聞き手・文:赤井大祐(FINDERS編集部) 写真:グレート・ザ・歌舞伎町
小説『彼岸花が咲く島』(文藝春秋)で、日本語を母語としない作家として史上二人目の芥川賞を受賞した作家の李琴峰さんが、今年5月20日にデビュー5周年を記念してNFT小説『流光』(初出は『群像』2017年11月号)の販売を開始した。
プロジェクトでは、小説『流光』の日本語版2種、繁体字中国語版2種、簡体字中国語版1種の計5種を用意。それぞれ、小説+限定版表紙を基本セットに手書き原稿もしくは声優等による朗読音声が付属する。さらに価格吊り上げ式オークション(開始価格1イーサリウム)と価格下降式オークション(開始価格4イーサリウム)の2方式を採用し、合計10点の出品となった。
「手軽な投資」「一夜にして数億円」的なわかりやすい引力でもって注目を集めるNFTだが、技術者と言わず、ものづくりを行うクリエイターからしてもどうやら見え方は違っているようだ。李琴峰さんはNFTに対して「作家が作品を発表する新たな手段」としての可能性を感じているという。
李琴峰さんと、プロジェクトを伴走した編集者の添田洋平さんのお二人にインタビューを行い、出版社の介在しない一人の作家としての挑戦について伺った。
李琴峰(り・ことみ)
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1989年、台湾生まれ。作家・翻訳者。2013年来日。早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程修了。2017年「独舞」(後に『独り舞』に改題)で群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー。2021年『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『彼岸花が咲く島』で芥川龍之介賞を受賞。他の著書に『星月夜』『生を祝う』「観音様の環」など。
添田洋平(そえだ・ようへい)
株式会社つばめプロダクション
フリーの編集者として、文芸やコミックなどの分野で活動。作家やアーティストのマネージメントなども務める。
専業作家では食べていきにくい時代
―― まずは、李さんが作家としてNFTプロジェクトを始めたきっかけを教えてください。
李:もともとNFTがアートや音楽の分野で話題になっていたのは知っていたけど、自分とは業界が違うしな、と思って、あまり気にしてはいませんでした。とはいえ、自分もクリエイターなので、少しは情報を摂取していました。
そこで、小野美由紀さんや村上龍さんのNFTプロジェクトを知りました。小野さんは個人的に知り合いなので雑談の中でプロジェクトについて聞いたら、李さんもやってみなよ、って言われました。
それでいろいろ調べていくうちに、たとえば中間業者を介さず小説を販売できることや、二次流通でロイヤリティを得られることに可能性と魅力を感じました。元々、作家というのはもっといろんなことができるんじゃないかな、と思ってはいました。
―― いろんなこと?
李:小説を書くのはもちろん大事だし、それが本業ですが、今の時代エンタメが多様化して可処分時間を奪い合っている状況ですよね。昔のように、作家はただ小説を書き続けていれば食べていける、という時代ではなくなっています。出版不況の現在、特に文学作品は売れないと言われています。実際、多くの作家は別のところで本業を持ちながら、小説を書いています。そうじゃないと食べていけません。
たとえば定価1600円の小説を初版3000部で出版したとすると、印税が10%だとして収入はおよそ48万円。印税だけに頼って食べていこうとすると単純計算で毎年7〜10冊は小説を出さなれければならないわけです。小説を書いたところで出版社がOKを出してくれなければ販売されないので、この段階で作品が「商品価値」を持っているか否かもジャッジされることになります。もちろんこれは出版社の運営に必要なフローなのでそれを否定するつもりはありませんが、商品価値のある小説を年間10冊コンスタントに作り続けるというのは相当困難ですよね。
私は運よくいくつかの賞をいただいたことで世間的な認知や評価も上がったので、翻訳家の仕事と合わせて食べていけていますが、もちろんこの状況が続く保証もありません。
私は元々、新しいものに対してあまり抵抗がない性格なので、たとえば画家や漫画家、音楽家の方々と自分の小説でコラボできないかとか、常に考えているんです。SNSやYouTubeでの活動もその一環ですが、NFTはそういった活動を広げてくれるかもしれない、と思いました。出版社の考える商品としての基準とは別の軸で作品に価値をもたせることができるかもしれない、という可能性を感じています。
小説とNFTの間に生じたズレ
―― 今回のプロジェクトは李さんがお一人で始めたとのことですね。
李:作家のプロジェクトってだいたい出版社や書店が主体となっているので、自分が主体となってやることはあまりないんですよ。とはいえ私もいちおう個人事業主なので(笑)。
―― 確かに(笑)。個人事業主としてのプロジェクトだったんですね。
李:だからアイデア次第では、小説を書く以外のことがもっとできるんじゃないかって思ったんですよね。でも仲間がいなかったり、社会的な力がなかったりでなかなか実現出来なかったんですが、昨年芥川賞を受賞して知名度が上がったことで、行動に移しやすくなったんです。ちょうどデビュー5周年だし、個人事業主としての可能性を試したかった。けれど、いきなり一人で全部できるとも思わなかったので、まずはフリー編集者の添田さんに相談しました。
―― 添田さんはどのようにプロジェクトに関わっているのでしょう?
添田:編集者の仕事は、作家に執筆を依頼して出来上がった作品を書籍などのかたちで世に出すことなのですが、今回のプロジェクトでは李さんの作品がすでにあって、それをNFT化してOpenSeaで公開する、というアイデアも固まっていました。なので、今回の私の仕事はDTPと渉外がメインでしたね。小説の原稿データをPDFとEPUB(電子書籍のファイルフォーマット)にして、デザイナーや画家、エージェントに連絡して、と。
ですが、最初に李さんから『流光』をNFTにするというプロジェクトの話をもらったとき、なにかズレのようなものを感じたんです。
―― ズレ?
