CULTURE | 2022/02/11

K-POPアイドルデビューを目指し、オーディション番組『ガルプラ』に挑戦。少女たちはなぜ韓国を目指すのか【連載】Z世代の挑戦者たち(6)

写真左から、山内若杏名さん、久保玲奈さん、藤本彩花さん、比屋定和さん、桑原彩菜さん
2021年に放送された韓国の女性ア...

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写真左から、山内若杏名さん、久保玲奈さん、藤本彩花さん、比屋定和さん、桑原彩菜さん

2021年に放送された韓国の女性アイドルグループオーディション番組『Girls Planet 999(以下、ガルプラ)』(日本ではABEMAが独占配信)。同番組は日本・中国・韓国から33名ずつ、合計99名の候補者が参加し、2022年にデビューを飾る「Kep1er(ケプラー)」に加入するためのたった9席の椅子を賭けた、視聴者投票をベースとする熾烈な競争が繰り広げられた。 

日本では2011年に小学校で、12年からは中学校でダンスが必修化されて以降、ダンスに触れて好きになる子どもが増え、同時並行でK-POPが当たり前に聴かれるようになった中で、「日本的なアイドルではなく、K-POPグループで活躍したい」と考える子も珍しくなくなってきている。芸能界や音楽業界だけでなく、ダンス業界もまた、こうした需要の高まりを踏まえてK-POPダンスを教えるスクールが増えている。

そうした中、東京都内を中心に展開するダンススクールのEn Dance Studioは、2021年にはK-POPダンスを専門に、現役ダンサーも多数講師陣に揃えたスタジオ「NEXTinDANCE」を設立。同スクールでは特待生制度として、オーディション対策講座なども受講できる「NiDアカデミー」も用意しており、実はなんとここから4名のガルプラ候補者を輩出していた。
(ちなみに今年4月からはさらにそのステップアップ版として、通信制高校の鹿島山北高等学校と連携し、韓国の練習生と同等レベルのレッスン体制を構築しながら高校卒業資格も取得できる「NiD高等学院」が開校される)

 今回のインタビューでは、同スクールからガルプラに参加した比屋定和さん藤本彩花さん、桑原彩菜さん(インスタが鍵アカウントのためリンクなし)、山内若杏名さん、そして久保玲奈さんの5名に加えて、ダンス解説系YouTubeチャンネル「ARATA DANCE SCHOOL」を運営するARATAさんに話をうかがい、「なぜK-POPアイドルを目指すのか」「ガルプラのオーディションではどんなことを起こっていたのか」を語っていただいた。

聞き手・文・構成:神保勇揮

彼女たちはなぜK-POPアイドルを目指すのか

今回は2021年10月に行われた、ARATAさんによる5人のインタビュー動画の撮影前に取材の機会をいただいた。ARATAさんによるインタビュー動画はこちら

―― まず、皆さんがダンスを始めたきっかけと、プロになることを意識したのはいつごろかということを教えてください。

比屋定:比屋定和(ひやじょう・なごみ)です。ダンスを始めたきっかけは、最初はバレエを5歳のころに親に連れられて始めました。プロになることを意識したきっかけは、小学校6年生のころにダンスの発表会でビヨンセの曲を踊ることになった時にパフォーマンスを色々と見て「こういう風になりたいな」と思ったことです。

ガルプラに参加した99人全員がグループに分かれてお披露目パフォーマンスを行う「探索戦」より。課題曲は(G)I-DLE「DUMDi DUMDi」。共演しているのは最終的にKep1erのメンバーに選ばれた坂本舞白さんだが、比屋定さんの終始楽しげでパワフルなパフォーマンスは全く見劣りしていない

藤本:藤本彩花です。私は幼いころから女優やモデルを目指して芸能活動をしていたんですけど、中学生のころに学校の先生たちからいじめられたことがあって、その時に救ってくれた友達がK-POPアイドル好きで、私もそうなりたいと思い始めて。でも、なかなか一歩を踏み出せずに2020年にダンスを習い始めたところです。

2回目の選抜となるコネクトミッションにて課題曲にBLACKPINK「Ice Cream」を選択したチームのパフォーマンス。黄緑色のトップスでツインテールをしているのが藤本さん。動画2:17からの華麗な側転に注目

