CULTURE | 2023/10/04

人権先進国の北欧で「極右」が台頭するワケと、日本が目指すべき外国人との共生ビジョン 倉本圭造×橋本直子対談(中編)

連載「あたらしい意識高い系をはじめよう」特別編

文・構成・写真:神保勇揮(FINDERS編集部)

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では日本での「外国人共生」は具体的にどうすればいい?

橋本:私の専門である難民政策についてちょっと大き目の話をさせて頂くと、良し悪しは別にして、今の世界は国境で隔てられた主権国家から成り立っていて、各々の人が国籍というカテゴリー別に分類されています。例えば難民ではない人で、しかも本国がで紛争状態にあるとか拷問とか、生死にかかわるような状況が待っているといった恐れもなくて、かつ日本に家族がいるなどの人道的な理由も一切ない場合には、嫌だったとしても自分の国籍国に帰っていただくしか現時点ではオプションが無い外国人がいるというのも現実です。

たまたまどこの国で誰から生まれたか、つまり「国ガチャ」で、人生のほとんどが決まってしまう現状は極めて不条理・不公平だとは思いますが、それは今の世界においてしばらくは変えられる見込みのない「定数」としていったん受け入れて、その上でどこまで世界の不条理を是正できるか、ではないでしょうか。

倉本:それはメチャクチャ本質的な話ですね。世の中の一方には、あらゆる「国境線」的な存在が一切許せない人たちがいて、逆に一種の「民族純血主義者」みたいな人がいる。でも多くはそういう極端な人間ではなくて、ある種の現実主義としての国境線の存在を認めている。

ただ、この問題の難しいところは、何か特定の小さな具体例についてですら「スタンス」をとって意見を言うと、それがもう不可避的に「どちらかの極端」に吸い寄せられかねないことだなと思います。

「ある可哀想な人」が例えばいて、この人は人道的な理由で査証発行が認められるべきだ、という意見を一つ持ったとしたら、「じゃあこの人には認められるなら、この人にも認められないのはなぜだ?」みたいな問題が果てしなく芋づる式に発生して、結局最終的に「国境線がゼロの世界でなければならないビジョン」と「民族純血主義」みたいな2つの理想像の間の綱引きになってしまう性質がある。

対談前のメール打ち合わせで、橋本さんも似たような問題意識について語っておられましたよね?

橋本:例えば2022年3月から日本政府は、ウクライナ避難民に対してほぼ無条件でビザを瞬く間に発給して、来日後も日本史上類を見ない、極めて寛大な受け入れ方を官民一体となってやっています。

一方で、その半年くらい前にアフガニスタンから、日本の大使館やJICA、NGOなどで長年働いた非日本人の現地職員が、「外国勢力で働いた裏切り者」としてタリバンに迫害されるから日本に退避したいと言ってきた時に、その圧倒的大多数の元現地職員に対して日本政府は査証発給を拒否したんですよね。ちょっとキツイ言い方になるかもしれませんが、日本のせいで殺される危険が迫る元同僚を、日本政府は見捨てたんです。知人の多くは、私財をなげうって元同僚を支援したいと懇願したのに、日本政府が査証を発給してくれないんじゃ、救いようもない。

これについては私は本気で怒っていて、1年半程前のNHK『日曜討論』に当時の法務大臣と一緒に出演させていただいた際に、生放送で「ウクライナ人だけに対する類稀な優遇振りと、アフガニスタンの元現地職員に対する非人道性のあまりの差はおかしくないですか?」という主旨のことを言ってしまって。後で法務大臣、NHK、視聴者の方々から批判が殺到するかなとビビッていたら、全くその逆で、一般の視聴者からも「よく言ってくれた」「私達の想いを代弁してくれてありがとう」みたいな反応ばかりで、逆に驚きました。

実はアフガニスタン現地職員の救出における愚策については、自衛隊の元幕僚長ですら苦言を呈しています。おそらくどんなに保守的な方でも、「日の丸のために長年働いてくれた元同僚ですら、見殺しにすべきだ」とは思わないんじゃないでしょうか?