添田:李さんの作品は、どこか居場所がなかったり、なにか属性に縛られていたりする人が、そういったものから脱したり越境したりして、そのときに起こる感情やまだ言葉になっていないものを小説として描いていて。私はそこに李さんの独自性があると思うし、胸を打たれたんです。そのようなテーマを一貫して描いているからこそ、読者は李さんの作品を信用して読んでいるんだと思います。一方で、NFTはさまざまな活用の仕方が試されているとはいえ、今はまだ投機的な側面ばかりが注目されている技術です。要は、李さんが描いている内容とそれを入れる箱に、なにかズレがあるんじゃないかと思って、それを李さんに伝えました。そのズレを埋めるために書いてもらったのが「プロジェクト発足にあたっての思い」です。
その中で、作家の収入や出版業界の構造的な問題があること、そこに一石を投じるためのNFTであることを言語化してもらいました。それを読んで、出版業界に身を置く私としてもなにかしなければならないと強く思い、今回のNFTプロジェクトに協力することにしたのです。
―― なるほど。
李:作家や翻訳家の立場からすると、ロイヤリティの有無は本当に大きいと思います。たとえば今は図書館で本を借りられても作家には一銭も入ってこないし、古本屋さんやメルカリで転売されても作家が次の本を書くための収益にはなりません。でもNFTにはロイヤリティがあります。つまり、二次流通の際には原作者にも報酬が発生するということです。
これまでは会社や大きな組織にしかできなかったことが、今は個人でも形にできる脱中心化の時代ですが、いろんなことのハードルが下がっているのと同時に、作家として生きていくハードルは上がっている気がします。エンタメの多様化と分散化ですね。
だからこそ、常に新しいものを受け入れ、試していかないと将来どうなるかわからない。NFTも今は一つのツールに過ぎず、法律的な位置付けや将来の発展がどうなるのかわからないところも多いけれど、挑戦してみる価値はあると思いました。
JASRACと前例のない交渉
―― 特典の中身はどのように決めましたか?
李:自分は二言語作家なので、NFTを出すとしたら日本語版と、中国語の繁体字版と簡体字版が欲しい。オーディオブックも流行ってきているので朗読はあっても良さそうだ、そう言えば文学館には手書きの原稿が展示されているな……といった感じで自分なりに作品に価値をつけていく方法を考えていきました。
添田:私は李さんのアイデアをなるべくいい形で実現するのが仕事ですので、まずは李さんから送られてきたテキストのレイアウト作業に取り掛かりました。普通はDTPを手がけるデザイナーや印刷所にお願いする作業なんですが、自分はそれができたので。
李:そういう意味で添田さんにはだいぶ苦労をかけたと思います。中国語はまったくできないし、デザイナーでもないのに全部お願いしたので(笑)。
―― 添田さんとしても新しいチャレンジがあったんですね。
添田:話の流れ的に途中で「あ、これ自分がやるのか」って感じで(笑)。中国語の組み方は意識したことがなかったので、李さんに教えてもらいながら、勉強しながらでしたね。
李:すみませんでした(笑)そして、今回朗読をお願いした榎本温子さんは昨年仕事でご一緒したことや、榎本さんが私の作品をたくさん読んでくださっていたご縁もあり、是非彼女にお願いしたいなと。繁体字中国語版の朗読は私が自分で、簡体字中国語版の朗読は时光さんという中国出身のナレーターの方に依頼しました。
添田:表紙については、李さんからビジュアルのイメージや方向性をいくつかいただいて、書籍やWEBのデザイナーであるニシノフミナさんに依頼しました。彼女からさらにアイデアや意見をもらい、その中から松川朋奈さんと下重ななみさんの作品などを装画として選びました。
NFT小説として5種類のカバーデザインを製作。デジタルだと帯の位置と要素のバランスを気にする必要がないため、デザインの幅が広がるのだとか。
―― プロジェクトチームが出来上がったわけですね。
李:あとは弁護士と相談しながら細かい契約周りの見直しとかもありました。中でもJASRACとの交渉はかなり大変でしたね。
―― 『流光』では作中でamazarashi 「季節は次々死んでいく」の歌詞を引用されていますね。
添田:小説における歌詞の利用料は、本の部数や電子書籍のダウンロード数に応じて決まります。通常は本を作る主体であるところの出版社が支払っていますが、今回はプロジェクトの主体が李さんなので、李さんが契約から支払いまで行わなければならなかったんですよね。
李:そうそう。「作品の中で歌詞を引用した小説をNFT化して販売する」というのは、前例が無いんじゃないかな。先方の担当者ともどうしようかと相談をしながら、販売形式や販売期間、転売されるとどうなるのかといったような細かい質問に一つ一つ丁寧に答えていくという……超大変でしたよ。
―― 結果的にどのように決まっていったのでしょう?
李:今回の契約は売上に応じたパーセンテージを使用料として支払うことになりました。ただ、それ以外にも月額使用料というのがあって、配信している間は払い続けなければいけないんです。
―― NFTで「配信し続けている期間」はどう決まるんですか? OpenSeaへ公開している状態?
李:そこもちゃんと整理したんですが、OpenSeaに上がっているのは表紙であり、当然表紙の中に歌詞は使われていません。小説の本体に歌詞が利用されているから、小説本体がダウンロードできる状態にある間が「配信」という扱いになるんです。だから今回のプロジェクトでは購入するとダウンロード用のURLが手に入り、そのURLの有効期間が7日間という設定にしました。有効期間を過ぎたらこちらからの配信は終了で、JASRACとの契約もそこで終わり。買った人がダウンロードした後に転売する際の受け渡しに関しては私は関与しないので、それ以降に関して私が使用料を払う必要がない、って感じです。
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