桑原:桑原彩菜です。私も同じく、3歳ぐらいの時からバレエをやっていたんですが、ゆっくりきれいに踊るより、もっとアップテンポで激しく踊りたいと思うようになってきたんです。もともと歌が大好きで芸能活動もやっていたこともあり、かつてPerfumeさんなどが通っていたアクターズスクール広島に行ってダンスを習い始めました。プロになりたいと思ったきっかけは、小学2年生の時の初めての発表会で踊っている途中に「これだ!」と感じたことです。

コネクトミッションで2PM「My House」のパフォーマンスを行ったグループ。左端に位置するロングヘアの女性が桑原さん。男性グループのミディアムテンポなR&B楽曲を見事に歌いこなした

山内:山内若杏名(もあな)です。私も2、3歳のころからクラシックバレエを始めて、バレエはいったん小学校低学年でやめてしまったんですけど、ちょうどその頃知り合いの結婚式で踊り狂っていたみたいで(笑)。当時、私の友だちでもダンスを始めている子が何人かいたので、同じダンススクールに小学3年生の頃から通うようになりました。

プロを目指そうと思ったのは、K-POPが世界に発信されるようになって、世界中から注目されるようになっているのをYouTubeなどで観て知って、そこから私もダンスを頑張ったら世界に発信できるんじゃないかなと思ったのがきっかけです。

山内さんは探索戦にてなんとソロパフォーマンスを披露。課題曲はBoA「Black」。セクシーな歌唱・ダンスをこなしきり、審査員による初回の国別ランク付けでは日本人3位に選ばれた

久保:久保玲奈です。私は2歳の終わりぐらいのころにスーパーなどでかかっている音楽に合わせてずっと踊っていたみたいで。それを見た両親が「踊るのが好きなんだ」と理解してくれて、近くのダンススタジオに通わせてもらいました。そこからずっと、今でもダンスは続けているので、20年目ぐらいになります。

中央左の帽子を被った女性が久保さん。コンビネーションミッションでの課題曲はBTOB「Missing You」で、抜群の安定力を持つボーカルを武器に、楽曲内で最も重要で目立つ「キリングパート」で大活躍した

小学3年生の時に、SMAPさんの東京ドームライブのバックダンサーとして初めて仕事としてステージに立たせてもらう機会があって、自分もいつかメインとしてステージに立ちたいと思い、その時から自分の夢がダンサーというよりもアーティストというかたちに変わりました。小学6年生の時にはPrizmmy☆というグループでデビューさせていただいて、高校2年生の3月の終わりまで6年間活動させてもらっていたのですが、そこで解散となってしまって。

ですが、私は今でも歌って踊ることがとても好きで、その後にEXPG STUDIOに所属して、ずっとそこでデビューできるように頑張っていたんですけれども、またそこでも夢が叶わず、今回ガールズプラネットにまた挑戦して…というかたちで今に至っているのですが、引き続き頑張っている途中です。

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今の20代以下は幼少期から特訓を積んだ「ダンスエリート」が急増中

写真上段左が山内若杏名さん、上段右が久保玲奈さん、下段左が比屋定和さん、下段中央が藤本彩花さん、下段右が桑原彩菜さん

―― ARATAさんにお聞きしたいんですが、最初にEn Dance Studioの方とこの記事の打ち合わせをしていた際「今ちょうど二十歳ぐらいの子は、小学1年生の時にダンスの必修化があって始めた、キッズダンスブーム第1世代なんです」という話がありました。上の世代と今の世代では明確な違いがあるのでしょうか? 

ARATA:違いはすごくあると思います。今の30代ぐらいは日本にストリートダンスの文化が入ってきた頃の、オリジネーター世代の息子さん・娘さんであるパターンがちらほらあるんですが、大抵は高校の部活や大学のサークルなどで始めた人ばかりです。今28歳の僕なんかもダンスと言えばまずソーラン節だったんですよ。

―― ソーラン節は、1999年に『金八先生』の文化祭のシーンでパフォーマンスが流れて評価が上がり、全国各地の学校で踊られるようになった、という流れがありましたね。

ARATA:はい。あと当時は『ハイスクール・ミュージカル』というテレビ映画(2006年にディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーとして放送)が流行っていて、そうしたものを観て感化された一部の人がやっていたという状況でした。

比屋定:私とか(久保)玲奈ちゃんとかは日本のキッズダンスシーンで結構やっていたので、当時はそれこそ彼女が『DANCE STYLE KIDS(現在は後継メディアの『ダンスク』として運営)』という雑誌のモデルをやってましたね。

比屋定和さん

ARATA:そうだったんですか!あとは彼女たちよりも少し上の世代、今20代で活躍しているダンスグループのGANMIなどの層もいるし、だんだんダンスを始める年齢が若くなっていったんです。

