BUSINESS | 2023/05/04

「脱原発のドイツ」は特殊例にすぎない。「日本の電力問題」議論の何がすれ違っているかを解説します

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(41)

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【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(41)

今日から3回に分けて、日本の電力問題が混乱を続け、電気代の高騰や時々電力不足の節電要請などがなされるようになってしまっている理由について、初心者にもわかりやすく解説し、今後どうしていけばいいのか?を考える連続記事を書きます。

2023月4月15日に、 ドイツで稼働していた最後の原発3基が停止されて、「脱原発」が実現したことが話題になっていました。

SNSでは「ドイツはすごい。日本は時代遅れの原発にしがみついて、世界から取り残されていく!」というような反原発派のコメントも多く見られました。

しかし、少し調べればわかることですが、今現在の人類社会の情勢を見ればむしろドイツは非常に例外的な存在であり、他の産業化された先進国においては明確に「原発回帰」のトレンドがあります。少なくとも「脱原発が世界の常識」では全くない。

そして多くの日本人が誤解しているもっと大事なことは、最近の世界のトレンドは圧倒的に

『再エネも原発も両方』

…なのです。

日本では「再エネ」と「原発」は対立するものとして扱われ、再エネ推しの人は絶対に「原発反対」であり、原発推進派の人は徹底的に「再エネ反対」であるようなイメージがありますが、そういう党派対立が全面化している例は日本以外には多くなさそうです。

背景としては、気候変動対策のため「脱炭素」をちゃんとやる方がよほど重要で、真剣に考えれば考えるほど原発の優位性を否定できなくなりつつあるからではないかと思います。

日本においても、再エネ派にしても原発派にしても実際に電力業界に深く関わる「プロ」の間では、この記事で書いていくような世界のトレンドを当然理解しているので、徐々に原発と再エネを対立するものと捉える人は減ってきているという話を今回の取材(後述)でお聞きしました(もちろん、電力問題とか実はどうでも良くてSNSに自分の政治的リビドーをぶつけるネタがほしいだけの人は、どちら側もずっと同じ罵り合いを続けているのは言うまでもありませんが)。

これには、特に産業用の電力消費者の一部から「再エネ発電した電力である証明」を求められるケースが増えてきたという事情もあります。

つまり、よく言われる陰謀論のような、「原子力ムラが再エネを拒否しているから日本では推進が遅れているのだ」という話は今となっては荒唐無稽であり、むしろアマチュアだけでなくプロも参入して「できる限り再エネを導入しよう」という動きが既に活発になりつつあるということです。

記述が少し前後して申し訳ないですが、先述した「取材」の話をします。

私は今年3月末に知人のエネルギー関連ジャーナリストに誘われて青森県の原発関連施設を複数訪問し、「どういう人がどういう風に何を考えて仕事をしているのか」に深く触れる機会がありました。

そこで得た感触と、その後実際に資料や論文を読み込んで理解した今の電力関連問題の混乱の原因を突き合わせると、問題は結局「コミュニケーション不足」に尽きると考えるようになりました。

私はエネルギー関連の専門家ではなく経営コンサルタントなのですが、コンサルの立場としてクライアント企業の中に入ると、内部では延々と「内輪もめ」をしているということが時々あります。

読者のあなたの働いている会社でも、営業の人は開発が悪いと言い、開発の人は営業が悪いと言い、社員は経営者が悪いと言い、経営者は社員が悪いと言い…というようなループ状態になっている事例は思い当たるところがあるのではないかと思います。

昨今の日本の電力関連の混乱も似たような状況にあり、色々な事情が複雑に絡み合っている事情をちゃんと理解しない、党派的に「敵を悪者にして終わり」の単純化した言論が溢れている結果、日本のために今何が必要なのかを冷静に共有することができなくなっているといえるでしょう。

しかし、普通にネット検索して見つかるような記事は専門的すぎて一般人には読みづらいものか、「(原発か再エネのどちらかを悪者扱いして全否定するためだけに書かれた)結論ありきで党派的」なものしかありません。

