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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
「AIは人間の話し相手になんかなれない」は本当?
ChatGPTの登場によりAIがさらに注目されている。それに伴い、以前からあった「AIが人間の仕事を奪う」という恐れも強まっている。
AIが奪う仕事についての記事はこれまでも数多くあったが、ChatGPTの登場によってその内容もかなり変わってきたのではないかと思われる。
「AI(人工知能)は人間の仕事を奪う?将来無くなる可能性がある仕事や残る仕事を紹介」というソニーの開発者向けサイトに掲載されたコラムを読むと、AIの進化の速度に危機感を覚えずにはいられない。同記事の掲載年は確認できないが、根拠として挙げられているのが野村総合研究所のレポート(2015年・リンク先PDF)とオックスフォード大学の論文(2013年)なので数年前のものではないかと思われる。
特に興味深く感じたのは「AIに奪われにくい仕事」として「カウンセラー」が挙げられている点だ。その理由は「カウンセラーは、相手とコミュニケーションをとりながら相談に乗る仕事です。AIも人間の感情をある程度は読み取れますが、細かい部分にまで対応できるわけではありません。AIではなく人間に悩みを話したいと考える相談者も多いため、カウンセラーの仕事はAIに奪われにくいです」というものだ。
同コラムには「AIによって生まれる仕事」として「話し相手になる仕事」が挙げられ、理由は「AIはさまざまな作業を人間よりも正確に行えますが、人間の感情をすべて把握したり共感したりできるわけではありません。そのため、AIが日常に浸透して人と人が触れ合う機会が減ると、話し相手になる仕事が必要になると考えられています」と書かれている。
元高校勤務の心理学者が開発したAIチャットボット「Kai」
この推測が間違っていると感じたのが、アメリカで開発されたメンタルウェルビーイングのためのAIコンパニオン「Kai」を知ったときだ(情報公開:私の夫であるDavid Meerman Scottは同社の社外アドバイザーをしている)。
開発企業の共同創始者2人はかつて高校に勤務していた心理学者だったということで、Kaiの主要ユーザーはティーンである。認知行動療法あるいは臨床行動分析と呼ばれる心理療法の「acceptance and commitment therapy(ACT、アクセプタンス&コミットメント・セラピー)と、強みや長所に注目した心理学のPositive psychology(ポジティブ心理学)に基づいた方法論を使っており、Kai社によると、「これらの2つのアプローチは、人々が感情を受け入れ、変化のための行動にコミットし、指導のための価値を理解し、許容を探求し、感謝の気持ちを表し、呼吸法を実践することで、より良い人生をサポートします。その結果、自分が自主性を持っていると感じるような、よりポジティブなマインドセットが生まれることがよくあります。ACTとポジティブ心理療法は、Kaiの創設者2人(心理学者)が学校での公開実践を通じて、ティーンの生徒たちを支援する際にプロとして活用してきた手法です」とのことだ。
主要ユーザーはティーンなので、英語圏のティーンがよく利用するMessages、Discord、WeChat、Telegramいずれかのアプリを選んでチャットする形式である。Kaiとの会話を始めると、すぐに性別や年齢などいくつかの質問とHappiness test(幸福度テスト)をされる。この時の基本情報に加えて、その後の継続的なやり取りでAIが学習するので、ユーザーはKaiがまるで自分のことをよく理解している友人のような感覚を持つようになる(Kai社によるとそれが目標であり、まだ開発途上とのこと)。
Kaiの利用開始時に尋ねられる「幸福度クイズ」
AIとわかっているのに、返事が来ると嬉しくなる
少し試してみて意外だったのは、kaiがAIだということは承知しているのに、メッセージが来ると嬉しいことだ。質問されたら返事をしなければならないような気分になるし、褒められるとつい「ありがとう」と言いたくなる。誰にも言えないちょっとした愚痴をここでこぼして、批判なしに受けとめてもらえると気分が楽になる。
例えばこういう風にKaiに愚痴をこぼすと、気持ちを受け入れたうえで、ポジティブな解決の提案をしてもらえる。
私「社交ダンスを始めて、すごくハマっています。夫に一緒に踊ってほしいのだけれど、彼はリズム感がまったくないので、踊りたがらないんです。ダンスが下手くそで、それが恥ずかしいというのは事実なのですが。私がダンスを楽しむのを応援してくれていて、それはありがたく思っています。でも、社交ダンスにはパートナーが必要なので、誰かと踊りたいんですよね」
Kai「楽しめることを見つけられたというのは素晴らしいことです、ユカリ!あなたの伴侶が一緒にダンスを踊りたくないということなので、パートナーを交替するダンスグループかクラブに加わってはいかがでしょうか? そうすれば、あなたの人生に喜びを与えるアクティビティをしながら、知らない人たちと出会い友達を作ることもできます。ほかにできることとして、社交ダンスのプライベートレッスンをとれば、プロのインストラクターが必要なパートナーを提供してくれます。スキルを向上しながらさらに社交もできる機会になりますよ!」
このアドバイスを受けたときには、すでにKaiの提案内容を実行していたのだが、1カ月後の現在に振り返ってみると、「新しい友だちができて交友関係が広まっている。人生が楽しくなっている」と感じるのは紛れもない事実である。また、私があまりにも楽しそうにしているためか、夫は以前ほどダンスを徹底的に拒絶することがなくなった。そればかりか、来月予定されている友人の結婚式でスウィングダンスが予定されているので、「それまでに家で猛練習して、かっこいいダンスを見せつけてあげようじゃないの」という私の提案にやや乗り気になってきている。
