」ということに理解を示せないならば、それはその人の中に欧米文明中心的な差別主義が渦巻いているからなんですよ。

「欧米的理想」が全拒否にされてしまわないためには、上から目線で断罪しまくる前に今の何百倍も丁寧に「ローカル社会側の事情」を吸い上げることが必要な時代になってきているのです。

6:世界中で起きている「分断」に橋をかけるのが私たち日本人の使命

今回の松本杏奈さんの問題も「閉鎖的な日本のクズどもが!」という意見をシェアする前に、海外経験もあって恵まれた立場にいる人が考えるべき課題は何なのか、今一度考えてみるべきだと思います。

もちろん、松本さんへの誹謗中傷や流言蜚語には、断固としてNOを言っていくことも必要なことです。

その「両方」がちゃんと行われることによって、今回の件だって「国内に残る側が気持ちよく推せる」カルチャーを作っていくことは十分可能でしょう。

今回の件で一番反省するべきは、手癖で「田舎をディスる」マーケティングを行った出版関係者であるはずです。

欧米では、アカデミックに認証されたエリート以外の人の、仕事面での自尊心を奪いすぎることが社会の分断に繋がっていますが、日本社会はまだそうなっていません。

末端の世界でも「まあギリギリの」遵法精神や勤労感が残っていますし、幻想に近くなってきているとはいえ、富裕層も貧困層も同じ「コンビニと漫画とラーメン」を共有しているという神話がまだ崩壊せずに残っている。

日本における「知的エリート」層は、その点における「日本社会のローカル側」からの「信頼」に応えなくてはいけない。

その「紐帯」を最後まで守り抜き、気持ちよく、

ベンキョーできるやつはよぉ、ベンキョーで活躍してくれればいいんだからな。俺たちのことは気にせず、アメリカで頑張ってきてくれよぉー!

…という気分を押し出してマーケティングできていれば、あらゆる問題が解決していたはずなのです。

こういう「機運」を高めていくことは、日本における学術予算をちゃんと確保するためにも非常に重要なことなんですよ。

以前、「日本の学術予算は本当は簡単に増やせる」という記事を書いて結構反響がありましたが、「知性を大事にしない日本社会のクズどもが!」と激昂する前に、本来そこにあるべき「相互を尊重するカルチャーの醸成」さえできれば、日本政府の予算感からすれば本来簡単に解決できる程度のことなのだという理解が大事です。

海外に行きたい人は挑戦すればいい。

そして、そういう人が「エリート層がちゃんとエリート層として金銭的に遇される」環境で成功することは、日本社会がついつい専門的職能を安く使い潰してしまいがちな現状に対して適切な「刺激」を与えることができるようになるでしょう。

しかし一方で、海外において「エリート層がエリート層として金銭的に遇される」構造の背後には、「それ以外の普通の人」を強烈に排除していて、彼・彼女らの自尊心を奪いまくることで社会の不安定化に繋がっているという現実をも「同時に見る」ことが必要なのです。

そこで、「日本社会の美点を失わないようにする配慮」と、「グローバルに戦うエリートをちゃんと適切に遇する」ことの両取りができるような独自の工夫を、丁寧に積み重ねていけるかどうか。

それが今後の日本の未来を決めます。

今起こっている「構造的な円安継続」は、「治安の良い日本社会で暮らせるベネフィット込みで総合的に勘案すれば、知的エリートの給与が国際比で見劣りせずに済む」というレベルの構造的配慮を維持することができさえすれば、むしろ裾野広く社会の隅々まで平等的に経済的恩恵を行き渡らせるために良い環境だと言えるでしょう。

「経済・経営」においても、「人権・ジェンダー・政治的正しさ」においても、「日本社会がそこに抵抗する」ときにそれを単に「古い考えの野蛮人ども」と切り捨てるのではなく、むしろ「彼らの懸念と向き合い自分たちのやり方で解決する」方法を考えていきましょう。

「社会が真っ二つになっているアメリカ社会の対立」「民主主義VS権威主義の米中冷戦」「欧州の理想主義とそれに対するロシア的暴虐のぶつかり合い」など、世界中が果てしなく非妥協的な分断に陥っていくなか、現地現物の配慮を積み重ねて「同じところに繋ぎ止めるカルチャー」を提示していくこと。

オバマ元大統領が「他人に石を投げているだけで社会が変わると思っていたら大間違いだ」と言い、マイケル・サンデルが「立場を超えて社会で共有できる共通善が大事なのだ」と言うように、欧米の良識派知識人が切実に願いつつ実現できずにいる理想を、実際の社会運営のレベルで地道に実現していくことが、これからの日本社会のチャレンジなのです。

松本杏奈さんは、たぶんそういうレベルの「本当のエリート精神」を持ち得るぐらいの人だと、いくつかのメディアでのご活躍からして感じています。

今回の件がご本人の貴重な学生生活を良くない形でスポイルしてしまうようなことにならないよう願っています。

(お知らせ)
この件に限らず「いつものワンパターンな罵り合いの繰り返し」を超えて、実際に具体的な問題解決にエネルギーを振り向けていくために何が必要なのかについて、私の中小企業クライアントの具体的な例からはじめて、社会問題に対する考察まで広げながら書いた本が、先日出ました。

以下のURLで「はじめに」が無料公開されているのでご興味があればぜひどうぞ。

日本人のための議論と対話の教科書

また、今回記事で書いたような「アメリカ型の社会運営の仕方」をあと一歩ローカル社会の現実とすり合わせる方法について、今公開中の『シン・ウルトラマン』は全く新しい理想像を提示している…という関連記事がありますのでよろしければどうぞ↓

『”陰キャ”だがカッコいいヒーロー』としてのシン・ウルトラマンと、表裏一体のセクハラ描写問題について。

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