確かに全員を救うことはできないし、どこかで「線」を引かなくてはならない。じゃあ、まずは国内で圧倒的大多数の人が「そりゃそうだよね」と納得できるグループから具体的な手を打って、他の「応用問題」には徐々に対応していく、というのも戦略としては仕方が無い場合もあるかもしれません。

私もForbes連載で記事を書いたのですが、今年8月上旬に発表された「日本生まれで在留資格の無い子どもとその家族への在留特別許可」にもそういう部分があったと思います。

倉本:もっと単純な例を想像して軽い気持ちでお聞きした質問に対して、超ド級の考えさせられるネタが返ってきて正直びっくりしてますが、さすが橋本さんの立場が違う人との対話能力はすごいなと思いました(笑)。

この問題について世界中の色んな事例を知っている深いバックグラウンドから、話の流れに応じて物凄く的確なサンプルを出してきてくださるのでこの対談自体が凄い刺激的で、何度も目が覚める感じになるところがあります。

たしかにその事例は本当にヒドイ話でしたよね。でもまあアメリカの例もかなりヒドイという話も聞きましたし、こういう非常時にはよくある「国家というものが持つ冷酷さ」なのかもしれませんが。

その事件に関して言うと、どうやって「保守派側」も納得させられるメッセージの出し方ができるか?は考えてみても良いかもしれませんね。

ひとつは、「日本国のために献身してくれた人にこの仕打ちでいいのか?」という、その元自衛隊統合幕僚長の方の発言のようなメッセージの出し方を大事にするということは、橋本さんもおっしゃったように「経緯はどうあれ日本語で育ってしまった児童」の問題を今後解決していく時にも重要になってくるポイントだと思います。

あと、僕はこういう時毎回思うんですが、日本における論争って「定量的」な発想が全くなさすぎてあまりにも無意味な空論になることがありますよね。

例えばこれは昔記事を書いて詳細に分析したことがあるんですが、「世界一の少子高齢化で膨れ上がる医療費があまりにも膨大すぎるので、効果を減らさないように注意しながらほんの1%でも効率化する事を考えてくれたら、その予算であの問題もこの問題も全部札束で殴りまくるぐらいの事ができる規模感なので協力してください」というレベルの話が、「お前は老人に◯ねというのか!」みたいな話になり、さらに売り言葉に買い言葉で「ああそうだ、老害は◯ね!ってことなんだよ!」みたいなどうしようもない感情対立にヒートアップしてしまう。

でもこの例で言うと、「たった1%のこと」なのか、それとも「国民皆保険をやめる」っていう話なのか…という部分がごっちゃになってイメージされていて、その「1%」を飲んでしまうと、もうアメリカみたいに貧乏人はまともな医療が受けられない世界にまっしぐらになってしまうんじゃないかという「恐怖」があるから紛糾するんだと思うんですね。

同じようにこのアフガン撤退の例で言えば、要するに「日本と特別なつながりを持つ人達の極めて例外的な受け入れ」ということなのか、日本がアメリカ型の「移民国家」への道を踏み出す一歩なのか…みたいな話で、「最初の一歩」と「非常に極端な方向性の最終イメージ」がごっちゃにされないようにするメッセージの出し方が重要ではないか?と毎回思っています。

その切実な事例のアフガニスタン元現地職員とその直近家族の受け入れに反対するなんて、お前は日本が技能実習生を何人受け入れてると思ってるんだって話じゃないですか(笑)。技能実習生はいま日本に30万人ぐらいいますよね?「在留外国人」とかいうくくりになったらさらにその10倍とかいるわけじゃないですか(編注:2022年末時点で約307万人)。

その「いまさら誤差ってレベルの人数を受け入れる。しかも日本国に尽くしてくれた人々を受け入れる」のを渋るような国でいいのか?というようなメッセージの出し方を両輪でやっていくことが大事だと思います。