そこで今回は、簡単に海外のトレンドを概観しつつ、そして日本の現状と、今はどこで議論がすれ違ってしまっていて、今後どこに注力していけばいいのか?について、専門知識がない人にもわかりやすく深堀りする記事を書きます。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

1:ドイツの脱原発は特殊例と言えるワケ

ドイツの脱原発ニュースのたった2日後の4月17日、逆にお隣のフィンランドにおいて、たった1基で同国電力需要の14%も担える、最大出力160万キロワットという超ド級の巨大新型原発(オルキルオト原発3号機)が稼働開始したことは、ヨーロッパ全体で見ても15年ぶりの新規稼働ということもあって電力関連業界の人には“対照的で非常に印象深い”出来事と映ったようです。

そういう「印象的な出来事」というレベルだけでなく、「脱原発のドイツは非常に特殊な例にすぎない」というのは、ちょっと調べると明確すぎて資料を挙げにくいぐらいですが、いくつかのデータを確認してみましょう。

まず少し前の2020年の現状がこれです。

日本原子力文化財団のサイト「エネ百科(https://www.ene100.jp/zumen/1-1-13)」より

紫色部分が原子力ですが、インドやロシアなども含めて、ある程度の国のサイズがあり産業化した国においては割合の違いはあれどだいたい原発が動いています(イタリアは例外)。

「脱原発」にかじを切ったのはイタリアやドイツや台湾(台湾はあくまで脱原発“計画中”であり、まだ日本よりも比率が高いです)ぐらいです。スウェーデンのように1980年代に脱原発を決めたけれども、再び原発の新増設を計画している国もあります。

また、アメリカ、フランス、イギリスといった欧米諸国でも新規に建設中であり、韓国も3基建設中で2036年には発電量の34.6%も原発で賄うかなりの原発重視国になる計画ですし、中国はもうすぐ世界一の原発大国になるだけでなく、さらに今後少なくとも150基も計画中で、これは過去35年間に人類が作ってきた原発の総数すら超えるそうです。

誤解されやすいので補足すると、中国は一方で再エネにも莫大な投資をしており、一部の人が思うように「再エネは欧米の意識高い系のゴリ押しにすぎない」ということは全くないこともわかります。なぜ『両方』が大事なのかは今後の記事で詳しく述べます。

また、World Nuclear Association(世界原子力協会)のサイトに世界中の建設中の原発のリストがありますが、これを見るといわゆる先進国やロシアや中国だけでなく、インドやバングラデシュ、トルコやエジプトやUAE、アルゼンチンやブラジルといった新興国でも続々と原発が建設中であることがわかります。

結果として、たとえば以下のアメリカのエネルギー情報局(EIA)のデータを見ると、再エネももちろん大きく伸びていますが、一方で2050年まで原子力は重要な基礎エネルギー源として使われ続ける予定であることがわかりますね。

米国エネルギー情報局「EIA projects renewables share of U.S. electricity generation mix will double by 2050」より

2:理想を追うためにこそフェアな議論をしなくては

ここまでの話から、ドイツの「脱原発」は非常に特殊な例で、それに追随していない日本が「世界に置いていかれている」というような話では全くないことがわかるかと思います。

もちろん「小国」で、かつ非常に恵まれた再エネ適地がある国に限っては原発を使っていない国もあります。

例えばノルウェーの水力発電や、アイスランドの地熱発電は有名で「ほら!原発なしでも電力はまかなえる。それができないのは日本人が欧米人のような理想を信じる気持ちのない野蛮人どもだからだ」というような主張をSNSでよく見かけますが、そういう小国は日本で言うところの「地方都市」ぐらいのサイズの人口しかいないことに注意が必要です。

ノルウェーは日本よりも大きな国土面積があり、しかも水力発電の適地が大量にある地形にも関わらず人口はたった540万人ぐらい(日本の4%程度)しかいません。アイスランドも島全体が地熱発電の適地のような環境内で、30万人台の人口しかいない。