彼女たちのエピソードにあった「2歳から踊り狂っていたから、幼少期から親御さんがダンススクールに通わせた」というのが当たり前の環境になってきていて。僕らの時代はそもそもダンススクールがそもそもそんなになかったし、情報もSNSやYouTube以前だったので口コミベースでした。

僕の場合は野球少年で高校生からダンスをちょっとやって、大学でサークルに入って本格的にダンサーになりたいと思ったという流れだったので、その時代からするとかなり変わってきた印象があります。

―― 今までであれば「日本の音楽界、芸能界でデビューする」という道筋が大半だったのが、K-POPアイドルとしてデビューする道筋もかなり開かれ実例も増えてきました。とはいえ、なぜ文化の違いや言葉の壁もある海外でのデビューを目指すのでしょうか?

久保:今はK-POPが日本でも流行っていて、みんなビジュアルも良くて歌も上手、ダンスもレベルが高い。衣装もかわいいし、曲もポップみたいな。そうした理由で憧れる人が多いんじゃないかなと思います。 

日本のアイドルは「フリフリのワンピースを着る」というようなイメージが一般的に強いと思う一方、K-POPのアイドルはスカートではなくパンツを穿いて、髪の色も金髪もいればピンクもいるし、青もいるしでみんな違います。そうしたカッコいい女の子に憧れる女性が多くなったのかなと。

久保玲奈さん

山内:日本と韓国のアイドルで、アイドルという同じ言葉でも捉えるイメージが違うというところはあるのかなと思いました。

久保:私は幼少期から母の影響で洋楽に興味があって、日本だけじゃなくて海外でも活動してみたいという夢があったんですが、それは簡単なことではないですよね。でも、最近は日本人が韓国に進出して、そこからさらに別の国でも活躍されている方がいて、「日本人でも今は世界進出ができる時代なんだ!」と分かって挑戦したくなったという感じです。

山内:私は海外の高校に通っていたんですけど、ヨーロッパ系や東南アジア系など、いろんな人種の方々がいました。その中でも、やっぱりK-POPがすごく学校でも人気で、「BTSの新曲、すごかったよね」とか、「BLACKPINKの誰々がかわいい」と言い合ってみんなスマホの待ち受けにしていたりしていて。 

いとこが今アメリカにいるんですけど、車で聴くラジオでもしょっちゅうBTSがかかっていると言っています。日本からすると隣の韓国から世界に発信している姿を見ると、「K-POPって世界に行ける道なんだな」と思って、そこを目指す人もどんどん増えているのかなと思います。

ハイレベルなクリエイティビティが問われ、韓国語スキルも求められる「ガルプラ」の舞台裏

―― 日本と韓国で、デビューするまでの過程は結構違うのでしょうか?

藤本:日本はアイドルのオーディションを受けて、合格すればそこまで間を置かずデビューというかたちが多いと思います。一方で韓国は小学生ぐらいの頃から事務所に入って、練習生期間を終えてからごく少数の選ばれし者が最終的にデビューできる。そもそもデビューが難しいというか簡単にできることではないというのが違いかなと思います。

藤本彩花さん

―― 練習生期間は、給料などは出るんですか。

比屋定:出ないですが、住宅と食事が用意されて、あと多少のお小遣いはもらえますね。

山内:最近は、日本でも韓国風のオーディション番組が増えてきているので、似てきている部分もあるかなとも感じます。

―― 皆さんがガルプラで候補者として体験したことは、日本のアイドルオーディションと結構違うものだったんでしょうか。

山内:日本、中国、韓国からそれぞれ33人ずつ選ばれて99人が集まってのスタートだったので、そこは今までのオーディション番組と比べても新しいなと感じましたね。

山内若杏名さん

比屋定:今までだと番組を主催する国とは別の国から参加している人がせいぜい数人ぐらいだったのが多かったのに、ここまで多く集めてやるというのが新鮮でした。 

―― デビュー組を決めるために人数が絞られる、各ミッション(課題)で組むチームは基本的に日中韓合同編成だったわけですけど、まずもって「通訳はどうしているのか」は気になりました。

山内:ごく基本的な説明などは通訳スタッフの方がしてくれますし、本番のパフォーマンスをスタジオで収録している時は、皆イヤモニから常に同時通訳を流してもらっていました。ただ練習中のチーム内の会話は、自分たちなりに韓国語や英語でやってみて、どうしても解決できなかった時はヘルプをお願いする感じでした。

―― メイン言語は韓国の番組なこともあって韓国語でしたが、皆さんはどのぐらい話せるんですか?

