EVENT | 2022/04/14

大麻は「地方自治を本気で考えるきっかけ」か「統治者に都合の良いツール」か 宮台真司さんと語る【連載】大麻で町おこし?大麻博物館のとちぎ創生奮闘記(2)

去る3月19日・20日、渋谷ストリームホールにて開催された日本最大級のサステイナブルのお祭り「めぐりわひろば」に大麻博物...

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「ソーシャルスタイル」としての大麻について考えよう

大麻博物館 館長 高安淳一

宮台:今世紀になって僕が重要視するテーマは、エネルギーの共同体自治と食の共同体自治です。共同体自治は「community municipalism」の訳。自分たちのことは自分たちで考え、自分たちの地域を自分たちが望む「場」にしようというもの。「場」という概念には文化や価値観など共同体と、どんな動植物や山や川の分布があるかという自然生態系が含まれます。

「場」に相応しいエネルギーや食の自立的経済圏self-supporting economic zoneを考える。巨大市場や広域行政に依存していたら、為替の暴落や予算の枯渇で一貫の終わり。だから外部経済や国家予算への依存を程々にする。その中に大麻の問題も含まれます。大麻ほど用途の広いものはないので本当に重要なアイテムです。でも日本は共同体自治の概念が皆無です。

「スローフード」はファストフードに対抗してできた概念です。「安全・便利、快適」「うまい・早い・安い」だけだと地域が「損得人間」だらけになる。ブランディングのために、あるいは規制があるから、有害物を含まないものを作るとかじゃなく、仲間のためにいいものを作る。その努力を知るから、少し高くても仲間から買う。そう。食の共同体自治です。

経済が回るほど人々が仲良くなり、仲良くなるほど経済が回る。それが共同体自治の経済で、スローフードの中核。これを理解しなかった頓馬な国がアメリカと日本です。アメリカの巨大スーパー、ウォルマートがロハス(Lifestyles of Health and Sustainability)と言い出し、「オーガニックやトレーサブルなものを食べましょう」とキャンペーンを張りました。

これに騙されたのは日本人とアメリカ人。日本にはロハスのキャンペーンを張った頓馬なFM局もあった。アメリカは母国を捨てた移民の国なので地域の伝統がなく、共同体自治が馴染まない。日本は縄文時代の地政学ゆえに、共同体適応規範(ヒラメ&キョロメ)はあれ、共同体存続規範がない。こうした文化的ハンディキャップが僕らから社会的思考力を奪う。

今日的課題から見た場合、これは日本人と日本社会の骨がらみの劣等性なので、単に憤るだけでは仕方ない。どこが劣るのかを精査すべきです。例えばオルタナティブな価値というと日本人は個人の「ライフスタイル」を考えるけど、ヨーロッパでは共同体の「ソーシャルスタイル」を考える。ロハス=ライフスタイルで、スローフード=ソーシャルスタイルです。

ロハス=ライフスタイルは、所詮は意識高い系のオシャレでしかありません。スローフード=ソーシャルスタイルは、仲間思いの価値に満ちた土臭いものです。これを頓馬な日本人は理解できません。アメリカ人も理解しないけど、代わりにキリスト教が個人の価値を支えます。だからアメリカ人には公共価値があるけど、日本人には公共価値がありません。

同じ頓馬ぶりはエネルギーの共同体自治にも見られます。エネルギーシフトつまり再生可能エネルギー化は共同体自治マター。地域の太陽光パネルや風力タービンを発電、地域や家庭の電池に蓄電、地域や家族に配電することで、地域独占巨大電力会社にカネを吸い上げられずにエネルギーを得る。エネルギーの共同体自治が進むほど地域の仲間意識が高まります。

そこから振り返ると、日本における大麻は、他の国のどこよりも、衣食住の全てに絡む文化であり、経済です。だから、食やエネルギーによる共同体自治と同じく、大麻による共同体自治をどこよりも自然に構想できます。それを僕らが話しても「マジ?そうなの?」みたいな人しかいない。非常に残念な状況だけど、そこから這い上がるしかないんですよね。

今後、大麻について様々な議論が出てくるでしょうか、軸になるべきは、ライフスタイルではなくソーシャルスタイルとしての大麻についての議論です。そのためにも冒頭で話題になった①戦後のアメリカによる大麻文化の蹂躙と、②日本人の劣等性による大麻文化の忘却とに抗って、大麻の共同体自治を掲げ、政府に大麻特区を要求するような流れが必要です。

大麻博物館:ソーシャルスタイルですか。このイベントのテーマであるサステイナブルとも非常に近しい印象を持ちました。

宮台:本来のサステイナビリティはソーシャルスタイルつまり共同体の持続可能性です。日本ではサステイナビリティが企業のブランディングに成り下がり、蕁麻疹が出そうです。サステイナビリティをソーシャルスタイルと切り離しては思考できません。だからもっぱら日本人だけがサステナビナリティを思考できず、程なく世界に恥を晒すことが確実です。

これは、地域興しというと、政府から補助金や交付金を貰い、在京コンサルに依存したアイディアを遂行する劣等性と同じです。インバウンドによる地域興しはコロナで一発で終了。アニメツーリズムによる地域興しも当該アニメ人気が終われば一発で終了。でもこれは地域が頓馬なのです。そもそも在京コンサルが持続可能性に動機付けを持つ訳がないからです。

大麻博物館:ありがとうございます。今後、日本社会においても、大麻というテーマがもっと語られるようになる、もっと存在感を増していくのは間違いないとは思っています。何かアドバイスなどがあれば、ぜひお聞かせいただけると。

宮台:三島由紀夫が「からっぽ」と表現したように日本は価値の空洞です。日本人が倫理的になれと言われて倫理的になることは永久にない。とすれば倫理的になると得をする仕組みを考えるのが残された道です。地域ボランティアを一生懸命やりましょうと言っても誰もやりません。それで家賃を2割安くしますよと言うと挙ってやり始める。それが日本人です。

でもそれで体験が生じます。カネが理由で関わっても、人を助けると喜んでくれて笑顔が身に沁みるのが分かったりします。だから、最初は損得で釣り、気がついたら共同体でニコニコみたいになればいい。日本の、人と社会の劣等性を踏まえれば、それ以外の方法はありません。そうした損得による釣りを軸にするのが、政府を巻き込んだ大麻特区の構想です。

世界的は今後、withコロナのように、with大麻になっていきます。だから価値観のせめぎ合いが必要です。①税金や市場のようなカネの問題なのか。②統治コストを下げるという統治の問題なのか。③自立的経済圏を目指す共同体自治の問題なのか。どんな社会がいいかという生き方の価値観を抜きにしては論じられない価値合理性の問題です。議論が必要です。


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