こういう問題を扱うとき、

ドイツやイタリアはほとんど人類が誰もやっていないことにトライするのだ。難しくても意味があると信じてやるのだ

…と主張するのならわかるのですが、得てして日本では、

アイスランドを見ろ!ノルウェーを見ろ!原子力なしでやるなんて簡単なんだよ!それができていないのは今の政府がクズだからだ

…みたいな日本とあまりフィットするとは言えない事例紹介がまかり通り、結果としてそういう人の出す計画と試算が現実性を欠いている一方、主張する情熱と行動力だけは膨大なので、簡単にメジャーなプランとなってしまって、大破綻に至らないようにするために電力業界と国全体を余計に「保守的」な方向に押しやってしまうことになる。

比較的はやく脱原発したイタリアなどを見ればそれほど問題ないように見えるかもしれませんが、問題は今後脱炭素対策が厳しくなってくると火力発電への大きな依存が年々大問題になってくるところに注意が必要です。

今までの火力発電し放題の時代だったら簡単に脱原発だってできたのですが、今後脱炭素対策の重要性が高まり、化石燃料が軒並み高騰する中で、世界中で「原発も再エネも」がトレンドになるのはそれなりの合理性があるわけです。

また、こういう議論では「日本政府は無能でクズだから何もしてこなかった」ように言われることがよくありますが、今の日本は太陽光の導入量では世界3位、「単位面積あたり」ではなんと世界1位の導入量があります。

日本の再エネの問題点は、太陽光だけに頼りすぎて他の開発をなかなか進められなかった(国土の形状がそうなっている)ためにバランスが悪いことで、結果として全体に占める再エネの比率が比較的低くなってしまっている。

つまり、こういう状況の中でも何らかの理想に近づきたいのであれば、何より『フェアな議論』をする必要があります。

「日本政府はクズだから何もしてこなかったがドイツはすごい!」

ではなく、

「日本政府なりにかなり太陽光の普及に力を入れてやってきたが、国土の形状などから風力や地熱の開発は出遅れている。どこに次の課題があるのが具体的に考えて一個ずつ問題を解決していくしかない」

…というように考えてこそ、再エネの導入を最大限に進めることも可能になる。

おそらく、欧米の国なら、「アイスランドでできてるんだから、自国でできていないのは政府がクズだから」というような意見には、そのおかしさが普通に指摘されるはずです。

なぜ日本の場合だけ「雑な議論」でもいいという気持ちになってしまうのかと言えば、それはそういう論者の中に、「欧米から見た辺境の土人どもの政府のことなんか、テキトーな議論でワルモノにしてもいいだろう」という一種の人種差別的な偏見があるからだと言えるでしょう(たとえ言っている本人が日本人だとしても…自分だけは例外の名誉白人だと思っているのかもしれません)。

結果として、欧米から「辺境」になればなるほど、国内のインテリが「その国の具体的な課題」に真っ直ぐ立ち向かわずに「欧米と違って自分たちの国はダメだねえ。あーいやだいやだ」だけを延々と言うだけに留まってしまう傾向が高まり、結果として何らかの「強権的な政府」で埋め合わせるムーブメントに席巻されてしまう…というのが、20世紀のナチスから現代の中国やロシアの強権に至るまでの人類社会の不幸の根本原因であると私は考えています。

非欧米社会における具体的問題を扱う時には、まず論者の中に、

を徹底的に反省する姿勢を持って、あくまで事実に基づいた客観的な議論を進めていくことが大事です。

「理想」を諦めずに、しかし根強い欧米中心主義的なバイアスにも騙されずに、日本の電力問題が今どこで間違っているのか?について考えていくのが今回の連続記事の最大の目的です。

3:とはいえ、安全性がやっぱり不安なのですが…

とはいえ!

