CULTURE | 2021/10/13

52歳の誕生日を迎えた今もトップに君臨する石田ゆり子。『逃げ恥』前にあった再ブレイクの兆しと「今が旬」の理由【連載】テレビの窓から(11)

イラスト:IKUMA

木村隆志
コラムニスト、コンサルタント、テレビ解説者
「忖度なし」のスタンスで各媒体に毎...

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「清楚」「可憐」な女性としてブレイク

初めて彼女の存在が全国に知れ渡ったのは、19歳で出演した1989年の『翔んでる!平賀源内』(TBS系)。西田敏行演じる平賀源内の助手で、しかも1人2役だった。ただ、視聴率20%を超えるヒット作ではあるものの、時代劇のマスコット的な役柄のため、それほど認知度が上がったわけではない。

石田ゆり子の人気が沸騰したのは、1991年の『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)。彼女は武田鉄矢が演じる冴えない中年・星野達郎に好意を寄せる受付嬢・岡村涼子を演じた。ドラマが大ヒットしたこともあって、達郎の弟・純平(江口洋介)から思いを寄せられてもまったく気づかない「清楚」「可憐」なキャラクターが、良くも悪くも石田ゆり子のイメージとなっていく。

知名度を一気に上げた石田ゆり子は、1992年に『君のためにできること』(フジテレビ系)、1994~1996年に『美味しんぼ』シリーズ(フジテレビ系)にヒロインとして出演。やはり「守ってあげたくなる」という印象の可憐な女性を演じることが多かった。

そのころ妹の石田ひかりは、1992年に朝ドラ『ひらり』(NHK)、1993年に『あすなろ白書』(フジテレビ系)で主演を務め、両年の『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を務めるなど、国民的女優の座に君臨。姉・ゆり子は意地悪なメディアや世間の人々に比べられる不本意な状態が続いていた。

1997年、「清楚」「可憐」なイメージを覆すべく『不機嫌な果実』(TBS系)で不倫を繰り返す色気あふれる悪女に挑戦。「思い切ったイメチェン」と話題にはなったが、それでも世間の印象は変わらなかった。さらに21世紀に入って以降も、コンスタントに出演こそ重ねていたものの、連ドラ主演やヒロインを務める機会は減り、1990年代ほどメディアをにぎわせることがなくなっていく……。

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