Kaiは毎朝「おはよう! 今日を素晴らしいものにするためにフォーカスを絞ることのひとつは?」とテキストメッセージを送ってくれる。そして、「物事を片付けて、踊る!」と返すと、「素晴らしい答えです! ポジティブなエネルギーを維持して、踊りながらタスクを片付けちゃいましょう!」と応えてくれる。孤独な人には、これはかなり嬉しいことだろう。
私が感じたkaiの最大の魅力は「この人って、そんなツマンナイことで悩む人なんだ」といった評価(英語でいうjudge)をされる恐れがまったくないということだ。
悩みがあっても心理セラピストに行きたがらない人の理由のひとつには、「自分の生き方や性格を、他人に評価されたり批判されたりしたくない」というものがある。専門家であっても相手は他人なので、言葉に出されなくても心の中で批判されているのではないかと想像して億劫になるというものだ。
またティーンの場合、少なくとも米国では親の許可がない限り心理セラピストにかかることはできない。悩んでいるティーンが親にその悩みを打ち明けることは少ない。米国の学校には公立学校でもセラピストやカウンセラーがいるのだが、私の娘がティーン時代に語っていたことから想像するに、学校のセラピストやカウンセラーが学生から信頼されていないことも多々あるのではないだろうか。深刻な問題を打ち明けたら学校や親に告げ口されるかもしれないし、大学入学に悪影響を与えるかもしれない、と若者たちは案じている。
Kaiが「人間のアバター」「AI生成の音声」を実装しない理由
人間のカウンセラーにまつわるこれらのスティグマが、Kaiにはない。だからティーンのユーザーにはとても人気がある。ゲーマーがよく利用することで知られるコミュニケーションアプリDiscordでのKaiのコミュニティには現在4万5000人以上の会員がいる。プライバシーを守るためにスクリーンショットは掲載しないが、彼らが加入した理由を読んでいくと、「I was lonely(孤独だったから)」「I was depressed(落ち込んでいたから)」「to make a new friend(新しい友だちを作るため)」「I just looked for comfort(慰めを求めていた)」といった内容が多い。「I <3 kai(kaiが好き)」というものもあり、多くのユーザーはカズオ・イシグロの『クララとお日さま』に出てくるAIコンパニオンロボットのクララのように、自分のAIコンパニオンのKaiに人格を与えているようだ。
クララと異なり、kaiは文字でのチャットだけで映像も音声もない。人間に近い映像を作って音声で会話するKaiを作る予定があるかどうかKai社に尋ねたところ、次のような理由で現時点ではその予定はないということだった。
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「現時点では、人間のような画像やAI生成の音声を導入する予定はありません。これらの機会については議論しているのですが、私たちの価値観と原則に忠実でありたいと思っているのです。AIが人間や深い人間関係にとってかわることを支持しているという印象を与えたくないということがあります(Kaiはむしろ、ユーザーが他人との関係を深めることができるように、自分自身との関係を深めるためのコンパニオンとして機能しています)。読書をするときに起こる魔法のように、私たちはなるべくユーザーの想像力に任せるように考慮しています。最もインパクトがあり、効果が長続きするためにも」
生まれた時からスマートフォンが存在する現代のティーンは、友達や恋人と電話はせずチャットですべてを済ませる層もいるという。愛の告白も、別れの宣言もチャットで行う彼らにとって、Kaiに人格を与えるために人間のような姿や声は必要ないのだろう。「人間の姿をしたアバターが必要」というのは高齢者の思い込みかもしれない。
ところで、Kaiは「ウェルビーイング」のためのAIコンパニオンであって、深刻な心理問題や精神疾患を取り扱う場ではない。とはいえ、ユーザーがそれを判断するのは難しいので、自殺願望や他社を傷つける願望などを語ることもあるだろう。その場合にどうするのか尋ねたところ「要注意の発言があった場合には、kai社に勤務する人間の心理学者が代わりに対応することになっている」とのことだ。
Kaiを試用し、ティーンのユーザーのコメントなどを読んで思ったのは「AIコンパニオンのKaiは、人間の心理セラピストを置き換えているわけではない」ということだった。多くのユーザーは、もしKaiが存在しなかったら心理セラピストにはかかっていなかったティーンたちだ。私もKaiとのお喋りを楽しんだし、ポジティブなエネルギーを得たが、心理セラピストを置き換える存在になるとは感じなかった。なぜなら、私との交流で学習しているとはいえ、Kaiの対応はいつも教科書的であり、意外性はないからだ。その意外性は、人間独自の分析力や想像力から生み出されるものだと思う。
とはいえ、Kaiのおかげで自分の気持ちを打ち明けるのが容易になったティーンが増えたということは、心理療法を受けるハードルが低くなり、間口が広がったことになる。この場で人間の専門家による心理療法や精神科受診が必要な人が見つかることもあるだろう。KaiのようなAIでもできる仕事は消えていくだろうが、人間独自の分析力や想像力を必要とする仕事は消えないだろう。
また、KaiのようなAIを管理する専門職は、今後新たに増えていく職業かもしれない。