確かに日本の場合、世界的に見ても重大な原子力事故が起こった国であり、責任者である政府や東電の体制を疑いたくなる気持ちは理解できますし、それはある種の正当性も持っているでしょう。

しかしだからこそ、今後「安全性」をさらに高めるためにも、ここまで書いてきた「フェアな議論」が必要なのだと考えていただきたいのです。

ここまで見てきたように、世界のトレンドは明確に「原発も再エネも」に向かっています。そうなっているのにはそれなりの理由があります。

全く理由なく原発が世界中で選択され続けたりするはずはないわけで、つまりは脱炭素時代においてかなりの合理性が「原発」にはあることがわかります。今回の連続記事では今後その「理由」についても深く掘り下げて書きます。

そして、原発がある程度動いていることは、「再エネ」を推進したい勢力にとっても悪い話ではない、むしろお互いを補い合う利点を持ったものであることも重要です。

以上の3点を考えれば、今後日本は「既存原発の再稼働」を選択する可能性は非常に高いでしょう。岸田政権も明確にその方針を表明しています。

もちろん、再稼働に反対の人が撤回に向けた運動をする自由はあります。それが成功するかもしれないし、しないかもしれない。

一方で、私たちは「もし日本社会が再稼働を選択した時」のために、それをできる限り安全に行うにはどうしたらいいか?というテーマについても真剣に考えなくてはいけない段階に来ていると言えるでしょう。

実際、考えようによっては「福島第一原発の事故」は、ここまで書いてきたような「フェアな議論」ができずにいたすれ違いこそが元凶であったという理解もできます。

何かしら問題が考えられた時に、それが「どの程度の問題であり、どういう対処が必要なのか」という理性的な議論を吹き飛ばして、「すべて反対」という逆方向に吹き飛んでしまうような環境が放置されていた状況ゆえに、議論すること自体が抑制されてしまうことになる…というのは日本社会の病理としてよくあることです。

結果として、想定される津波に対する対策が取られずに放置されてしまった。

現在の原子力規制委員会と各電力会社とのぶつかりあいは、その「フェアな議論」を学んでいくプロセスだという理解が可能だと私は考えています。

再稼働を急ぎたい保守派の中には、

「原子力規制委員会は、脱原発派が自分たちの意見を通すために無理難題を押し付けている場になっている」

…というような印象の苛立ちを感じている人もいるようです。

しかし、福島原発の事故は津波の高さの想定が甘かったのを放置していた結果起きたのですから、とりあえず「考えられる限りの想定」をぶつけることには意味があります。

福島第一原発の事故以後、「脱原発派」の人々の要請も受けて、原子力規制委員会の要求はかなり厳しいものになっています。

こちらに原子力規制委員会による、新規制基準が以前とどう違うのかをまとめた概要資料(リンク先PDF)がありますが、ある程度こういう資料を読み込む能力がある人なら、専門知識がそこまでなくても理解できるようになっていますし、ご興味があればご一読をおすすめします。

原子力規制委員会「実用発電用原子炉に係る新規制基準について -概要-」より

最初のうちは次から次へと追加される対策に対して「どれだけやるんだよ」と電力会社側の無力感があったようですが、議論を重ねてくるうちに規制側が求める条件がだんだん明確にまとまってきて、徐々に「なるほどこういうことをやればいいんですね」という合意形成ができつつあるという話も聞きました。

とはいえ、過去の世論の理解も得られず再稼働の見通しもたたなかった時期においては、「どうせ頑張って対応してもまた無理難題を投げ込まれて再稼働できないのでは?」というような電力会社側の不信感があり、かたや今年1月に東電が柏崎刈羽原子力発電所3号機の審査のため原子力規制委員会に提出した申請書の中で、結構信じられないミスが発覚するなど、さらに相互不信が募るようなこともありました。

しかし原発再稼働を容認する世論が高まり、政府の明確な後押しもなされるようになった今後においては、徐々に電力会社側も“本気で”(今までが決して“本気”ではなかったという意味ではないのですが)実現に向けて動くようになるでしょう。

私たちは、その議論がちゃんと歪められずに行われるかを適切に監視し続けなくてはいけません。

4:『極小の確率の甚大な被害可能性』をどう考えるべきか?