比屋定:私は知ってる単語をつなげて会話していました。

桑原:日常会話は全部韓国語なので、リスニング力はどんどんついてくるんですけど、話す方は難易度が上がるので、単語も覚えつつ英語とジェスチャーも交えて頑張って伝える、ということが多かったですね。

桑原彩菜さん

―― ミッションでさまざまな課題が出ていましたが、あれを作り上げる期間ってどのぐらいだったんですか?

桑原:毎回違いましたが、だいたい1週間から2週間ぐらいでした。 

―― 課題曲と言っても、単に決められた振り付けをこなして歌うだけではなく、振り付け自体や衣装・ステージコンセプトも考え、ラップ曲であればリリックを書き、楽曲の編曲を考える子もいました。ダンスや歌が上手いのは当たり前で、プラスアルファで日本のオーディション番組では観たことがないレベルのクリエイティビティが問われていると感じました。

山内:私はダンスの振り付けをつくる機会があったんですけど、今までのオーディション番組と比べてもあまりないような、コンテンポラリー風の曲調だったので、チーム内でもすごく苦戦しました。でもマスターの皆さん(※)にいろんなアドバイスをいただけて、ギリギリ作り終えることができました。

※番組では業界トップランナーの振付師、ボーカルディレクターに加えて、K-POPマスターとして少女時代のティファニー、Wonder Girlsのソンミが審査員兼メンターとして参加し、オーディション参加者たちを時に厳しく、時にベタ褒めしながら指導していた

桑原:私はボーカルだったんですけど、編曲やステージコンセプトなどを決めるために皆で話し合ったんですが、言語の壁もあるし一人ひとりの考えも違うので意思疎通は結構難しかったですね。

山内:番組の第1回で、99人の参加者全員がお披露目パフォーマンスを行って最初のランキングが決まる「探索戦」がありましたが、私はソロでの発表だったんですよ(記事冒頭で埋め込んだBoA「Black」のパフォーマンス動画を参照)。この時は「振り付けは自分で作ってください」と言われたものの、そもそも歌いながら踊ること自体が初めてだったので本当に苦労しました。

―― 探索戦では複数人のグループ編成が主軸だったとはいえ、視聴者も4時間ぐらいかけて99人全員のパフォーマンスを観ていたわけですが、ソロパフォーマンスもあるのかとびっくりしました(笑)。

山内:そうなんですよ。自分でも本当にびっくりしました(笑)。

桑原:探索戦では振り付けが決まっているグループもあった中で、しかもたった一人で考えなきゃいけないっていう。彼女はすごく頑張っていたと思います。

―― オーディションに参加していた中国の子、韓国の子は日本人とこんな風に違うところがあったなと感じることはありましたか?

山内:「日本と違うな」とすごく感じたのは、一人ひとりしっかり意見を持っていて、それを恥ずかしがらず隠さずみんなぶつけて言い合っていたことです。日本人だとつい周囲をうかがってから意見を言うことが多いと思うんですが、自分の意見をしっかり伝えようというパッションを持っていてすごいなと思いました。

―― 僕が番組を通じて受けた印象としては、韓国の子はキャラが濃いし明るくて面白いし、しかも優しい人が多い。デビューメンバーには惜しくも選ばれませんでしたが、キム・ボラさんなどはまさにその筆頭でした。中国の子はスー・ルイチーさんなど、自分の意見をガンガン主張するけれど、自身もしっかり仕上げてくるので、他人に厳しいが自分にも厳しいみたいな人が多い印象でした。日本人は中韓勢と比べれば自己主張は弱いものの、ミッション発表会ではしっかりスキルを見せつけ周囲の信頼を得る、職人タイプが多かったように思います。探索戦の時点から視聴者全員が度肝を抜かれた、江崎ひかるさんはその典型例でしたね。

久保:韓国の子は経験も豊富な方々がたくさんいたので、「自分が持っているスキルを教えてあげよう」という気持ちが大きくて、「できるまで練習に付き合うから一緒にやろう」という感じでした。

桑原:ボラちゃんとかもそうですけど、韓国の子たちは責任感が強いと思いました。「私がチームメンバーとして絶対に勝たせてあげる!」「オンニ(お姉さん)がやってあげるよ」とか、そういう気持ちが強くてメンバーの自信をつけてくれるというか。中国の子たちは自分の意思がしっかりあって、ずっと練習しているイメージがありました。