この「定量感をちゃんと伝える」という話も、今後の日本の移民・難民問題において「保守派側の理解を得る」時に重要なポイントだと思いますね。

なんにせよ、こういうのは全て理屈だけで決められる話ではないので、どちら側に属しているにしろ単なる原則論的な理想を言ってるだけの人は「現実に対する責任」を取っていないという風にも言えると思うんですね。

「あらゆる人が納得するやり方などないが、現実にどこかに線を引かなくちゃいけない」となった時に、どうすれば「最も不幸が減らせるのか?」「どう決めていくのがフェアなのか?」ということを考えていく必要がある。

そして「敵側へのメッセージの伝え方」をこそ真剣に考えるべきだし、SNSで「自分たちの“敵”がどれだけゲスなやつらか…を最大限華麗に140文字で言えるか?というゲーム」をやり込んで“お仲間”さんたちから喝采を浴びている人たちは、実際に問題を解決するつもりなんか一切ないんだろうと思っています。

橋本:「敵側へのメッセージの出し方」まで含めて「現実への責任感なのだ」という視点には非常に共感します。さらに言うと、倉本さんのいう「メタ正義」的な発想で、「相手側がそれを主張する事情を迎えに行って、相手の懸念点を解決した方が勝ち」っていう姿勢は本当に大事で、いつも私も心掛けています。

私に親しみのあるリベラル側で言えば、やたらと「ニューカン」を「敵」と設定して叩いている人達は多いですが、そもそも入管はそのさらに右側の極右からの批判にもさらされつつ日々政策を作って実行してるわけです。

だから、本気でリベラルな外国人政策を実現したいなら、入管よりもっとずーっと「右側」を見つめて、彼らの懸念を払しょくするような具体的解決策を示す必要がある。リベラルはニューカンを敵に設定した時点で、完全に敗けが確定しています。もっとずっと「右」を見ないと。

倉本:まったくおっしゃる通りで、この問題を「メタ正義」的に考えるとどうなるかというと、できる限り「国境を開きたい」と思っている人は、「排外主義」を支える「普通の人々のうっすらとした不安感」に徹底的に寄り添ったメッセージを出していくべきなんですよね。

そして積極的に「社会統合策」の旗をふり、「日本社会の一員として」頑張ってもらえるようにしていきましょう…というようにしていけば、「排外主義」に根本的に打ち克っていくことが可能になるでしょう。

特に最近は、中編冒頭で橋本さんもおっしゃっていましたが、「欧米は移民で失敗した。日本は移民・難民を完全にシャットアウトすべきだ」というムーブメントが盛り上がりつつありますよね。それは、「普通の人々」のうっすらとした不安によって受胎しているムーブメントだから、上から目線で説教しまくると余計に排外主義にエネルギーを与えてしまう。

そこで「メタ正義的」に考えて、「反対勢力が訴えている懸念を根本的に解決する」ことで、「もっと根本的な形で排外主義に勝利する」道が見えてくる。

必ずしもノルウェーも安泰ではないという話ではありますが、現時点での「象徴的」な意味においては「スウェーデンではなくノルウェー型を目指すのだ」という合意をいかに取り付けていくかが大事ですね。

「人々の不安」にも寄り添いつつ、新しい仲間をちゃんと「文化統合」していく政策を徹底してエンパワーしていくことで、以下のような「フワッとした印象」を多くの日本人に持ってもらえるところまで行けるんじゃないかと思っているんです。

…ここまでいければ、「最も健全な形で排外主義に打ち克つ」ことができるだけでなく、人類社会を真っ二つに分断している問題に新しい現実的かつ中庸の解決ビジョンを日本発で示していくことが可能になると思います。

「単にSNSで華麗に“敵”を論破して“お仲間”だけから喝采を浴びるゲーム」ではなく、社会を本当に「変えて」いくための戦いをやっていきたいですね。

「中編」ではここまで結構大きな社会の話をしてきましたが、次回の「後編」では一転してもっと具体的な、今日本のSNSを騒がせる川口市のクルド人問題のような課題について橋本さんと話してみたいと思っています。


対談前編はこちら

対談後編はこちら

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