以上のように、この10年ほどにわたる規制委員会の要求とそれへの対応の積み重ねによって、日本の原発は福島での事故以前と比べれば段違いの安全性を備えたものになっているとは言えるはずです。少なくとも世界中で稼働している他の原発群に比べて特段の危険性があるとは言い難い。

一方で、この問題に「絶対安全」という想定はありえないことも事実です。

非常に小さい『極小の確率』において、他の発電方法とは比べ物にならない『甚大な被害』はありえる。

この「極小の確率の甚大な被害可能性」について、日本は、というか人類社会はどう対処していくべきなのでしょうか?

例えば巨大隕石が落ちるなどして100メートルを超える津波のようなものが襲ってくれば対策のしようがない可能性が高いです。

ただしその場合、韓国や中国の沿岸部にある無数の原発群も無事であるはずがなく、結局その「極小の確率」を引いてしまった場合の被害は国境を超えて受けることになってしまう。

この記事でここまで述べてきたように、原子力発電は「人類社会全体」で見れば必須不可欠の技術として使われ続けており、「極小の確率の甚大被害」レベルの事態を考えるならば、一国単位で「イチ抜けた」となったからといって問題は全く解決していないと言えます。

さらに重要な論点として、中国のような政体の国が自国内あるいは新興国への輸出を通じて次々と原発を新造する計画を持っていることに比べると、民主主義国家での新増設はあるにはあるが数は少ないという不均衡の問題があります。

その状況下で世界中の「民主主義国家」で原発技術を完全にフェードアウトしてしまうと、今後も新興国を含めて世界中で建てられ続ける原発について、「民主主義国家の価値観」でフルオープンにチェックを行える主体がいなくなってしまう。これは非常に危険なことだと思われます。

つまり、「原子力発電」というのは、20世紀後半から21世紀前半において人類社会が全体として「既に現実に取っているリスク行為」であり、そして『今後も取り続けざるを得ないリスク行為』であるため、一国だけで「イチ抜けた」と決断したからといってその危険性は消しえない大問題なのだと言えます。

今後再生可能エネルギーのみによって世界中のエネルギーが十分賄える技術開発が終わるまでは、あるいはもっと安全な核融合発電が安価に作れるようになるまでは、人類全体の責任としてこの「危ない技術」を大問題を起こさないように“十分な注意を向けて逃げずに乗りこなしていくこと”が求められているのだと言えるでしょう。

「極小の確率での甚大な被害」レベルの話をするならば、このレベルの発想からの最適な決断が求められていることを考える必要があります。

5:「党派的な全力の綱引き」でなく科学的な議論が行える環境が必要

上記のように「人類社会」レベルで考えれば、原子力発電の危険性は一国単位で脱原発をしたら消えるものではなく、むしろ責任を持ってこの技術が完全に人類にとって不要になる未来まで注意を向け続けることこそが、「より安全な対処」の方法なのだということが言えます。

その時に、むしろ原子力を安全性から遠ざけるのは、この技術に関する20世紀的なイデオロギー対立による、あらゆる感情を総動員した全力の「綱引き競技」のようなものを持ち込んでしまうことです。

今回のオフィシャルな取材先ではありませんが、個人的な関係からある日本の原子力エンジニアの人に話を聞いたところ、

常に科学的に考えて合理的な判断がなされるべきところ、今の日本では党派的綱引き現象ゆえに歪められてしまうケースが多いことを最も危惧している

…という発言をしていたことが印象的でした。

そのエンジニアの発言によれば、

例えば廃炉問題では、福島県民のためにもならない愚策を、みんなオカシイなと思いながらやらされて、莫大なお金もかかって安全性も余計に危なくなるような状況が放置されている状況があるのではないか。