藤本:K-POPは韓国が本場ですし、ガルプラの参加者も練習生の方がほとんどで経験も知識も私と比べたらすごく幅広くて。なので、韓国の方々からはたくさんのことを教わりました。

―― ざっくりな一般論として「日本のアイドルは原石の状態からデビューして、成長の過程も大いに楽しむもの」というイメージがあり、同時に「だから日本人はオーディション段階ではそこまでレベルが高くない」といった印象も形成されてきたわけですが、ガルプラは番組初回から日本人も含めた全員のレベルの高さに驚きっぱなしでした。 

比屋定:そうしたイメージを持っている人は多かったと思いますが、確かにガルプラは全然違いましたね。

次ページ:まだまだ夢を諦めない!

まだまだ夢を諦めない!

―― 残念ながら皆さんは今回でのデビューは叶わなかったわけですが、「最近はこんなことをやっています」「自分は今後こんな風になっていきたいです」というアピールをいただけますでしょうか。

 比屋定:ガルプラのオーディションから帰国して2週間隔離されて身体がなまってしまっていたので、まずNEXTin DANCE のスタジオに来て、週に何回かレッスンを受けて感覚を取り戻しているところです。今も歌って踊れるアーティストになりたいという気持ちは変わっていないので、それに向けてオーディションを探したりして、デビューに向けて頑張っているところです。

藤本:私は帰国後の隔離中から最近までスランプというか病んで、「これから先何をするべきか」とかそもそも何が楽しいのかとか一回本当に分からなくなっちゃって。でも、よくよく自分を見つめ直して考えたて、やっぱりまだ「K-POPアイドルになりたい」という夢は叶えたいし、これからも挑戦していきたいと思って、今もオーディションを受けているところです。

桑原:私は隔離中にSNSアカウントをつくったので、そこでダンス動画とか歌の動画を発信するために撮影しつつ、ダンスと歌の練習を続けている途中です。アーティストになるという夢は変わっていないので、引き続き頑張っています。

山内:私は、人生で生きていてダンスと歌をやっている瞬間が本当に一番楽しくて幸せで、自分らしくいられるなと思うので、自分が一番好きなことのためにこれからも頑張っていきたいです。最近は(比屋定)和と同じくNEXTin DANCE のスタジオにダンスのレッスンを受けに行っています。

あとは、創作力も上げたいし作曲もできるようになりたいとずっと思っていたので、アメリカの音楽大学に留学します。そこでいろんな知識を得て、引き続き夢に向かって頑張っていきたいです(※2022年1月より渡米し現在は音楽大学に留学中)。

久保:私も、もちろんアーティストの夢は今でも持ち続けているんですが、やはり年齢的に芸能界は難しいところもあったりして、いろんなことを視野に入れつつ、夢を追いかけていきたいと今は考えているところです。 

そして、やはり歌とダンスを続けながら、私も以前にEXPG STUDIOで作曲なども教えていただいていたので、一つの趣味として作曲を自分で時間がある時にやってみたいと思って、作詞を書いてみたりとか。 

『Girls Planet』を見てくださっていた方はボーカルとしてのイメージが強いと思うんですけど、実はダンスのほうが長くなっていたので、自分で振りを考えるのも好きなので振り付けを考えてみたりとか、今後も自分らしい歌とかダンスといったものを発信していかれたらいいと思っています。

* * *

「K-POPアイドルグループでのデビューを目指す日本人」は、これまでの「日本のグループでデビューを目指す人」と全く考え方が違う新世代かと言えば、そんなことはないのだと思う。

東方神起や少女時代の日本デビューから10年以上が経過し、また日本のアイドルグループが東南アジアで人気を博することが決して珍しいことではなくなった昨今から思えば「日本発のグループに外国人メンバーが参加すること」に違和感がなくなったのと同様に、「日本人がK-POPグループに参加すること」もまた、珍しくもなんともないと言えるだろう。

ガルプラの視聴者投票はなんと世界172カ国から行われたという。YouTubeやSpotifyなどを通じて多くの人がアメリカ、イギリスといった「ポップス先進国」以外の音楽も気軽に聴くようになった時代に、「どの国発の音楽なのか」に必要以上の意味を見出すのも、もはや野暮な時代なのかもしれない。

とはいえもちろん、日本人が世界で活躍をしているのを見れば誇らしい気持ちになるのも確かだ。彼女たちが世界のどこかで活躍する姿を楽しみに待っていたい。 


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