…ということでした。

その例として色々な具体的な技術上の問題を指摘してもらいましたが、最も象徴的で多くの人に知られているのは、今巨大なタンクに溜められた状態で放置されている処理水の問題だと言えます。科学的に管理した方法で適切に放出すれば問題はないはずで、むしろ現在溜め込んでいるタンクが地震などで壊れて意図しない形で流出したりすれば余計な問題(特により大きな風評被害)が起きかねない状況にある。

そういう齟齬は大きな問題から小さな問題まで色々ありますが、科学的に考えて最も安全でコスト的にも合理的な案が、必ずしも受け入れられない状況が続いていることは、今後の日本の原子力関連の「安全性」という意味でも望ましいことではないといいます。

だからこそ、「人類社会が既に現実に取っている/今後も取り続けるリスク」に対して責任を持って最大限の安全性を確保していくためにこそ、「イデオロギー的な綱引き」から「冷静で科学的な安全性の議論」を救い出していく必要があるのです。

今再稼働していない原発には、それぞれなりに別個の問題が指摘され、電力会社がそれに対応中です。

再稼働を急ぐからといって、そのプロセスをすっ飛ばさせるような行為は厳しく監視していくことが必要でしょう。

一方で、「なにがあろうと絶対に再稼働させない」という強固な情念がこのプロセスに介入することで、科学的に合理的なプロセスが歪められるような現象も、徐々に減らしていく必要があるでしょう。

これは非常に表現が難しい課題ですが、既に規制委員会が10年かけて「脱原発派の情念」を「客観的に理解できる基準」にまで転換しているので、あとはその基準について規制委員会と電力会社の中で妥協しないで解決していくプロセスを、冷静に見守っていくことが大事です。

結果として、新しい基準には適合しえないということで廃炉が決まった原発も既に結構ありますし、今後さらにいくつかはそうなるかもしれません。逆に、規制基準を満たしたものについては再稼働が行われる流れになっていくでしょう。

そうすることによって、「一国のみの満足感」ではなく、人類全体におけるこの技術の安全性確保への貢献の道が開けるのだという理解が必要なのだと思います。

そのプロセスの中で、「イデオロギー的な“絶対”」を両極端にぶつけあうことで、「現実」がどこかに吹き飛んでしまいがちな日本の政治の混乱を乗り越える知恵を身に着けていくことを私は望んでいます。

6:相手全否定の水掛け論から卒業しよう

この連続記事を読んで、「原発絶対反対」の人が意見を変えると私は思っていません。

また、「再エネは欧米の意識高い系のゴリ押し」だと思いこんでいる人が意見を変えるとも思っていません。

しかし私は、「この記事をここまで読んで理解できる人」が一致団結して、現実と関係ない「イデオロギーの綱引き」しかしていない人たちから権力を奪い返していくことが絶対的に必要だと考えています。

今の日本はその「両極端」の人たちが事実に立脚しないで相手全否定の水掛け論を全力でやっているので、その間で又裂きになってしまって「現実に基づいて今必要なことを必要なタイミングでやっていく」ことができなくなってしまっています。

それが余計に「安全性」という観点から望ましくない結果につながりかねないことは、今回記事で見てきたとおりです。

だからこそ、この記事を読んでいるあなたのように、

日本にとって必要なら原発だって再エネだってこだわりなく使えばいいと思っているけど、安全性やコストなどで問題があるなら隠さずに知りたい

…というオープンな問題解決志向を持っている人たちが既存の対立を超えて協力することが今とても大事なことなのです。

SNSで「敵」を攻撃することことだけが生きがいで、実際の日本がどうなろうとどうでもいいような「すべてが右か左か」で見えるビョーキの人たちから「現実の支配権を取り戻す戦い」をやっていく必要があります。

その「第一歩」となる記事になれば幸いです。

次回記事では、より踏み込んで、世界が「原発も再エネも」に向かっている「理由」について初心者でも理解しやすいように深く掘り下げる予定です。

連続記事第2回の「既存原発は「既にローンで買ってしまった持ち家」のようなもの?SNSでよくある議論がほぼ無意味である理由」に続く


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